残照の祈り
過ぎ去った日々に
言葉を置き忘れたまま
振り返れば ただ静かな影だけが
長く伸びている
太陽の色は 沈みゆき
未練を抱えた残照となって
胸の奥に 痛みと温もりを
同時に刻み込む
もしもう一度 あの日に戻れたなら
違う自分を生きられたのだろうか
答えのない問いを抱きながら
筆をとるしかない
それでも願う
この切ない光が
未来の誰かの窓辺に届き
小さな明かりとなるように
静かな机の上に
白い紙と黒い影
筆をとる音だけが
一日の呼吸を刻む
窓の外 太陽の色が
やわらかく差し込み
心の奥に沈んだ過去も
光に溶けていく
間違いも 悔いも
すべてはこの穏やかな日常に
ゆるやかに溶け込み
新しい物語の種となる
今日もまた
筆先に宿る太陽の色で
自分を照らし
誰かの明日をあたためる
初めはただ、
流れを目に映し、
師の背を追うのみ。
それが見習い。
やがて、
言われしことを形にし、
拙きながらも務めを果たす。
それは半人前。
さらに進めば、
己の知恵を働かせ、
自ら考え、道を選ぶ。
それこそ一人前。
そして最後に至れば、
人を育て、仕事を残し、
己を越える者を生み出す。
それを名人と呼ぶのだ。
工場という場所は、なぜか「変な人の見本市」みたいになっている。
最初は「ここには変人が多いな」と思っていた。自分も昔から「変わり者」と言われてきたから、まあ同族に囲まれた感じで悪くないじゃないか、と。だが数ヶ月もすれば分かってくる。彼らは変人ではない。ただのおかしな人たちなのだ、と。
「変人」という言葉は、ある意味で褒め言葉だ。突拍子もないけれど独創性がある人、世間の常識にとらわれず自分の道を行く人。ちょっと変わっているけど、憎めないし、むしろ刺激をくれる存在。だが工場にいる人たちの多くは、その範疇には収まらない。
例えば、ネジを締める手を止めては延々と上司の悪口を垂れ流す人。昼休みになると必ず謎の健康法を語り出す人。人が困っているのを見ると妙にテンションが上がる人。これらは「個性」ではない。ただの「おかしな習性」だ。変人というより「工場奇人」とでも呼んだ方がしっくりくる。
そのことに気づいてから、逆に私は安心した。自分は彼らのように「ただおかしい」のではなく、少なくとも「変人」の領域に片足を突っ込んでいる。奇妙さの中にも筋がある、と信じられるだけマシだ。
結論を言えば、工場は変人の集まりではない。もっと単純に、世間の常識からちょっと外れた「おかしな人たち」の動物園だ。そしてその中で、「変人」として霞んでしまうどころか、むしろ相対的にまともに見えてしまう自分がいる。なんとも皮肉な話である。
あるカフェでのこと。
彼女はコーヒーを頼んだ。
彼はカフェラテを頼んだ。
店員がカップを置いた瞬間、彼女がひとこと。
「えっ、それ私のじゃない?」
彼は慌ててカップを見て、真顔で答えた。
「いや、ラテアートがハートだから、きっと君のだよ」
彼女は笑って返した。
「違うよ、私ブラックコーヒー派だもん」
ふたりは顔を見合わせて、同時にクスッ。
結局、入れ替えて飲むことになった。
そして最後に彼がぽつり。
「でも、結婚したらこうやって料理も間違えて取り合うんだろうね」
彼女はまたクスッと笑った。
「じゃあ、最初から“ふたり分け合うメニュー”にしたらいいんじゃない?」
カフェの隅で、コーヒーとラテよりも甘い空気が漂っていた。