YUYA

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5/13/2025, 8:29:15 AM

拝啓 過去の私へ


静かな午後、窓辺でふと君のことを思い出しています。
どうしているだろう。あいかわらず、不器用に悩んだり、自分を責めたりしていないだろうか。

今日は、君に伝えたいことがあって、こうして手紙を書いています。

君はずっと、「人と違うこと」を恐れていたね。
浮かないように、傷つかないように、何度も自分を抑えた。
けれど今の私は言えるよ。
その「違い」こそが、君の美しさだった。
誰にも見つけられなかったものを見て、言葉にできなかった感情を丁寧に抱えようとした、
その静かな力が、何より君らしかった。

一方で、君は自分を褒めることをほとんどしてこなかったね。
いつも「まだまだだ」と言って、前だけを見つめていた。
でも、あの日の小さな一歩や、静かに誰かを思いやった優しさは、
もっと大切にしていいものだった。
私は今、君の過ごした時間を、心から誇りに思っているよ。

もし時を戻せるなら、私は君に伝えたい。
もっと「好き」を大事にしていい。
誰に認められなくても、誰の期待に応えられなくても、
「やりたいからやる」で、十分なんだ。

それからもうひとつ。
人に頼っていい。弱さを見せても、誰も君を嫌ったりしない。
強くあろうとすることも尊いけれど、柔らかくなることも、同じくらい勇気のいる選択なんだよ。

君が過ごした日々は、決して無駄じゃなかった。
むしろ、あの時間があったからこそ、今の私はこうして穏やかに生きていられる。

ありがとう。
そして、どうかこれからの時間は――君自身のために使ってほしい。
好きなことをして、心のままに生きていい。
それが、人生のほんとうの豊かさだから。

いつかまた会おう。
きっと、君は君のままで、やさしく歳を重ねていくから。

敬具
80歳の自分より

5/12/2025, 12:17:15 AM

掌に小さなカメラを握りしめ、
歩くたびにレンズは揺れる。

「これが私だ」と映すたび、
映るのは昨日の私。

川は今日も流れているのに、
映像の中の水は、止まったままだ。

そうして私は気付く。
フィルムを回す手を、一度そっと下ろしてみる。

風は、映さずとも吹いている。
光は、語らずとも射している。

「私」はきっと——
物語になる前の、名もないこの瞬間にだけ、
確かに息をしている。

5/11/2025, 1:07:57 AM

『老いの窓辺にて』

世界はとうに知り尽くしたと、
薄い茶の湯をすすりながら思う。

春は過ぎ、
夏はただ眩しすぎて、
秋は遠く、
冬の手前で少しだけ立ち止まる。

窓辺には一匹の猫、
名を呼んだ覚えはないが、
いつの間にか隣にいる。

「お前もか」と声に出せば、
しっぽだけで返事をする。

人生は、
大層なものではなかったが、
こうして今日も、
風が揺れている。

――それだけで、まあ、悪くはない。

4/17/2025, 10:26:53 PM

『罪の名を呼ぶ教会で』

――第三章「救いそこねた最後の声」



外の雪は止んでいた。
でも教会の中はまだ、どこか冷えていた。
それは気温のせいではなくて、きっと、
僕たちの中に、まだ溶けないものがあるからだと思った。

茉白が火を起こし、僕はその前に座っていた。
お湯の沸く音が、教会の静けさをわずかにかき混ぜていた。

「律くん」
彼女が、ぽつりと僕を呼んだ。

「昨日、私が話したから……
 今日は、君の番だよ」

僕は少しだけ目を伏せて、そしてゆっくりと話し始めた。

「葉月って子がいたんだ。
 クラスでも目立たない子で、でも、どこか気になる子だった。
 休み時間に本を読んでたり、ひとりで空を見てたり――
 たまに、僕にも話しかけてきてさ。
 ……ある日、放課後に“話したいことがある”って言われたんだ」

僕の声は震えていた。
でも、話すのをやめたくなかった。

「図書室で、彼女は泣いてた。
 いじめられてること、家でも誰にも見てもらえないこと、
 “生きてる意味がわからない”って――」

マグカップの中のお湯が揺れた。
それは、僕の指が震えていたからだ。

「何も言えなかったよ。
 “頑張って”も、“通報しよう”も、全部言いかけて……飲み込んだ。
 間違ったこと言ったら壊れそうで。
 自分に、そんな責任持てないって思って」

茉白は黙って聞いていた。
僕はそれが、ありがたかった。

「それでも彼女は、最後に笑って“ありがとう”って言った。
 ……その翌朝、彼女、ビルの屋上から飛び降りた。
 何も言わずに。
 でも、あの“ありがとう”が、きっと最後の言葉だったんだ」

そこまで言ったところで、言葉が途切れた。
胸の奥が、ぎゅっと痛んだ。

「僕は、救えなかった。
 誰かが助けてって言ってたのに、手を伸ばせなかった。
 何もしなかった。
 ……それって、もう殺したのと変わらないよな」

その言葉を口にした瞬間、心の底に沈めていた罪悪感が、ゆっくりと浮かび上がってきた。

茉白はそっと僕の隣に座った。
あたたかい手が、僕の指先に触れる。

「律くん」
彼女は、静かに言った。

「私は、自分の手で命を奪った。
 君は、手を伸ばせなかった自分を責めてる。
 でもね、どちらも、同じくらい苦しい。
 それに――君がその子を忘れない限り、
 あの子は“ちゃんと届いた”ってことになると思う」

僕は、顔を伏せたまま涙をこらえた。
でも、それでも流れてきた。

「茉白は、忘れたくない過去ってある?」

「……忘れたいって思ったことはあるよ。
 でも、忘れちゃいけないって思った。
 その人がいた証だから。
 たとえ“罪”だったとしても、
 その人の命を、この世界から消してはいけないと思ったから」

僕の胸の奥が、少しだけ、やわらかくなった気がした。

救えなかった痛みを誰かに話せたのは、これが初めてだった。
許されたわけじゃない。何も解決してない。
でも、「ここにいていい」と思える場所が、
この世界のどこかにあるかもしれないと思えた。

そして今、その“どこか”が、ここなのかもしれなかった。

4/15/2025, 11:15:58 AM

『罪の名を呼ぶ教会で』

――第二章「灯りの届かない夜」



外は風の音だけが鳴っていた。
雪はいつの間にか強くなっていて、教会の窓に当たる粒が、乾いた音を立てていた。

茉白と僕は、ろうそくの小さな明かりのもとで、
毛布にくるまりながら、ほとんど言葉も交わさずに時間を過ごしていた。

彼女は、火の揺らぎをじっと見つめていた。
まるで、その揺れが記憶を照らすのを待っているみたいに。

「……話すつもりなんてなかったんだけどね」
ぽつりと、茉白が呟いた。

「誰かに、自分の過去を。
 ……でも、律くんなら、聞くだけはしてくれる気がした」

僕は、黙って頷いた。

それは“慰めてほしい”とか“許してほしい”とかじゃない。
ただ、ちゃんと受け取ってほしいというような、
彼女の静かな決意がにじんでいた。

「私、ね――」
茉白は言った。

「好きだったの。ひとりの人を、すごく。
 初めて、自分が誰かに必要とされてるって思えて。
 その人といると、息ができるような気がした」

彼女は、一瞬だけ目を閉じた。

「……でも、その人、ある日突然、ひどくなったの。
 言葉も、手も。
 最初は“私のせい”だって思って、我慢した。
 でも、違った。どんなに愛してても、
 人は壊れていくんだって、気づいた」

僕の胸に、重いものが落ちる。

それでも、目を逸らしたくなかった。
誰かの苦しみが“重いから”なんて理由で、無視してきた自分の過去と、向き合いたかった。

「……ある夜、私は彼を突き飛ばしたの。
 階段から落ちて、頭を打って。
 ……それで、終わり。突然。あっけなく」

彼女は泣いていなかった。
でも、泣いている人よりも、ずっと悲しそうだった。

「それが、“殺した”ってことなのかは、わからない。
 でも、私は、もう普通には戻れない。
 “誰かの命を終わらせた”という現実が、
 私の名前に、重なってしまったから」

僕は、何も言えなかった。
言葉なんて、安っぽくて、軽すぎて、今の茉白には届かない。

でも――

「ねぇ、律くん」
彼女がふと、僕の方を向いた。

「それでも、私、まだ生きてる。
 生きちゃってる。
 ……こんな私でも、生きてていいのかな?」

その問いに、僕は答えられなかった。
でも、同じように思ってた。
「こんな自分でも、生きていていいのか?」って。

僕たちは似ていた。
罪の重さは違う。
過去も違う。
でも、“もういらないって思われた自分”に、
どこかで折り合いをつけようとしていた。

だから、答えは出せなくても――
僕は、そっと彼女の横に座り直した。

彼女は、言葉じゃない“それ”を感じて、少しだけ目を細めた。

その夜、ふたりで見上げた教会の天井は、崩れかけていたけれど、
小さな光が、どこかから入り込んでいた。

それはまるで――
壊れた屋根だからこそ見える、星の光のようだった。

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