『虹の小径(こみち)』
七色の虹の トンネルをくぐる
光は音になり 音は夢になる
赤は情熱の風 私の背を押し
橙は笑う陽だまり 小さな希望を包む
黄は忘れかけた手紙の匂い
緑は遠くの森の囁き
青は誰かの瞳に似た静けさ
藍は夜の深さに染まり
紫は約束を抱いて揺れる
靴音はやがて消え
私はただ 光と影の間を漂う
時間も名前もない世界で
あの頃の私に そっと出会う
虹の果てには 何もない
それでも私は 歩いてゆく
七つの色に 心を委ねて
もう一度 自分を取り戻すために
『好きになる理由 ―猫の見た春の日―』
あたたかい午後だった。
縁側に横たわって、ぼくはおばあちゃんの膝を見ていた。
昔より少し細くなって、骨ばった手。でも、その手はいつも優しくて、ぼくの背をなでてくれる。
「ねえ、おばあちゃん」
ふと、ぼくは声をかけた。にゃあと鳴いたつもりが、言葉になっていた。
「女性はさ、男のどこを好きになるの?」
おばあちゃんは驚かず、ただ湯呑に口をつけて、小さく笑った。
「猫って、ほんと不思議ね。そういうことを、聞いてくるんだから。」
ぼくは体を起こして、くるりと尻尾を巻いた。
ただ、知りたかった。人間って、どうして誰かを好きになるんだろう。
「若い頃の私はね――」
おばあちゃんの声は、懐かしい風みたいだった。
「かっこいい人が好きだったのよ。黙ってても凛としてて、周りから一目置かれるような人。でもね、結婚したのは、真逆だった。」
おばあちゃんの目が、遠くを見ていた。
その目が、少しにじんでいる気がした。
「背が低くて、おっちょこちょいで、手が不器用で。でもね、いつも私の心配をしてくれた。私の好きな花を、こっそり覚えて買ってきてくれたり、足が痛いって言えば、黙って足を揉んでくれたりね。」
ぼくは、おばあちゃんの膝にそっと頭を乗せた。
その優しい手が、またぼくの背中をなでる。
「でもね、気づくのが遅かったの。
私、その人がもういなくなってから、やっと気づいたのよ。
私が本当に好きだったのは、格好じゃなくて、あの人のぬくもりだったって。」
風が吹いて、桜の花びらが一枚、おばあちゃんの白髪に落ちた。
ぼくは聞いた。
「おばあちゃん、今でも、その人のこと……好き?」
おばあちゃんは、少し笑って、うん、と頷いた。
「ええ。今でもね。
誰よりも、あの人の声を、夢で聞きたいって思ってるのよ。」
ぼくはそのまま、目を閉じた。
おばあちゃんの膝の上、春の陽の中、ぬくもりの記憶の中で。
この人が生まれ変わったら、またあの人と出会えますように。
もし出会えなかったら、ぼくがもう一度、そばにいて、こう聞いてあげる。
「ねえ、おばあちゃん。女性は男のどこを好きになるの?」
そのたびに、おばあちゃんはまた、あの人のことを思い出すだろう。
ぼくはそれが、ちょっとだけ誇らしい。
『街角の天体観測』
「ねえ、知ってる? この街って、実は宇宙船だったんだよ」
唐突にそんなことを言い出したのは、幼なじみの澄花だった。放課後、商店街の端っこにある団子屋の軒先で、二人並んで座っているときのことだった。
「え? 宇宙船?」
「そう。気づいてないだけで、私たちはずっと宇宙を旅してるんだよ」
彼女は自信満々にそう言って、冷めた団子を一口かじった。
よくわからないが、澄花が言うと妙に説得力がある。彼女はこの街で一番の変わり者だったけど、なぜかいつも話に引き込まれるのだ。
「それならどこに向かってるのさ」
「そりゃあ、どこか遠くの星に決まってるじゃん。ほら、あそこの時計屋さん、じつは宇宙の時刻を測るための基地でさ」
「あそこ、ただの修理屋だよ」
「いやいや、見た目はそうだけど、本当は……」
また始まった。澄花の「この街は何かの秘密を隠している」シリーズ。昨日は「実はこの商店街は忍者の訓練場だった」とか言っていた気がする。
まあ、そんな話を聞きながら団子を食べるのも悪くない。
***
この街は、時間がゆっくり流れる。いや、止まっているようにさえ感じる。
朝になれば、学校へ行って、授業を受けて、帰りに駄菓子屋でお菓子を買う。
夕方になると、商店街は少しだけ賑やかになり、夜には家の窓からテレビの明かりがこぼれる。
毎日が、昨日と同じようで、ほんの少しだけ違う。そんな日々の中で、澄花はいつもふざけたことを言って、私を笑わせてくれる。
「いつか、本当に宇宙に行ってみたいな」
ある日、商店街の屋上に寝転がって、彼女がぽつりとつぶやいた。
「行けるわけないじゃん」
「そんなことないよ。行きたいって思えば、どこへだって行ける」
「……そういうもの?」
「そういうもの」
彼女はそう言って、星空を見上げる。
私はそんな彼女を見つめていた。
***
澄花はいなくなった。
ある日、突然に。
引っ越しだった。聞いたときは信じられなくて、彼女の家まで駆けつけたけど、もうもぬけの殻だった。
商店街を歩いても、どこにも澄花はいない。団子屋の前で座ってみても、隣には誰もいない。時計屋の前を通っても、もう「宇宙の時刻」とやらの話は聞こえてこない。
街は変わらないままだった。
だけど、私は変わってしまったのかもしれない。
澄花がいないと、街はただの街だった。
「この街は宇宙船なんだよ」
そんな彼女の言葉を、ふと思い出す。
「だったら、きっと今もどこかを旅してるんだよね」
どこか遠くの星に向かって、見えない宇宙船の中で。
私はそっと、空を見上げた。
いつもと変わらない夜空なのに、澄花がいた頃より、少しだけ遠くに感じた。
『心の庭に蒔く種』
静かな時の中で
人はふと立ち止まる
遠い昔を想い
もしも、と自らに問いかける
14世紀に生まれたとしても
きっと僕は僕であっただろう
指先で言葉を紡ぎ
木に触れ、土に触れ
物語を語り続けたに違いない
時代は巡りゆく
けれど変わらないものがある
苦しみも、迷いも
幸せを願うその心も
幾度も誰かが通った道
だからこそ知識を求め
だからこそ環境を育て
心地よい居場所を
自らの手で描いてゆく
小説を書くために
物語を愛するために
新しい風景を
心の庭に少しずつ植えていく
焦らず、ゆっくり
環境を育てよう
その種は、いつか
鮮やかな花を咲かせるだろうから
「星の輝く夜に」
夜の帳がそっと降りて
静寂が世界を包み込む
瞬く星は遠い記憶のように
胸の奥で語りかける
ひとつ、ふたつ、またひとつ
願いの光が流れてゆく
風に溶ける囁きのように
消えてはまた生まれる星たち
果てしない宇宙の片隅で
私たちもまた、輝きを探している