YUYA

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4/17/2025, 10:26:53 PM

『罪の名を呼ぶ教会で』

――第三章「救いそこねた最後の声」



外の雪は止んでいた。
でも教会の中はまだ、どこか冷えていた。
それは気温のせいではなくて、きっと、
僕たちの中に、まだ溶けないものがあるからだと思った。

茉白が火を起こし、僕はその前に座っていた。
お湯の沸く音が、教会の静けさをわずかにかき混ぜていた。

「律くん」
彼女が、ぽつりと僕を呼んだ。

「昨日、私が話したから……
 今日は、君の番だよ」

僕は少しだけ目を伏せて、そしてゆっくりと話し始めた。

「葉月って子がいたんだ。
 クラスでも目立たない子で、でも、どこか気になる子だった。
 休み時間に本を読んでたり、ひとりで空を見てたり――
 たまに、僕にも話しかけてきてさ。
 ……ある日、放課後に“話したいことがある”って言われたんだ」

僕の声は震えていた。
でも、話すのをやめたくなかった。

「図書室で、彼女は泣いてた。
 いじめられてること、家でも誰にも見てもらえないこと、
 “生きてる意味がわからない”って――」

マグカップの中のお湯が揺れた。
それは、僕の指が震えていたからだ。

「何も言えなかったよ。
 “頑張って”も、“通報しよう”も、全部言いかけて……飲み込んだ。
 間違ったこと言ったら壊れそうで。
 自分に、そんな責任持てないって思って」

茉白は黙って聞いていた。
僕はそれが、ありがたかった。

「それでも彼女は、最後に笑って“ありがとう”って言った。
 ……その翌朝、彼女、ビルの屋上から飛び降りた。
 何も言わずに。
 でも、あの“ありがとう”が、きっと最後の言葉だったんだ」

そこまで言ったところで、言葉が途切れた。
胸の奥が、ぎゅっと痛んだ。

「僕は、救えなかった。
 誰かが助けてって言ってたのに、手を伸ばせなかった。
 何もしなかった。
 ……それって、もう殺したのと変わらないよな」

その言葉を口にした瞬間、心の底に沈めていた罪悪感が、ゆっくりと浮かび上がってきた。

茉白はそっと僕の隣に座った。
あたたかい手が、僕の指先に触れる。

「律くん」
彼女は、静かに言った。

「私は、自分の手で命を奪った。
 君は、手を伸ばせなかった自分を責めてる。
 でもね、どちらも、同じくらい苦しい。
 それに――君がその子を忘れない限り、
 あの子は“ちゃんと届いた”ってことになると思う」

僕は、顔を伏せたまま涙をこらえた。
でも、それでも流れてきた。

「茉白は、忘れたくない過去ってある?」

「……忘れたいって思ったことはあるよ。
 でも、忘れちゃいけないって思った。
 その人がいた証だから。
 たとえ“罪”だったとしても、
 その人の命を、この世界から消してはいけないと思ったから」

僕の胸の奥が、少しだけ、やわらかくなった気がした。

救えなかった痛みを誰かに話せたのは、これが初めてだった。
許されたわけじゃない。何も解決してない。
でも、「ここにいていい」と思える場所が、
この世界のどこかにあるかもしれないと思えた。

そして今、その“どこか”が、ここなのかもしれなかった。

4/15/2025, 11:15:58 AM

『罪の名を呼ぶ教会で』

――第二章「灯りの届かない夜」



外は風の音だけが鳴っていた。
雪はいつの間にか強くなっていて、教会の窓に当たる粒が、乾いた音を立てていた。

茉白と僕は、ろうそくの小さな明かりのもとで、
毛布にくるまりながら、ほとんど言葉も交わさずに時間を過ごしていた。

彼女は、火の揺らぎをじっと見つめていた。
まるで、その揺れが記憶を照らすのを待っているみたいに。

「……話すつもりなんてなかったんだけどね」
ぽつりと、茉白が呟いた。

「誰かに、自分の過去を。
 ……でも、律くんなら、聞くだけはしてくれる気がした」

僕は、黙って頷いた。

それは“慰めてほしい”とか“許してほしい”とかじゃない。
ただ、ちゃんと受け取ってほしいというような、
彼女の静かな決意がにじんでいた。

「私、ね――」
茉白は言った。

「好きだったの。ひとりの人を、すごく。
 初めて、自分が誰かに必要とされてるって思えて。
 その人といると、息ができるような気がした」

彼女は、一瞬だけ目を閉じた。

「……でも、その人、ある日突然、ひどくなったの。
 言葉も、手も。
 最初は“私のせい”だって思って、我慢した。
 でも、違った。どんなに愛してても、
 人は壊れていくんだって、気づいた」

僕の胸に、重いものが落ちる。

それでも、目を逸らしたくなかった。
誰かの苦しみが“重いから”なんて理由で、無視してきた自分の過去と、向き合いたかった。

「……ある夜、私は彼を突き飛ばしたの。
 階段から落ちて、頭を打って。
 ……それで、終わり。突然。あっけなく」

彼女は泣いていなかった。
でも、泣いている人よりも、ずっと悲しそうだった。

「それが、“殺した”ってことなのかは、わからない。
 でも、私は、もう普通には戻れない。
 “誰かの命を終わらせた”という現実が、
 私の名前に、重なってしまったから」

僕は、何も言えなかった。
言葉なんて、安っぽくて、軽すぎて、今の茉白には届かない。

でも――

「ねぇ、律くん」
彼女がふと、僕の方を向いた。

「それでも、私、まだ生きてる。
 生きちゃってる。
 ……こんな私でも、生きてていいのかな?」

その問いに、僕は答えられなかった。
でも、同じように思ってた。
「こんな自分でも、生きていていいのか?」って。

僕たちは似ていた。
罪の重さは違う。
過去も違う。
でも、“もういらないって思われた自分”に、
どこかで折り合いをつけようとしていた。

だから、答えは出せなくても――
僕は、そっと彼女の横に座り直した。

彼女は、言葉じゃない“それ”を感じて、少しだけ目を細めた。

その夜、ふたりで見上げた教会の天井は、崩れかけていたけれど、
小さな光が、どこかから入り込んでいた。

それはまるで――
壊れた屋根だからこそ見える、星の光のようだった。

4/13/2025, 2:40:58 PM

『罪の名を呼ぶ教会で』

――第一章「雪の下で待つ人」続き



彼女の言葉が空気を割ったあと、しばらくのあいだ、沈黙が降りた。

「私は、人を殺した。」

普通なら、その一言で逃げ出してもおかしくなかった。
けれど僕は、逃げなかった。というより、逃げる気力すらなかったのかもしれない。

教会の中は、外よりも静かだった。
風の音すら遠ざかって、時が止まっているようだった。
まるでこの場所が、罪も痛みも飲み込んで、封じているみたいだった。

「……怖くないの?」
彼女がそう言った。
僕に背を向けて、ロウソクの残骸を指で弄びながら。

「わからない」と僕は答えた。
「怖いっていうのも、最近よくわからなくて。
 でも……君のこと、ちゃんと知りたいと思った」

少女はゆっくりと僕の方を振り向いた。
その目は、泣いてもいないのに、どこか濡れて見えた。

「名前、教えてくれる?」

「……律。栗原律」

「律くん。……私は茉白。白い真実って書いて、ましろ」

「皮肉な名前だね」と僕は言ってしまった。
でも、彼女はふっと小さく笑った。
それが、どこか救われたような笑みに見えて、僕の胸が少しだけ熱くなった。

「ねえ、律くん」
彼女は床に敷いた古い毛布を指差して、言った。
「そこ、座って。きっと、もうすぐ雪が強くなる。……今日は泊まっていって」

泊まる? この場所に? この、人を殺したという少女の傍に?

けれど、もう一度教会の外に出て、冷たい夜の中に戻る気にはなれなかった。
誰にも見つけられずに消えたかったはずなのに、
なぜだか今、ここにいてもいいような気がした。

僕はゆっくりと茉白の隣に腰を下ろした。
彼女の髪が、少しだけロウソクの香りを纏っていた。

その夜、僕たちは何時間も話した。
時には沈黙しながら、それでも、
“話す”という行為を通して、
少しずつ、少しずつ、自分を思い出していった。

4/13/2025, 4:48:53 AM

『罪の名を呼ぶ教会で』

――第一章「雪の下で待つ人」


「死にに来たの?」

その言葉は、まるで冷たい水のように、僕の胸に落ちた。
熱を奪うのではなく、麻痺していた感情を一瞬で覚まさせるような冷たさだった。

なんでそんなことを、あんなに静かに言えるんだろう。
なんで、そんなに当たり前のように。

僕はまだ、ちゃんと決めていなかった気がする。
ただ、歩き疲れて、寒くて、どこにも帰りたくなくて、
気づいたらここに来ていただけで――
「死にたい」なんて、そんな強い言葉を使えるほど、
僕の中には確かなものなんてなかった。

でも、「生きたい」なんて言葉も、もうとうの昔に失くしていた。

僕は何も答えられずに、ただ立ち尽くしていた。
少女は、動かない。こちらに歩み寄りもしないし、追い出そうともしない。
まるで、ずっとそこにいることが自然で、
僕が来ることも、予感していたかのような眼差しだった。

どこかで見たことがあるような瞳だと思った。
テレビの画面越しに見る戦場の子どもたち、
誰かを亡くした人の目、
あるいは、昔、鏡に映っていたはずの自分の目――
そういう類いのものだった。

怖かった。でも、逃げなかった。
たぶん、逃げる理由もなかった。

「……君は、誰?」

かろうじて出せた声は、自分でも情けなくなるほど弱かった。
でも、それでも話したかった。
話すことが、生きてることの証明みたいに思えたから。

彼女は少し間を置いて、ふと目を伏せた。
そして、低く、乾いた声で言った。

「……私は、人を殺した」

心臓が、どくんと跳ねた。

でも――怖いと思うよりも先に、
なぜか、「ああ」と、納得するような感覚があった。

そうか。
この静けさは、その重さだったんだ。
人の命を奪ったことがある人間だけが持つ、
消えない沈黙の色だったんだ。

僕は、立ったまま、何も言えなくなった。
でもその沈黙は、もう寒くなかった。

4/12/2025, 8:35:48 AM

『罪の名を呼ぶ教会で』

――第一章「雪の下で待つ人」



足元の雪が、ざくり、と音を立てた。
白と灰の世界を、ひとりで歩いている。
冷たいのに、痛くない。感覚がもう、遠い。
そんなことに気づくのは、ふと立ち止まってしまったときだった。

人生の終わらせ方なんて、本当は知らない。
ただ、「もういいや」と思っただけだった。
家に帰らず、誰にも行き先を告げずに、
気づけば山の中を彷徨っていた。

そして、そこにあったのは、
黒く、ひっそりとたたずむ廃教会だった。

屋根には雪が積もり、十字架も傾いている。
扉は半分外れ、まるで「どうぞ」と言っているように思えた。

ここでいい。
ここなら、誰にも見つからない。
誰にも迷惑をかけない。
そんな風に思ったのは、ある種の自己満足だったかもしれない。

扉を押すと、軋んだ音とともに冷たい空気が流れ込んできた。
でも、その中に、ほんのわずかだけ、温もりの気配があった。

――人の、気配だ。

「……誰?」

声がした。
少女の声。
静かで、乾いていて、でも、何かを閉じ込めている声だった。

驚いて振り返ると、
奥の方、倒れたベンチの影から、
黒い上着を羽織った少女が、こちらを見つめていた。

その目には、驚きも、警戒もない。
ただ、ずっとそこにいたような、そんな目。

「……死にに来たの?」

彼女はそう言った。
まるで、すでに何人もの“そういう人”と出会ってきたかのように。

僕は何も答えられなかった。
なぜならその問いは、まさしく、
僕自身がまだ言葉にできなかったことだったからだ。

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