夜は、理由をくれる
まだ準備が足りないとか
今じゃないとか
もう少し考えてからとか
優しい声で、
すべてを先延ばしにする
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時計の針は進んでいるのに
心だけが、同じ場所に残っている
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選ばなかった道が
足元に影のように重なっていく
踏み出せば消えると知っていても
踏み出す理由を探している
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あの日も、そうだった
言えば変わると分かっていた言葉を
喉の奥で、何度も転がした
正しいタイミングを待って
正しい言葉を探して
結局、何も言えなかった
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世界は何も変わらなかった
ただひとつ
自分の中の何かが
静かに、終わっただけだ
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「決断に必要なのは時間や状況ではない」
どこかで聞いた言葉が
今さら胸に刺さる
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雨が降る
理由が増える
今日は無理だ
明日にしよう
まだその時じゃない
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でも、気づいている
いつだって
足りなかったのは時間じゃない
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手のひらに残る
言えなかった言葉の温度
踏み出さなかった一歩の重さ
それらが、ずっと消えないまま
ここにある
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だから
もう一度だけ
同じ夜に立つ
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言い訳も
準備も
正しさも
全部、置いていく
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震える声でもいい
間違ってもいい
遅すぎてもいい
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それでも
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一歩だけ、踏み出す
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夜は、何も止めない
時間も、状況も
何も背中を押さない
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ただひとつ
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自分の意思だけが
静かに、前に出る
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その瞬間
世界は、初めて動き出す
「止まらないために」
歩けない日がある
靴ひもすら結べない朝もある
昨日までの自分が
遠くの他人みたいに感じる日もある
それでも
地面は消えない
一歩を拒む心の奥で
まだ、微かに残っているものがある
それは意志じゃない
決意でもない
ただの「接点」だ
ペンを持つでもいい
ノートを開くだけでもいい
何も書けなくても
そこにいることだけでいい
止まるな、じゃない
戻ってこい
何度でも
遠くへ行こうとしなくていい
ただ
離れすぎないように
自分と
ほんの少しだけ
繋がっていろ
『水平線の光る朝に』
彼は、人に優しくあろうとしていた。
それは性格というより、ほとんど意志に近いものだった。
出来るだけ嘘はつかないように。
誰かが痛みを感じたとき、それを自分のことのように想像できるように。
そうやって生きていれば、どこかで間違えずに済むと思っていた。
けれど、ある日、彼は知る。
正しさは、ひとつではない。
⸻
誰かを守ろうとして選んだ言葉が、
別の誰かを深く傷つけていた。
気づいたときには、もう遅かった。
言葉は取り消せないし、
選ばなかった方の未来は、もう戻ってこない。
彼はその日から、何かを選ぶたびに、
同時に何かを失っている感覚に襲われるようになった。
それでも、人は選び続けなければならない。
⸻
朝、海に出た。
水平線が、静かに光っている。
あまりに整ったその景色は、
何もかもが正しい形に収まっているように見えた。
そのとき、不意に思い出した。
壊れた約束のこと。
守れなかった言葉のこと。
胸の奥で、何かが崩れ落ちる。
音はしなかった。
ただ、確かに崩れたとわかる感覚だけが残った。
⸻
風が吹く。
崩れたものの欠片が、どこかへ運ばれていく気がした。
彼には、それがどこへ行くのか分からない。
ただ、その先で、
それを「綺麗だ」と言う誰かがいるのかもしれないと、
ふと、思った。
それは、救いなのか、残酷なのか、判断がつかなかった。
⸻
その日の夜、彼は人に尋ねた。
「どうすれば、間違えずにいられると思う?」
相手は少し考えて、首を振った。
「見えないものを、大事にするしかないんじゃない?」
それだけだった。
⸻
心は、見えない。
だから、測ることも、比べることもできない。
それでも、人はそこに何かがあると信じて、
言葉を交わし、手を差し出す。
彼は、ようやく理解する。
自分は、ずっと“見えるもの”で正しさを測ろうとしていたのだと。
結果や評価、形になったものばかりを見て、
そこに至るまでの“見えないもの”を、
置き去りにしていたのだと。
⸻
日々は、静かに重なっていく。
気づけば、会えなくなった人がいる。
理由をはっきり思い出せるわけではない。
ただ、時間の中で少しずつ距離ができて、
そのまま戻らなくなっただけだ。
それもまた、選択の結果なのだろう。
⸻
ある夜、彼は夢を見た。
何かを成し遂げて、
たくさんの拍手を受けている夢だった。
歓声は大きく、
誰もが祝福しているように見えた。
けれど、その中に、
確かにひとつだけ、違う音が混じっていた。
悲鳴だった。
誰にも気づかれないほど小さな、
けれど、確かに存在する声。
彼はそこで目を覚ました。
⸻
答えは、ひとつではない。
それどころか、いくつもあって、
そのどれもが完全ではない。
人は、その中から選び続け、
そのたびに悩む。
その繰り返しの中でしか、
自分というものは見えてこないのだと、彼は思う。
⸻
誰の記憶にも残らない日がある。
何も成し遂げず、
何も変わらないまま終わる日。
それでも、確かにそこに自分はいた。
雑音と足音の中で、
確かに呼吸をしていた。
それを、否定する理由はどこにもない。
⸻
朝が来る。
また、水平線が光っている。
昨日と同じようでいて、
どこか違う光。
彼は、しばらくそれを見つめる。
崩れたものは、元には戻らない。
けれど、消えたわけでもない。
どこかへ流れていき、
形を変えて、
また誰かの目に触れるのだろう。
⸻
彼は思う。
それでいいのかもしれない、と。
⸻
正しさは、揺れる。
優しさも、時に人を傷つける。
それでも、人は願う。
出来るだけ嘘をつかず、
誰かの痛みを、自分のことのように思えるようにと。
⸻
水平線が光る朝に、
彼は静かに立っている。
何も解決していない。
何も終わっていない。
それでも、もう一度、歩き出す。
⸻
やがて彼も、見ることになるだろう。
自分が手放したものが、
どこかで光っているのを。
それが何だったのか、
そのとき、ようやく分かるのかもしれない。
『雨の境目』
駅を出ると、雨が降っていた。
予報にはなかったはずだが、空は言い訳をする気もないように、均一な灰色で覆われている。
屋根のある通路で足を止めていると、向こうから彼女が歩いてくるのが見えた。傘は差していない。少し濡れた髪が頬に張り付いている。以前と変わらない歩き方だった。
「久しぶり」
そう言って、彼女は笑った。
僕は何か言おうとして、うまく言葉が出てこなかった。代わりに、ポケットの中で指先が冷えたまま動かない。
「元気そうだね」
彼女は続ける。
まるで、昨日も会っていたかのような調子で。
あの日のことを、思い出しているのかどうか、わからなかった。
駅のホームで、電車が来る直前。言葉が交わされるより早く、扉が開いてしまったあの時間を。
結局、僕は何も言えなかった。
言わなかったのかもしれない。
「ねえ、傘、貸してくれない?」
彼女は軽く首をかしげて、そう言った。
僕の手元にある折りたたみ傘に視線を落とす。
ああ、と思った。
雨は、少し強くなっていた。
通路の端から水滴が一定の間隔で落ちている。誰もそれを気にしていない。
僕は黙って傘を差し出した。
「ありがとう」
彼女は受け取ると、何のためらいもなく広げた。
そして、そのまま振り返らずに歩き出す。
背中はすぐに人混みに紛れていった。
僕はしばらくその場に立っていた。
濡れた地面に映る街の光が、ぼやけている。
傘を渡した手が、少しだけ軽くなっていることに気づく。
その軽さが、どこか現実味を欠いていた。
やがて電車が来て、人の流れに押されるようにして僕も歩き出した。
改札を抜ける頃には、雨の音は遠くなっていた。
それでも、あの時言えなかった言葉だけが、ずっと近くに残っている。
たぶん、これからも。
『冠の重さについて』
夜は、いつも同じ速さで落ちてくるわけではない。
急に暗くなる日もあれば、
いつまでも薄明が残り、世界が決断を先延ばしにしているような夜もある。
その日も、どちらともつかない夜だった。
瓦礫の街は、音を失って久しい。
崩れた建物の隙間を風が抜けるたび、
かつてここに生活があったことだけが、かすかに思い出される。
彼は、その中を歩いていた。
何かを探しているわけではない。
ただ、立ち止まる理由が見つからなかっただけだ。
⸻
人は、いつから「選ぶ」ようになるのだろう。
幼い頃は、与えられたものをそのまま受け取っていたはずなのに、
いつの間にか、差し出されたものの中から
どれを選び、どれを捨てるかを決めなければならなくなる。
彼は、選び続けてきた。
守るために、捨てる。
その単純な構図が、次第に重くなることを知りながら。
捨てられたものは、消えない。
名前を持ち、形を持ち、夜ごと彼の中で息をする。
それらを総称して、誰かが「罪」と呼んだ。
⸻
彼は、自分の頭にある見えない重みを、時折確かめる。
手で触れることはできない。
けれど、確かにそこにある。
王、と呼ばれたことがある。
その言葉に含まれる意味を、彼はよく知らない。
ただ、それは誰かの期待であり、
同時に、誰かの諦めでもあった。
⸻
ある場所で、歌が聞こえた。
それは、街のどこにも似つかわしくないほど、
静かで、遠い音だった。
彼は、足を止めた。
止めた、というよりも、
それ以上進む理由が、ふと消えたのかもしれない。
⸻
少女が、ひとりで歌っていた。
観客はいない。
拍手もない。
それでも彼女は、歌うことをやめなかった。
歌は、言葉を持っているはずなのに、
彼には意味として届かなかった。
ただ、音の連なりとして、
胸のどこかに沈んでいく。
それは、慰めにも似ていたし、
責められているようでもあった。
⸻
「なぜ、歌う」
気づけば、そう口にしていた。
少女は振り返らない。
少しだけ、息を整えるような間があってから、
言葉が返ってきた。
「消えないものがあるから」
それだけだった。
⸻
彼は、その言葉の続きを考えた。
消えないもの。
それが何を指すのか、わかっている気がした。
自分の中にも、同じものがある。
捨てたはずの選択。
救えなかった誰か。
取り戻せない時間。
それらは、消えない。
どれだけ遠くへ行っても、
同じ距離でついてくる。
⸻
歌は、まだ続いている。
彼は、その場に立ったまま、動かなかった。
何かが変わるわけではない。
世界は依然として壊れたままで、
彼が背負っているものも、軽くはならない。
それでも、ほんのわずかに、
重さの感じ方が変わった気がした。
⸻
歩き出す。
夜は、ようやく完全に落ちていた。
暗闇は、すべてを隠すようでいて、
本当は何も隠さない。
彼は、その中を進む。
見えない冠を、そのままにして。
外そうとすることも、
軽くしようとすることもなく。
ただ、それがあることを認めながら。
⸻
罪は、消えない。
だが、それでも人は、
それを抱えたまま歩くことができる。
歩くことしか、できないのかもしれない。
⸻
遠くで、まだ歌が続いている気がした。
振り返ることはなかった。
それでも、その音は確かに、
彼の中に残っていた。