夜が明けた。
当たり前の事だが、早く寝ると夜が長い。まして、高熱があったりすると、悶々としながらも、寝不足だから眠ってしまう。
眠ってしまうが、身体が熱くて目が覚める。目が覚めてまた眠る。
そんなことを繰り返して、明るくなってくる。夜が明けたのだ。
夜が明けるというのは、やはり希望だ。太陽の光が差してくると、なんだか先が見える気がする。
「明けない夜は無い」という言葉が私は好きだ。どんなに真っ暗な夜でも、いずれ明けるから、だから一晩を凌いで朝を待つ気になる。ずっと夜だったら、何に希望を見いだせば良いのだろうか?
世界には、白夜が開けると極夜になる場所がある。極夜は一日中暗いのだ。その中で、住民はどんな気分なんだろう?そんなものだから慣れてしまうのだろう。私には耐えられないと思う。
No.182
ふとした瞬間
若い頃、いい香りに憧れて、香水をいくつか買ってみた。わずかなお給料の範囲内なので、ものすごく高いものなど買えないが、時々手首の内側につけては楽しんでいた。
それというのも、小さい頃、すれ違ったきれいなお姉さんが、えも言われぬいい香りを残して行ったのが、とても印象的だったからだ。
香水とは言ったが、香水は香りが強いので、オーデコロンと香水の間、オード・トワレという種類だった。同じ香りの香水で、数種類に分かれているとは、香水の売り場に足を踏み入れてみないと分からないことだった。
香りも、つけてから時間が経つと変わっていく。トップノートというつけてすぐから30分ぐらいまでの香り。ミドルノートはその後から2時間ぐらいかな?の間の香り、ラストノートは本人の体臭と相俟って、最後の香り。
私はミドルノートが一番落ち着く。ふとした瞬間に香る、上品で爽やかな香りが好みだ。
ところが、妊娠出産したら、一切香りを受け付けられなくなった。どんなにナチュラルな香りでも、つわりの時はむかむかしたし、出産後は、赤ちゃんのなんとも言えないいい香りが一番で、香料は嫌だった。以来、香水はもうつけていない。あんなに好きだったのに、分からないものだ。
No.181
どんなに離れていても
距離になんか負けない。どんなに離れていても、愛は続くと思っていた。
大学で知り合った人と手紙のやり取りをしていた。関東と東北、たかだか300kmの距離だったが、あの頃はLINEとかメールなど無くて、手紙のみのやり取り。一通出すと、指折り数えて3日ぐらい経つとソワソワして、結局、郵便局の管轄がうまくいかないのか、返事が届くまで2週間はかかった。その間のドキドキやソワソワは、今思い出すと心臓に悪いレベルだった。そして、返事が届いたらもっと心臓に悪かった。丁寧にハサミで切って開いて、便せんを取り出す時が、だ。
男性にしては、美しい文字を書く人で、私は丸文字。少し肩身が狭かったが、相手の問いかけに答え、近況を綴る楽しみは、何ものにも代え難い楽しみだった。
ある日、私は近所の人の勧めでお見合いをすることになった。断っても良いから一度会ってやってくれ、というのですることにした。断るから。と、正直に書いたのだが、それっきりプッツリ返事が来なくなった。季節の変わり目を口実に手紙を書き、何気なく、この間のお見合いは、約束通り断りました。と書いたし、さらに1ヶ月後ぐらいに「どうして返事をくれないのか?首を長くして待っているのに」とも書いてみたが返事は無かった。
あの頃の私は、会いに行くことも出来ず、ただただ待っていたが、本当にあれっきりだった。
今思うと、古い土地の人だったので、「見合いイコール結婚」のような、固定観念のある地域だったのか、はたまた私の文面の何かが気に入らなかったのか、とにかく今となっては分からない。確認することもなく、そのままになった。
遠距離恋愛なんて無理だったんだ。どんなに離れていても愛は続くなんて、思い上がりだったんだ。相手の本当の意志も確認できずに終わった、私の幼い恋だった。
No.180
「こっちに恋」「愛にきて」
私の両親は、私が恋愛することを許さなかった。男を好きになるなんて!ふしだらだの尻軽だの、さんざんな言われようで、そう言い聞かされて育ったせいか、恋をするときめきなど無かった。
それなのに、親の思惑通り年頃を過ぎた私に「あんたってモテないのね」と言う母親に、呆れてモノが言えなかった。モテなくはないが、それどころか恋愛はしたが、成就しなかったのは、親の教育のせいではないか!
呆然とする私に、母は追い打ちをかける。「モテる娘は、ただ歩いていても声をかけられるものじゃない?」
「恋愛禁止の私が、そんなナンパみたいな出会いで恋愛しても良かったの!?」さすがに母は、気まずそうに黙って、コーヒーカップを撫でていた。
私は猛烈に腹が立った。よぉし、じゃ、もう年も年だし奔放な恋をしてやる!
私の恋よ、こっちに恋!
誰でも良いから愛にきて!!!
No.179
巡り逢い
妻を亡くして、このグループホームに入って、78歳の私は恋をした。これが「老いらくの恋」というものか!
私が入所して、その歓迎会を開いてくれたんだが、12人の参加者の中で、終始ニコニコと優しい笑顔を浮かべている人だった。
そのタミさんは、偶然にもお向かいの部屋で、食事の時に出ていくとちょうど会ったりして、言葉を交わすようになった。
なんの話でもニコニコ笑って、短い返事をくれるだけなのだが、私はタミさんのその笑顔が何より好きだ。
1ヶ月ぐらいして、息子と娘がやっと訪ねてきた。部屋でいろいろ話していて、つい「その向いの部屋の人、すごくいい笑顔なんだよ」とつぶやくと、「お父さん、今さら『老いらくの恋』なんて止めてよね」「そうだよ、騒動の元だよ」「騒動とは何のことだ?」「お父さんけっこう財産家だから、狙われるわよ」「何だお前ら、自分の分け前が減る心配か?その人に私は、財産の話などしたことはない。失礼なことを言うな!」思わず声を荒げたからか、息子と娘はそそくさと帰って行った。
「どうしたの立花さん。お子さんたちが怒って帰ったみたいね。それで、お向かいの部屋の人のことを聞かれたんだけど?」「あ、いや、何でもないんですよ」「そうよね〜、あのお部屋、空き部屋だもの」
「えっ?」「1番長く住んでくれた人だけど、亡くなってもう半年経つかしらねぇ」「タミさん…」「あら、よくご存知ね、誰かに聞いたの?」ヘルパーさんはまだ何か言っていたが、そのへんから私は何も耳に入らなかった。
私のせっかくの巡り逢いは、泡のように消えていった。
No.178