後悔
私は死にそうになった事が有る。
巨大な腫瘍がお腹にできてしまったのだ
しかも子宮である。
私は男性といたした事が無く中年になってしまって
子宮を全摘するのが嫌で嫌で食事も睡眠も取れなくなり
医師に
「そんなに嫌なら子宮を残しますね。」
と、言われてなんとか大手術を耐えて子宮を残してもらった。
大手術過ぎて上の血圧が60になってもうちょいで、上か下かに召されるところであった。
しかしながら、お相手が見つからず
とうとう子供を産めない年齢になってしまった。
昔、まだ30代だった時に
どう見てもSMでもしてそうな男性がいたので
冗談で、
やってそうですねと言ったら本物だった。
後日誘われて
「君の白い太ももをムチで打ちたい。」
と、メールが来てしまった。
もちろんお断りしたが
ここまでチャンスが無いと
人生経験として何でも(初回からハードすぎる)やっておけばよかったかな……って思っちゃったよねー。
何がエマニエル夫人だよ、中身だけ乙女の清純おばさんだから、毎日が切なくて泣いちゃう。
風に身をまかせ
最近、凄く忙しい。
母の介護で平日は病院の付き添いで車椅子の運転
週2回のデイサービスの日だけ少し絵が描けるが
土日のバイトの勉強もしなければならない。
土日のバイトは好きな仕事で嬉しいが、どうしても寝不足になり、体力的にも知力的なにもハードでクタクタになってしまう。
しかし、土日だけとは言え、自分の人生を取り戻した気がして嬉しい。
仕事中、よくすれ違う、『良い目』をした男性がいて
ニコッとしてくれる。
とても嬉しい。
部署が違うので数回しか話をした事も無く、業務連絡のみである。
このご時世なので全員マスクも制服みたいなもので素顔も見た事が無い。
愛社精神で、男女問わず、すれ違う瞬間はみんな笑顔で会釈する決まりがあるのだ
良い目をしているなぁ……目力があるなぁ……。
私はこのお仕事が大好きなので仕事中は基本、常に幸せモードである。
しかし、長時間勤務の上、おばさんなので体力的にキツくて終わり時間間際は頭がボーッとしてくる。
そんな時、『目力の君』が至近距離を通過した時、目を合わせて来た。
ご挨拶ご挨拶……ん?!
ジー……。
ツヤツヤと光る2つの真っ黒な闇がこちらを覗き込んでいる
妖しく光るブラックダイヤモンド
暗闇に様々な色彩が弾けた
原初の闇
欲望のブラックホールが私の視線を吸い込んだ
食べられる前のネズミが見る最後の猫の目つき
命が吸い取られるような挑戦的な狩人の目つき
笑顔ではあるが、獲物の血の匂いに気づいて喜んで寄って来たサメのような残酷さも漂っている
私の心の隙間から流れ続ける孤独と言う名の血の匂いを嗅ぎつけて来た魔物であろう
ゾクゾクッ!私の背筋に戦慄が走って全身の毛穴が開いた。
咄嗟に私は、ブラック企業で培った
謎の喧嘩売ります買いますの負けず魂に火がついた
そっちがその気なら、こっちはこうだ!
捕食される弱者にはならぬ!
私にできる限りの可愛い?上目遣いで嫣然と微笑んで目を逸らさず挑発的に見つめ返した
どうだ、おばさんの色目攻撃はキツかろう?
笑顔で会釈しつつ、
永遠とも思える瞬間、意味深に目線を合わせつつ去って行った。
ハァ、ハァ……手強い敵(?)だった。
相打ちだ。
人が違えばフランス映画みたいな恋愛の始まりのシーンなのだが、いかんせん、コミック系のおかまちゃんのようなおばさんの私が相手である。
ロマンチックなサメ男との
トキメキガン飛ばし合戦。
ただそれだけ。
昔、岡本太郎の『自分に毒を持て』って本を大学の生協で買って読んだのを思い出した。
日本の女はつまらない。
目が合ってもすぐそらす。フランスの女は良い、目をそらさないで見つめ返してくる。
的な事が書いてあったような気がする……。
介護で疲れきって女を捨てた生活が長かったゆえ
仕事の合間に世間の風に身を任せ、束の間、視線のアバンチュールを楽しんでしまった。
わーエマニエル夫人みたい。
自分の人生にこんな事があるなんて
マスクは夢を見せてくれるなぁ。
無論、遊ばれる気は全くない!
それ以来、ロマンチックなガンの付け合い飛ばし合いは続いているが、
楽しいからいいか。
失われた時間
バイトの先輩に凄く優しい男の人がいて
一緒にお仕事をして、たくさん教えてもらって
気が合って、とても楽しかったので、
また一緒のシフトにならないかなぁと心待ちにしていたのに
なかなかシフトが一緒にならないので残念に思っていて
たまに見かけると、つい目で追ってしまい
同期の人が、いつも一緒になるよと自慢されて
「良いなぁー…。」
と、身を捩っていたのを、先輩本人に聞かれてしまった。
好きバレしたようだなと思っていたら
イベント最終日に休憩室にその先輩からのチョコスフレの差し入れメモが有り
残り1個しか無かった。
私はアトピーが有り、ショートニングや植物油脂が入っていると、身体にアトピーが出まくる
…あの先輩がくれたお菓子なら食べてしまおうかと迷っていたら
先輩ご本人様が登場し
「皆さん、スフレは食べましたか?ちゃんと全員分買ってきたんですよ。」
と、微笑んだ。
グッ……あと1個だと?誰か2個とか食べたな?!
「あ、私食べてません。」
違う先輩がスフレに手を伸ばした
「あ、どうぞどうぞ。」
優しい男の先輩は微笑んだ。
女性の先輩方と並んで座って休憩していたので
スフレなんか1口も食べていないのに
他の先輩方と一緒に
「ありがとうございます。」
と、言ってさびしさをグッと飲み込んだ。
いつも私から見える位置で他の女性バイトさんと仲良く話しており
私にだけは話しかけてくれないでは無いか……。
私が優しい男の先輩から差し入れでいただいたのはチョコスフレのように甘くてほろ苦い気持ちであった。
休憩が終わり、新人終礼に参加していたら
すぐ後ろの見える位置で
その男の先輩が会社のバイトで1番可愛い若い女の子と楽しそうに話していた。
思わず見てしまって慌てて終礼に集中しなきゃと視線を戻した瞬間
「いやぁー視線が突き刺さるなぁ!」
その男の先輩のとびきり大きな声が響いた
気持ちを弄ばれたのである。
なんだか凄く悔しくなった。
何も無かったのだが
私の恋は終わってしまった。
失われた時間を返して欲しいとまで思った。
私はもうすぐ他のバイト先に出向するし
その前のシフトもかぶらない。
その先輩にはもう会えないのだ……。
さよなら先輩。
黙って消えます。
あんまりおばさんをからかわないようにしてください。
あなたもおじさんなのだから
お互い失われた若い時に家族も作れず、こじらせてしまったのですね……。
あなたの買って来てくれたチョコスフレは私には届きませんでした。
若い娘さんに嫌われないと良いですね
親切に仕事教えてくれてありがとうございました。お幸せに。
私は終礼で
「これからはあなたはもう新人じゃありません。」
と、卒業おめでとう的なお言葉を指導教官からいただいた。
さようなら先輩。スフレの泡のようにスッと黙って消えます。
昔、読んだ人魚姫の海の泡になってしまう最後のページを思い出し
優しくしておいて残酷な王子様のあだなさけだったな……と
涙を堪えながら
その場を去った。
しかしながら、他の男の先輩もあと4人は親切であった
。
実は最高に幸せである。
袖にされてたまるか。
私は誇り高い。
今に見ておれ。
私が残り1個のチョコスフレみたいなもんでしたよ先輩。
私は新人ではなくなった瞬間、人魚姫を卒業し、魔女になった。
それでいい
色恋営業と言うものは自分には関係ないと思っていたが
世の中にはそれが溢れていた。
シンプルに親切にされると惚れてしまうのである。
健康食品のお店で
おじいさんには若い女の子の店員さん、
おばあさんには若い男の子の店員さん、
好意を持った相手が、ノルマが……とか困っていたら助けたくなるだろうし
色事では無くてもプラトニックに惚れて何か買ってしまうのである。
優しくされたら少しでもお返しがしたくなる。
誰にも優しくしてもらえない人はいっぱいいる。
少しの金額で済むならそれでいいのかもしれない。
大金は絶対にダメだが……。
親切をお金で買う時代になってしまったのは悲しいけれど
それが現実である。
世の中甘くないのである。
1つだけ
私には1つだけ宝物と言える秘密がある。
神様と結婚しているのだ
薬指には見えない結婚指輪をしており
背に大きな油絵用のパレットと
弓矢を入れる筒をキューピットのように担いでいるが中には矢の代わりに絵筆が入っており
腰には絵の具が入った袋を縛っている。
服はギリシャ神話のローブをまとって
アルテミスのような姿をしている。
大理石の立派な椅子に座った美しく、常に少し皮肉な微笑みを浮かべ、堂々とした芸術の神様の前で
(芸術の神様は男の芸術の司には自身の理想の最も美しい女性、女の司には美しい理想の男性に見える)
何万人もの大勢の妻や夫達と一緒にうやうやしく、かしずいているのだ。
小さい頃からこのイメージが頭に入っており、挫けそうになった時はこの光景を思い出し
夫であり、神である者に、芸術家としての使命を果たさせて欲しいと守護を祈り、敬虔な使徒として生かされている幸せを感じつつ、涙しながら眠るのだ。
孤独も苦しみも悲しみも怒りも芸術の神に捧げる貢物なのだ。
私は忍びの者である。
笑う者は笑うが良い。