「風の手紙」
頬を撫でるのは
遠くの丘を越えてきた風
それは 見知らぬ町の
パン屋の朝を知っていて
漁師の網を乾かす匂いを
そっと連れてくる
胸の奥の澱んだ空気も
ふわりと攫い
まだ見ぬ景色の方へと
背中を押す
風は声を持たないけれど
確かに何かを伝えてくる
――今、あなたは
歩き出す時ですよ、と。
人生とは、
思い描いた絵図面どおりに進むことの方が少ない道だ。
幼い頃は一直線に未来へ向かうつもりでいたのに、
気づけば回り道をし、立ち止まり、
時に引き返すことさえある。
けれど、その寄り道の草の匂いも、
行き止まりで見上げた空の色も、
あの時は無駄だと思った遠回りさえも、
後になって心を支える景色になる。
喜びは一瞬で過ぎ去るが、
悲しみは長く居座る。
しかし、その痛みが人を深くし、
優しさの根を育てる。
人生は勝ち負けではなく、
どれだけ「自分で選び、自分で歩いた」と
胸を張って言えるかだ。
そして、最後に
「悪くなかった」と微笑めるなら――
それはもう、天晴れだ。
『清潔な地獄』
快適さがすべてだった
息苦しさを消し去り
沈黙の部屋に閉じこもる
批判はブロック
不快は通報
正義はテンプレートでダウンロード
あらゆる“異物”は
感情で裁く
論理なんて必要ない
「なんかムカついた」が最強の剣
「ちゃんと傷ついた」が最強の盾
地球の未来を叫ぶ声が
プラ容器で包まれ
ジェンダー平等を唱える指が
部屋の女中に命令を出す
反戦を語る口が
誰かの沈黙を叩いて潰す
変えられないことは「構造」のせい
何もしないのは「社会」のせい
努力しないのは「生きづらさ」のせい
鏡は見ない
代わりに
他人の発言の揚げ足を掘るスコップを
ポケットに忍ばせる
本当は知ってる
自分が空っぽだと
でも
それを直すのは難しすぎるから
「簡単に直せそうな誰か」を
毎日ひとり、殺して寝むる
清潔な地獄へようこそ
あなたの善意と不快の境界線が
明日も誰かを焼き尽くす
『あの日の視線の先に』
君が窓の外を見ていたとき
僕は君の瞳ばかりを見ていた
でも 本当に大事だったのは
君が 何を見ていたかだったんだね
手をつないだ瞬間も
言葉を交わした夜も
僕はそれらを“形”として記憶してた
けれど君は そのたびに
未来を見ようとしていたのかもしれない
あの沈黙も 何かを隠してたわけじゃなく
何かを指していたのだろう
僕にはそれが
ただの“わからなさ”に見えていたけれど
人生って きっとそうだ
起こったことそのものよりも
「そのとき、自分がどこを見ていたか」
それが 全部を決めている
今 ひとりきりでコーヒーを飲んでる
湯気の向こうに
誰かの気配がある気がして
ふと目をやった その先に
空が広がっていた
君が見ていたのは
この空だったのかもしれない
僕が気づかなかった
“見つめるという優しさ”を
あのとき、君は知っていた
遅いけど ようやく
僕もそっちを 見始めてる
『見つめる先に』
リンゴを見て 甘さを語る人がいる
種を見て 未来を語る人もいる
光を浴びた花を見て 美しいという人がいる
光の差し込む先に 誰かの涙を見つける人もいる
すべてのものは そこにあるのではなく
何かを 指し示すためにある
道標に意味を問うより
その先に伸びる道を 歩いてみればいい
人の言葉を そのまま信じるのもいい
だが その言葉が生まれた
沈黙の海を 見てみるのも悪くない
夢に向かって進むより
その夢が見ていたものを
そっと覗いてみることも、ひとつの道
見るだけで終える者と
見つめる先を追う者では
たどり着く場所が きっと違う
だから どうか
目の前のものの奥にある
静かな指差しを見逃さないで
人生は いつも
目の裏側で
祈るように何かを 見つめているから