シャイロック

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4/3/2025, 3:13:28 AM

空に向かって

 陸上部でずっと短距離をやっていたのに、コーチが「たかおは長距離の方が向いてるぞ。長距離をやってみないか」僕は半信半疑で、曖昧な顔をしたらしい。「騙されたと思って!インターハイは長距離を目指そう」重ねてコーチが言った。
 短距離でもそこそこの記録は出ているけど、確かに伸び悩んでいる。でもだからと言って、急に長距離だなんて、無茶じゃないか?
 その日から長距離向けの練習に切り替わった。まず筋トレだった。前から筋トレは取り入れていたけど、体力をつけるための筋トレだ。瞬発力でやっていたのが、長く走るのだから、速筋から遅筋にならなければならない。
 インターハイまで3ヶ月しか無いのに、コーチはどうしても長距離にいけという。僕はだいじょうぶなのか?
 なんだかんだで1ヶ月過ぎた今日から10000メートルの練習だって。校庭の400メートルコースを使って、25周。多いのか少ないのかのイメージも沸かない。
 走り始めてからもなんだか分からない。僕は、ちゃんとコースを走りながら、気分は迷走していた。
 「たかおーっ、あと1周だぞー」コーチの声で我に返った。そんなにもう走ったんだ。最初は辛かったのに、いつの間にか当たり前のように走り続けていた。心身ともに辛くなかった。予想したほど体調は悪くなかった。むしろ良い。僕は空に向かって走っている気分だった。
 ランナーズハイという言葉があるが、これか!身を持って実感した瞬間だった。

No.156

4/2/2025, 3:42:36 AM

はじめまして

 今月も、新人さんが入ってきた。
「はじめまして、天沼と申します」
 総務課は、寿退社が多いので出入りが激しい。そのたびに新人教育をするのはたいへんだ。
 でも天沼さんは結婚してからの再就職なので、寿退社は無いな。初々しさはあまり感じられないけど、誠実そうで好感が持てた。自意識過剰な若い子よりよほど良い。(あーこれってなんとかハラなのかな)
 さて、俺は出張だったので、彼女の初日には会えていない。同僚に、何気なく天沼さんの話題を振ってみるが、どうもなんというか、不思議な顔をする。
 「な、なんなの?天沼さんと何かあった?」
「いいえ、特に何も無いんですけど、何ていうか・・・私は、ああいう人はじめまして、でした」
 よく聞いてみると、天沼さんは「踊る」そうだ。廊下でも狭い給湯室でも、暇さえあれば踊っているらしい。バレエ風の美しい所作だという。
 でも、俺は内心ホッとした。何か仕事で問題を起こしたり変なコトを言う人では無いらしい。好きなだけ踊って欲しいもんだ。

No.155

4/1/2025, 3:46:51 AM

またね!

 小学校3年生の春、とても気が合う友だちができた。大人しくてあまりしゃべらない子だったけど、久美ちゃんは、休み時間になると私のところにやってきてそばにいる。
 そうされると私も嬉しいし、いろいろ話をするようになった。何か言うと、一言二言返事もしてくれて、だんだん話が弾むようになった。
 クラス替えが2年毎だったので、2年間は少なくとも同じクラスに居られると思ったのに、久美ちゃんは父親の仕事の都合で、4年生の秋に転校することになった。
 私は、驚いた。せっかく親しくなったのに寂しくて悲しかった。でも久美ちゃんに言ってもどうにもならないことは分かっていた。久美ちゃんも悲しそうだった。
 クラスで前に出ての挨拶のとき、久美ちゃんは私の方をみたとたんにポロポロ涙をこぼした。私も泣いた。
 次の日が日曜日で、久美ちゃん一家の引っ越しの日だった。私は、早めに久美ちゃんの家に行きたかったが、親に「引っ越しの時なんかすごく忙しいんだから、早く行ったら迷惑だよ」と引き留められた。
 やっと許しを得て、出発時間のほんの少し前に久美ちゃんの家に着いたら、誰も居なくて何も無かった。カーテンが外された窓から、家の中が見えたのだ。多分、準備が早く出来たので、早く出発したのだろう。
 私は、行き場の無い悲しみに、久美ちゃんの家の前で号泣した。気がついたら泣きながら繰り返し「久美ちゃんまたね!久美ちゃんまたね!」と叫んでいた。
 この出来事は、今でも私の心に傷となって残っている。久美ちゃんだって、私が行けなかったことで、泣いてくれたんじゃないかと思っている。

No.154

3/31/2025, 3:42:26 AM

春風とともに

 なんて爽やかなんだ。リョウは顔立ちは嫌味のない醤油顔のイケメンで、背はすらりと高く、笑顔も振る舞いも爽やかすぎる!
 並んでいると、まるで春風とともに歩いているようだ。
 そんなリョウが、私に顔を近づけて、
「サエ、どうしたの?憂鬱そうだけど?」
うわぁ悶死する!至近距離のイケメンはさらなるイケメン!
 「リョウがきれいだから見とれてた」
「なーに言ってんだよ。サエの方が可愛いよ」
「いやーリョウのイケメンは、ちょっと種類が違うんだなぁ」
「ワケわかめ!な、城址公園に桜見に行こうよ」
 手を繋いで公園まで行ったら、桜は満開を過ぎて花びらがどんどん散っている。こういうのも綺麗だなぁ!リョウも綺麗だなぁ!
 この春に、信じられないことにリョウから告られて、有頂天になっている私。それこそ、春風とともに舞い込んだような恋だ。

No.153

3/30/2025, 7:26:52 AM



 顔の神経って、きっちり左右に分かれているらしい。
 私は過去に、霰粒腫(さんりゅうしゅ)という、ものもらいよりも大きな、上まぶた全体が腫れる眼病を患ったことがある、まぶたが腫れていると視界が狭まるし、なにしろ鬱陶しい。眼科のお医者さんが手術するというのでお願いした。
 部分麻酔で切り取ってもらったのだが、それからがたいへんだった。麻酔が切れた頃から、手術した右目が痛くてしょうがない。「麻酔が切れたんだな」と我慢するしかなかった。次の通院は、2日後だった。
 さて、次の日になると、さらに痛みが増して堪らない。子どもがまだ幼稚園児だったので、痛みをこらえて送って行った。すると、親しいママ友が私に言った。「鈴木さん、顔が縦半分の右側だけ真っ赤だね。鼻も縦半分だけ赤いよ」
 眼帯をした目はとにかく痛くて辛かった。顔半分だけ違うなんて、まるで阿修羅男爵のようだね。
 帰宅してから眼帯を取って鏡を見たら、右の目からだけ涙が出ていた。ポロリポロリと出てくる。
 片目だけ涙が溢れるなんてことが有るんだと、その時知ったのだ。

 さて、この話には後日談があります。
 痛みに耐えて、指定された通院日に行くと、診察した先生が「あ、こりゃ痛かったね。ガーゼの糸が残ってたよ」ですって!痛かったワケです。

No.152

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