シャイロック

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2/4/2025, 3:54:09 AM

やさしくしないで

 みんなで雪道を歩いていた。家族5人と親の友人2人と、地元の達磨市に行くためだった。親の友人とは言っても、趣味の仲間だから割合若い。その片方に、私は少し気があった。
 珍しく雪が降り、私はビクビクしながら歩いていた。父が「転ぶなよ。びしょ濡れになるぞ」と言ったので尚さらプレッシャーになった。普段、降らない土地なので気温が高いのだろう。雪は、踏むとビシャっと周りに水が飛び散るほど水分が多かった。
 それほど気をつけていたのに、道の端が少し斜めになっている場所をうっかり踏んだら、金属の側溝蓋で、私はあえなく転んだ。
 中学生で思春期の多感な時期だった。尻餅をついて、びしょ濡れになった服のことよりも、恥ずかしさが先に立ち、いつもなら、それ見たことかと激しい叱責を浴びるところだが、友人が一緒だったせいか親もさほど言わず、私は服の汚れを取ることもせず、顔を覆ってしまった。
 「どうした、行くぞ」「イヤ!恥ずかしい!」いつもなら父に逆らうと殴られるので、怖くてこんなことは言えない。それを超えるほど恥ずかしさが勝っていた。
 「だいじょうぶだよ。もともとの色のせいか、濡れてるのもあんまり目立たないよ」
転んだ瞬間に手を引っ張って起こしてくれた、友人が言った。この友人酒田に、気があったものだから、尚さら恥ずかしい。恥ずかしいのに「こんな道じゃ転んでもしょうがないよ。あの側溝、俺も見えなかった。誰が転んでもおかしくなかったんだよ」「ケガは、してないよな?」「冷たいだろう?風邪引かないといいけど」と、いろいろ言ってくる。
 こういう時は、声をかけられるとなお恥ずかしいものだ。
 私は心の中で叫んだ。
「やさしくしないで!」
心の中でだけど、大声で叫んだ。
「や・さ・し・く・し・な・い・でーっ!」

No.98
 

2/3/2025, 2:47:47 AM

隠された手紙

 家族でキャンプに来た小さな沢で、私は石の間から、小さく折りたたまれた手紙を見つけた。
 「ママ、着火剤どこ?」持ってきたキャンプ専用の箱を探せばあるはずなのに、夫は、何かと私を呼びたがる。「は〜い、今行くわ」、私は家族のもとに行った。小学生の息子と、その妹の方が、着々と必要な物を出していく。準備は、もうほとんど整っていた。
 6年生ともなば、夫と2人でテントも組み立てられる。娘は、クッションシートを、その中に敷き詰めている。
 一段落したら、急にポケットに入れたあの紙が気になってきた。
 差出人も受取人も書かれていない、メモのような紙にただ一言『分かった』。
 「ママ、始めるよ」「はい、これ着火剤」「おう、これこれ!」
 河原によくある、石を積み重ねた塔を眺めながら歩いているうちに、この手紙を見つけた。
 「分かった」とは、相手の言う事を納得したという意味の「分かった」なのか、調べていたことで、何か「分かった」のか?この隠され
た手紙が相手の手に渡らなかったことで、何か変化があったのか?無かったのか?
 いずれにしても、この手紙を届けるということは、現実的ではない。いつ、誰が書いたか分からないし、緊急性も無さそう。うちの前にキャンプした人たちの誰かとは限らないし。
 「ママ、何が『分かった』の?」娘が急に、私の腰に抱き着いた。「え?」無意識に、わかった、わかった、わかった?と、つぶやいていたらしい。
 なーんにも分からないままなのに、「分かった」みたいになってたなんて変だ。
 私は家族とのキャンプに専念することにした。バーベキューは、2年生の娘にはまだ火傷の危険性もあるし、何も分からない手紙に振り回されてもしょうがない。何だか知らないが「分かった」ことにしようと、私は、お肉の焼け具合に注意を払うことにした。

No.97

2/2/2025, 1:35:41 AM

バイバイ

 お子ちゃまって、泣いてぐずっていても、バイバイだけはやります。ママに「ほら、バイバイは?」と言われると、手をフリフリして、うまくすれば口の中で小さな声でバイバイと言います。
 親に教えられて、バイバイすると褒められて、という経験値の中で、反射的にやってしまうのでしょうね。
 さて、私は「さようなら」とか「バイバイ」とか、もう長い間言っていない。すぐにまた会う人でも、しばらく、いやもうずっと会えない人でも、「またね」「元気でね」と言って別れます。
 別れの言葉は寂しいから。

No.96

2/1/2025, 2:27:03 AM

旅の途中

 私たちはみんな、長い長い旅の途中。1ヶ所
に留まっているにしても、同じことをしているにしても、私たちそのものが少しずつ変わっていくのだから、それが旅なのだ。
 ニュースを見ても、人と話しても、天井を見上げても、心にいくらかずつの変化がある。小さな子だけでなく、大人でも成長していく。
 嘘だと思うなら、数年前の自分と今の自分を比べてみるといい。必ず変化している。
 こうして人は生きていく。少しずつ変わりながら。
 生きることが旅をしていることと考えれば、日々の出来事も自然に受け入れられる。途中でリタイヤなんかしたくない。
 私は私の旅の途中なのだから。

No.95

1/31/2025, 3:28:13 AM

まだ知らない君

 僕はゆりあを愛しているけど、ときどき謎の表情をするから不安だ。
「ゆりあ、愛してるよ」と言えば、とびきりの笑顔で「私もよ、じゅん」と返してくれるし、その顔に嘘はないと思う。
 でも、遠くを見つめるような目をして、小さくため息をついているゆりあは、僕の知らない女性だ。
「ゆりあ、何か悩みでもあるの」
「え?無いわよ。なんでそんなこと聞くの?」
「君が、別の人に見えるぐらい、暗い表情をする時があるんだ」
「そうなの?でも考え過ぎよ。な~んにも無いわ。じゅんは心配性なのね」
 悩みがあるなら聞こうと思ったが、何にもないと言われてしまったら、それ以上聞きようがない。もしかしたら彼女は、特別な教育を受けた凄腕スパイで、一部上場の僕の会社のデータを根こそぎ持っていこうとしている。とか、もしかしたら彼女は、ベテランの結婚詐欺師で、僕のほかにもたくさんの男を手玉に取ってる。とか、もしかしたら彼女は、お父さんの借金が億単位あって、それを返すために昼夜問わず働いて疲れが限界に来ている。とか、いろいろ想像してみるけど、僕の想像力じゃ限界がある。
 人が、相手のすべてを理解できるなんてことは無い。親子だって、知らないことも有るだろう。結局、何か有るにしても無いにしても、僕はゆりあを愛しているんだから、まだ知らない君が出てきても、それも含めて丸ごと愛することにする。
 愛してるよ、ゆりあ!

No.94
 

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