シャイロック

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4/10/2025, 3:44:04 AM

元気かな

 私の生涯で、明確にプロポーズしてくれた人が3人居る。
 一人は夫で、今も一緒にいるが、もう二人は若い時に付き合っていた人。
 人生いろいろなご縁が絡み合って生きていくワケだが、そういうご縁があった人って、今でも時々鮮やかに思い出すね。
 一人は税務署員で、4つ年下だった。若い時、私は税務署でアルバイトしていたのだが、確定申告で、みな忙しくお客さんと署員でごった返している中、急に「マユミさん、オレの扶養家族になりませんか?」とびきりの大声で言った。周りに居たお客さんも署員も、もちろん私も、一瞬固まった。
 え、いや、その、と私がしどろもどろになったところで、署内の喧騒は戻ったが、ビックリしたのなんのって!
 もう一人は、初めて正社員になった会社の人で、同い年だった。「マユミさん、オレは酒を飲んでもすぐ寝ちまうから、決して身体壊さないよ」「あ、はぁ、そうですか」「だから、オレと結婚しね?」そーなる?そのプロポーズなに?
 優しくてものすごくいい人だったけど、 特殊な部所にいて、三人一組でよく私のところに報告書を出してとか、いろいろで来ていたので、彼らは社内で一番親しかった。それだけに、兄弟のような感じで、嫌いではないけど、結婚は考えられなかった。
 さて、彼らは今どうしているのだろうか?
元気かな?

No.163

4/8/2025, 11:57:13 PM

遠い約束

 約束は約束。守れないなら、最初からしなきゃいい。
 ある日突然「りんだよ!約束守ってね!」と、絵文字満載のメールを受け取った。「あの、僕はりんさんの知り合いではないです」と返事したら、それにまたかわいいメールが来て、何度かやりとりした。
 「一回会わない?」会ってみたら、意外に落ち着いた感じの美人だった。コーヒーショップでお茶をした。彼女居ない歴イコール年齢の俺は舞い上がった。
 2回目のデートで「私のお仕事なんだけど」と、英語の教材を見せられた。「なかなか買ってもらえなくて、困ってるんだぁ」
 英語には興味がなかったが、りんには興味があったし、買えない額では無かったので一式
20万で買った。
 「また連絡するね」と約束して別れたが、それっきり連絡は無かった。メアドもLINEも受け付けられなくなった。
 後で知ったのだが、デート商法と言うらしい。間違いメールを装ったメールに返事をしてはいけないんだそうだ。りんという名前だって、偽名だったんだろう。
 1つ勉強になったのか。あーなんだか虚しい。俺って馬鹿だなぁ。

No.162

4/8/2025, 3:54:50 AM

フラワー 

 お花のことをフラワーと言うと、ぐっと洋風になる。
 「お花」と言うと桜やすみれ、シャクヤクやボタン、アヤメ。「フラワー」と言うと、ジャーマンアイリスや西洋シャクナゲ、蘭を想像してしまうのは私だけだろうか?
 そしてお菓子やパンを焼く人は、フラワーと言うと、小麦粉を思い出すことだろう。英語で小麦粉のことをフラワーというが、日清製粉が商標登録を申請してから、実に12年もの時間を要した。
 商標登録は、例えば「りんご」で「アップル」というのは認められない。ほかの人がアップル全般を使えなくなるからだ。「アップルジュース」とか「アップルパイ」とかね。
 で、日清製粉は、何度差し戻されても頑張って新製し続けた。最後には、特許庁も折れて認めてくれたらしい。
 フラワーと言われると、お菓子もパンも焼かないが、こちらの方が私は興味深い。

No.161

4/7/2025, 1:09:47 AM

新しい地図 

 その少年は、婿入りした父が、母の死去で、家督は伯父が継ぐことになり、一緒に追い出された。以来、父は転々とし暮らしは豊かではなかった。向学心旺盛だったが、学ぶ機会は無かった。
 その頃、酒造所を営んでいる家に、婿養子に入るという話が持ち上がった。妻になる人は3つ4つ年上で、17歳の彼が婿養子に入るまで、夫を病気で2人も見送っていた。
 なんとなく不安だが、父の勧めで、名家に1度養子に入ってから、名主で酒蔵のその家に婿養子になった。
 少年は、名家に婿入したため、町会長のようなことをしなければならなくて、戸惑ったが、そこで、彼の交渉能力や危機管理能力などが培われた。少年は、40代になり、息子が1人前になったので、家督を譲り隠居した。
 彼自身、次々と妻に先立たれ、何人目かの妻を伴って、江戸に居を構えた。そこで、二十歳近く年下の歴史学者を師と仰ぎ、猛然と勉強した。師匠は、暦の大幅改訂を考えていて、それにはもっと深く学ぶことが必要だった。師匠と共に、歴史も天文学も測量も学び、そのことが後の彼の人生に大きな影響を与えた。
 そう、彼は伊能忠敬さん。私はもっと若い頃からと思っていたが、なんと56歳から17年かけて、北海道から初めて日本中を測量して回った。彼の作った日本地図は、あの頃の測量技術では考えられないほど、その後の地図に近いという。
 今は、国土地理院の地図や、Googleの地図がある。次々と新しい地図が上書きされているが、その根底に彼の努力があったことは、素晴らしいことだと思う。

No.160

4/6/2025, 8:33:28 AM

好きだよ

君の瞳、好きだよ
君の髪、好きだよ
君の指先、好きだよ
君の肌、好きだよ

そして君の唇、好きだよ
何度唇を重ねたことだろう
好きで好きで、一番きれいな君を手に入れた
こうしてリビングの角に置いてある、
大きな冷凍庫に

(No.157より続く)

No.159

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