新しい地図
その少年は、婿入りした父が、母の死去で、家督は伯父が継ぐことになり、一緒に追い出された。以来、父は転々とし暮らしは豊かではなかった。向学心旺盛だったが、学ぶ機会は無かった。
その頃、酒造所を営んでいる家に、婿養子に入るという話が持ち上がった。妻になる人は3つ4つ年上で、17歳の彼が婿養子に入るまで、夫を病気で2人も見送っていた。
なんとなく不安だが、父の勧めで、名家に1度養子に入ってから、名主で酒蔵のその家に婿養子になった。
少年は、名家に婿入したため、町会長のようなことをしなければならなくて、戸惑ったが、そこで、彼の交渉能力や危機管理能力などが培われた。少年は、40代になり、息子が1人前になったので、家督を譲り隠居した。
彼自身、次々と妻に先立たれ、何人目かの妻を伴って、江戸に居を構えた。そこで、二十歳近く年下の歴史学者を師と仰ぎ、猛然と勉強した。師匠は、暦の大幅改訂を考えていて、それにはもっと深く学ぶことが必要だった。師匠と共に、歴史も天文学も測量も学び、そのことが後の彼の人生に大きな影響を与えた。
そう、彼は伊能忠敬さん。私はもっと若い頃からと思っていたが、なんと56歳から17年かけて、北海道から初めて日本中を測量して回った。彼の作った日本地図は、あの頃の測量技術では考えられないほど、その後の地図に近いという。
今は、国土地理院の地図や、Googleの地図がある。次々と新しい地図が上書きされているが、その根底に彼の努力があったことは、素晴らしいことだと思う。
No.160
4/7/2025, 1:09:47 AM