【伝えたい】
かなしいことを聞いた。
「マジ明日トラックに跳ねられて死なないかな」
「大人は逃げていいって言うけど、
逃げ場なくしてるのは大人じゃん」
まだ10代の子たち。
本当に普段の会話の中に
「死ぬ」って言葉が入ってきてた。
「健康が一番って言うけど
みんな健康すぎてわかってくれない」
って聞こえたから、
持病があるか、障がいがある子なんだろう。
私自身、持病があって身体障がいがあるから、
だからこそ伝えたい。
「無条件で味方になって、
気持ちを理解してくれる人が必ずいるから」
ほんとにね。
いるんだよ、そういう人。
けれど困ったことに、
いつ現れるかわからないから、
それまで耐えろと言えないことが辛い。
だって、この子たちは、
今この瞬間も傷ついて、苦しくなってるんだから。
今、寄り添う人が必要なんだよね。
私は、いじめも経験してるけど、
すっごく辛くて、泣きながら寝て、
泣きながら起きて、
外ではにこにこしてて、
家に帰ると泣いてた、そんな時も、
何故か「死のう」とは思わなかったんだ。
母からは何度か言われたよ。
「もう一緒に死んであの世に行こう」
って。
でも私の答えは決まってた。
「やだ。まだやることがあるんだから」
どんなに辛くても、どんなに苦しくても、
私の答えは、必ず「NO」だった。
多分、私は人よりもずっと怖がりなんだと思う。
意気地がなくて、弱くて。
だから、「死ぬ」勇気がない。
臆病なだけ。
でも、自分が弱いことを知っているから。
「やることがある」なんて言いながら、
何をするのかわかっていないけど。
だからこそ、私は「死ぬ」選択肢を
持っていないのかもしれない。
わからないことだらけだから、
足掻いているだけかもしれない。
だから、伝えたい。
まだ未来のある若者たちに。
たとえ取るに足らないことであっても、
それを理由に生きていていい。
あなたは、
生きていていいんだ。
【どこにも書けないこと】
いつか、会えると思っていた。
そんな理想の彼氏。
私は、男性とも「友だち」みたいにつきあってしまうから、
後になってから「あの人、特別だったんだな」ってきづく。
そんな「特別」な中でも、彼は別格だった。
会社で、新しい仕事の先輩として出会い、
最初は緊張して、話し言葉は敬語。
そのうち、向こうからも「これ出来ない?」って
頼まれたり、私も苦手なことは教わったりして。
いつの間にか、対等な立場に。
誕生日は数日違い。
星座、血液型は一緒。
更には趣味まで共通点が多くて、びっくりした。
「特別」
だったんだ。
気づいた時はもう遅かった。
出向先が変わって、私は傷病休暇で会社を休んで。
いつ、自分のスマホから連絡先が消えたのか。
あんな人、二度と会えないと思う。
住んでいる場所は知っているから、
会いに行くことは可能だけど、多分行かない。
もう、会わなくなってから20年。
20年あっても、あの人みたいな相手、いなかった。
もし、勇気を出して思いを伝えていたら、
どうなっていただろう。
そんなことも考えることもあるけど。
職場では、彼と私が話していると
「夫婦漫才みてぇ」
って笑われたっけ。
実際、話していると楽しかった。
ねぇ、今でも少しは私のことを憶えている?
【時計の針】
最近の時計は、静音となるように作られていて、秒針が連続して滑らかに動く、つまり「カチコチ」と秒を刻む音が聞こえない。
昔から時計の「カチコチ」音が苦手だった私にとっては、非常にありがたい設計なのだが、今になるとその「カチコチ」音を求めてヒーリング音を探しているのだから、わがままだなぁと思う。
子どもの頃は、時計の秒針の音、自分の鼓動、一緒に寝ていた母の呼吸音が、寝入るのを邪魔していた。
眠るときは、規則正しい音が何より苦手だった。
それに気づいたのは、母の実家、つまり祖父母の家に泊まったときだ。
広間には大きな振り子時計があって、「カチコチ」と秒を刻んでいた。
昼間はほとんど気にならないが、夜中、皆が寝静まった後は非常に大きな音として聞こえてくる。
そして、川沿いに建っているため、川の音も「ゴーゴー」と響いていた。
時計、川と、途切れずになる音に「寝ろ、寝ろ」とせき立てられるような感じだ。
そして、自宅に帰っても、鼓動、呼吸などが気になり始めた。
一度気になってしまうと、なかなか意識がそらせない。
だから、私は本当に寝つきの悪い子どもだった。
大人になって、とある事情で精神を病み、それからは規則正しい音が苦手では無くなっている。
それどこるか、時計の音、風車が回す杵の音などを好んで聞いていたりするのだ。
自分の鼓動音が安心できる音に変わっていたのだった。
残念ながら、自宅の時計はみな秒を刻む音がしない。
静かで良いのだが、たまに、あの秒針の音が聴きたくなる。
秒針の音を「出す」「出さない」の切り替えがあるといいなぁと勝手なことを望んでしまう。
でも、今は眠れるようになったから。
時計は静かに進む。
私の鼓動も、静かに、でも確かに進む。
今住んでいるところでは、外の音も殆ど聞こえない。
昼、夜、通して、非常に静かな場所。
確かに進んでいくが、ぼんやりしていると、あっという間に時は進む。
世の中、無駄なことはなく、ぼんやりもまた今の私には必要なのだろう。
そう考えると、やはり時間というものは、万物に等しく与えられている。
その流れを視覚を通して時計から時空間を認識している。
時計の針によって等しく正確に時間のことを理解している。
あぁ、今日もそろそろ陽が沈む。
夜の静寂に、音もなく時は流れる。
時計の針は、滑らかに連続して動いている。
ありがとう。
何に対してかわからないけど、すべては時の中に沈んでいく。
人生は氷山のように、目に見えない部分が多く、自分でもわからない選択を連続して無意識に行なっている。
時は流れる。
時計の針もまた。
【愛言葉】
複数人で下校するとき、
友だちと分かれ道で離れるときは、
「バイバイ!」
と言って別れる。
そうやってひとり、ひとりと少なくなって、
最後に残るのは、私とあなた。
「また明日ね!」
さよならと、バイバイと。
そう言わなくなったのは、いつからだろう。
そんなことを考えていたからか、
あなたが呼びかけていたのに、気づくのが遅れた。
「まーたくだらないこと、考えてたんだろ?」
「え?」
「おまえ、忘れてるかもだけど、
おれ、おまえとさよならはしない、って
言ったよな?」
「、、、あ、そっか」
「おれの横は、おまえの定位置。
約束したよな?」
そうだった。
お別れはしないって約束したんだ。
「おまえとおれの愛言葉は?」
「また明日ね?」
「合い、じゃなくて、愛の言葉だからな。
わかってんだろ?」
ちょっとぶっきらぼうなのは、
言った自分自身が照れてるから。
そこで、あなたとの分かれ道。
「また明日ね!」
「また明日な!」
視線が一瞬絡んで、そして離れる。
また明日。
あなたとはまた会える。
そんな約束の愛言葉。
だったのに。
今、私の目の前には、もう動かないあなた。
別れた直後、事故に遭った。
「また明日ね、、、」
「明日、、、」
「明日はあなたとのお別れの日。
明日が来れば、あなたは約束を破る」
「でも、私は空に向かって言うわ。
また明日、って、、、」
我慢して、堪えていた涙が、ポロリ、と溢れた。
【友達】
子どもの頃から、
大勢で遊ぶことが苦手だった。
勝ち負けのある遊びが嫌いだった。
嫌いだから、そうとは思っていないつもりでも、
いつも負けていた。
好きこそ物の上手なれ、というが、
勝負ごとは本当に下手で、
うまくいった試しがない。
鬼になると、捕まえてられないから、
延々と鬼だった。
仲間はずれにされることも多かった。
友達はいたけれど、
それは心を許せるほどの仲ではなかった。
ずっと一緒に遊んでいた幼馴染であっても、
新しいグループに私を入れることはなかった。
その夜は泣いた。
どうして、あの子は私を仲間に入れないのか、と。
おそらくは、すべて他人任せだから、
何かあれば呼んでくれるだろうから、
という受け身の姿勢が良くなかったのだろう。
積極的、とは言えない性格だった。
今ならそれがわかるけど、
成人するまで、ずっとわからなかった。
みんな、流されてきたから、
自分から流れを作ることを知らなかった。
友達は、対等な存在。
お互いに影響しあって、育つもの。
受けてばかりでは、相手は成長できない。
何もしてくれない相手、であった私は、
友達甲斐のない存在だっただろう。
成人してから、
一度、本当に好きだった相手から、
手酷く交際を切られた。
両思いだった。
でも、いつしか相手は、
私が親友だと思っていた女性と
交際していた。
夢にも思わなかった。
親友が私の相手を奪うなんて。
相手のことは、一気に冷めた。
でも、親友とは仲違いしたくはなかったから、
正直な気持ちを伝えた。
彼女は、今も私の親友でいてくれる。
一緒に遊ぶこともあるし、食事もする。
私が、私の方から行動を起こしたのは、
それが初めてだったかもしれない。
親友、とはいえ、べったりじゃない。
適度な距離感を保って、
お互いが楽な立ち位置にいる。
そう考えれば、
子供の頃の幼馴染が離れて行ったのは、
私が幼馴染に依存していたからなのだろう、
と思う。
ひとりは寂しい。
でも、だからといって、親友にべったりはしない。
10年音信不通でも、
会えば一気に10年は吹き飛ぶ。
そんな存在を自分で行動して、
手に入れた。
友達。
そして、私に関わっているすべての人に。
このご縁に感謝します。