何でもないフリ
そりゃ俺だって傷つくことはあるよ。言いたいこと言ってるけど、他の人に言ったら名誉毀損だからな。
そう思いながら、俺は何でもないフリをして、笑って受け流している。
「イヤなら辞めても良いんだぞ」なんて、毎日言われている。
「まったくお前はトロいなぁ」
「お前なんか転職しても使い物にならないから、またすぐ辞めることになるぞ」
「結婚出来ないでずっと一人モンなんだから、残業ぐらいいいだろう。残業させてやるよ」
でも、サービス残業なんだ。
こうして毎日言われていると、本当に俺ってトロくて無能なんだと、思ってしまいそうになる。でも、悪しざまに言うのはその上司だけだ。他の人に迷惑はかけていないつもりだ。与えられた仕事はちゃんとこなしている。
今は何でもないフリをしているが、いつか大爆発を起こしてやる。その時になって後悔しても知らねぇぞ!
仲間
結婚するまで、仲間らしい仲間は居なかった。学生時代は親に行動を制限されていたし、職に就いて数年で父が倒れ、生活のためにダブルワークしていたし、友だちも居なかった。
それが、結婚してから子どもが生まれて公園仲間が出来た。子どもの学校で、PTA仲間が出来た。その人たちとは、いまも時々会って話す。
子どもの手が離れてから、自治会やNPO法人で活動するようになり、さらに仲間が出来た。みんなでああしよう、こうしようと、いろいろ話し合うのも面白いし刺激になる。多少疲れても、走り回るのが楽しい。
今が私の、遅く来た青春なのだとつくづく思う。
手を繋いで
うちによく来ていた大工さんがいた。古いお付き合いで、ご近所だったし、お互いの家にお茶を飲みに行ったり来たりの仲だった。義母が生きていた頃は、その流れで「裏の雨樋が外れかけてるの」などと言うと、さっそく来て直してくれたりしていて重宝だった。その代わり、季節の果物や、到来物のお菓子を持って行ったりして、良い関係だったと思う。
その人が癌になり、奥様も他界して、お茶の行き来が少なくなったある日、ちょっと買い物に出たら、その大工さんが道端で立ち止まっていた。
「◯◯さん、どうしたの?」
「体のためと思って、毎日散歩してるんだけど、なんだか疲れちゃってさ、足が前に出ないんだよ」
「あら、そんなら、私がお宅まで送るよ。掴まって!」
私が手を差し出すと、はじめは照れたのか「いいよぉ」と言っていたが、その手を引っ張って立ち上がらせると、そのまま手を繋いだ。
そこから大工さんの家まで、せいぜい100mぐらいだったと思うが、ひどく時間がかかった。足元がおぼつかなく、よろけるのを支えながら家に辿り着いた。
「いやぁ助かったよ。ありがとうよ」
「いいよ。また手を繋いで散歩に付き合うよ」
「あはは、そうかい?頼むよ」
帰り道、私は肩や腕に痛みを覚えた。大工さんは相当な力でしがみついていたらしく、それを支えて歩いて、筋肉痛になったらしい。
彼は、それから数ヶ月後に亡くなった。2回目に手を繋ぐ機会はなかった。
ありがとう、ごめんね
こんな私を友だちだと言ってくれる人がいた。同じクラスになったのをきっかけに、話をするようになったクラスメイトのゆみちゃんだった。
福島の小さな炭鉱町に生まれた私たちの世界は狭かった。家にせまる山々は当たり前の風景だが、町のあちこちに大きな砂山のようなものがあり、地元の人達はそれをズリ山と呼んでいた。それが、炭鉱町にしか無いのも後で知った。ズリとは、石炭を掘り出したあとの土や石くれ、使い物にならない小さな石炭くずのことだ。それを捨てたものが町に数ヶ所、人工的な山になったのがズリ山だった。
小学校の高学年になって、学校で何故かお誕生日会を開くのが流行った。私はどの子のお誕生日会にも呼ばれることはなかった。寂しかった。
そんなある日、ゆみちゃんが言った。
「かおるちゃん、今度の日曜日、私の誕生日なんだ。お母さんがお友だちを呼んでおいでって」
初めてのお誕生日会参加で、私は舞い上がった。母にもらった綺麗なハンカチを包んでプレゼントに持って行った。
ゆみちゃんの家に行ってみると、私以外、誰もいなかった。私は思わず「なんだ、みんな居るのかと思った」と言ってしまった。ゆみちゃんはすごく悲しそうな顔をして、
「ごめんね。私、誰からも誘われなかったから、誰にも来てって言えなかったの。かおるちゃんなら友だちだから、来てくれると思ったの」
私は心ないことを言ってしまったと、自分を殴りたい気持ちだった。
「ありがとう。私を友だちって言ってくれて!もちろん、ゆみちゃんは私のたった一人の友だちだよ。それなのにごめんね。あんなこと言っちゃって」
ゆみちゃんは、私の言葉を聞きながら笑顔になっていった。
「もういいの。さ、食べよう」
食卓には、ゆみちゃんのお母さんが用意してくれた、精一杯の料理が並んでいた。それは質素なものだったが、私はゆみちゃんといろんな話をしながら食べて、本当に幸せなひとときを過ごした。
部屋の片隅で
私が小さなとき、両親はケンカばかりしていて、それも母はガーガー言うし父は殴る蹴るモノを投げるという凄まじいケンカだった。
小学生低学年の頃、母が私に言った。
「あんたって、かわいくない子だねぇ。普通、親がケンカしてたら、『お母さんを叩かないで』って、母親を庇うもんじゃないの?それなのにあんたは、じーっと黙って見てて!」
確かに、私はそういう子だった。母は言いすぎるし、暴力を振るう父は言語道断。でも、今回の場合は母が悪いな。とか、父がわけも聞かずに殴ったな。とか、思いながら見ていた。 昔の古い日本家屋で、居間は非常に狭く、両親がガタガタやっている部屋の片隅で、冷静に状況を分析していた。
子ども心に、なんで2人ともあーなんだろうと、呆れていた部分もあった。母の暴言、父の暴力は、私にも例外無く向けられていたから、そういう人たちだから仕方ない、と受け止めていた。
今だったら2人ともDVで逮捕されるレベルだが、古き良き、いや古き悪き時代のことだった。