人魚
ガリガリと、赤い鱗のような肌を粉が舞うほど掻いた。
油断してはならない。本当は掻きむしるべきでも無かった。
赤ん坊のころベビーパウダーすらも拒絶した肌は15歳になった今も、薬局の化粧水を拒んでいる。
顔はうねうねと攀じるミミズのように腫れ、一部には象のような瘡蓋ができていた。
皮膚科の薬を擦るように塗る。じんじんと熱い痛みが気休め程度に和らいだ。
しかしそれにすら無性に腹が立つ。
強く手を握りまた開き、掻き毟りたい衝動を苛々とした感情に変えた。
開いた手のひらは仄かに色づいている。
いま全身は真っ赤なのではと思うと、薄く笑いが込み上げてきた。
上がった口角は頬の荒れた皮膚を引きずる。
ぽたりと液体が垂れたのは無意識で、頬を伝う海のような塩水は、ピリピリと肌を痛めつけた。
モナリザ
蜂蜜のような目のロリータ服の少女を、舐めるように見つめた。今少女は私と全くの別物となり、私の仄暗い嫉心が唆されるのを感じた。絵に嫉妬だなんて間違っている。しかし同時に私は常に正しくもあった。私がこの少女を描いたというのは正しい私への罰としか言いようがない。憎しみが込められるほど甘く光る絵の女に私は酷く息苦しさを感じた。どこをとっても可愛らしい。そんな姿のために私は少女を描いたはずなのに、その姿は私を夢のように圧迫していた。これだから可愛い女の子は、描いていて苦しかった。
皺
山脈のような手だった。きめ細かな皺が生き生きと根を張るように全身に伸びている。
おばあちゃんの手が好きだ。
小さい頃にあれやこれやと指を指してもらってはものの名前を覚えた記憶がある。
私は生粋のおばあちゃん子であるので、おばあちゃんよりもとても身長が高くなった今でもソファに寝そべってはよく撫でてもらう。
おばあちゃんの水を弾くような皮が張った手は、触っても擦れるだけで、そこにはわずかな心地よさしかない。
しかし私の頭を下から上へと撫でる手の感覚にひどく重さを感じた。
同時に、その重みと無意識の甘えがでるこの時間にまたひどく落ち着きを感じていた。
うつらうつらとしながら語りかける。学校のこと、部活のこと、文章のこと。
祖母は昔小説を書いていたらしい。井上ひさしに一度文章を褒められたという話をうんと自慢げに、私へと言って聞かせた。
暫くして私が
「おばあちゃんは、また文章は書かないの?」
と尋ねた。その時の遥か遠くを見つめた祖母の目をよく覚えている。リビングの扉よりも、またその先の玄関よりも遠く、亡くなった曽祖母よりは近いところ。
少し掠れた呟くような声で
「おばあちゃん、もう疲れちゃったからねえ。人生に。」
と、そう答えたおばあちゃんの手はまだ脈々と生が流れておりまた負けないくらいの皺があった。
そしてその後から、私はおばあちゃんの手を見るたびに少し違った寂しい予感を感じさせられるのだった。
夢のはなし
もう二度と試験は受けたくないけれど、会場から出て顔を上げた瞬間の空ががあまりにも澄んでいたのを覚えている。多分あの時の好きな人もそうだった。きっと彼も私と同じ空を見上げて他のことなんて考えず解放されていたのだ。ロイヤルブルーの空は貴方によく似合う。小学生の頃の話だ。今思えば、あの恋がゆるやかにゼロに向かっていったと共に私の中での何かが変わったと思う。それは小学生というあまりに幼い時から、高校生という子供の余韻を残した日々に移り変わるには必然だったのかも知れない。
恋の話をしよう。小学校の頃の私は輝いていたもので、テストでは100点を取り跳び箱を飛べば10段というような日々だった。もう何年生の話かは覚えていない。プライドが高かった。というより、無邪気に自分はなんでも出来ると思っていたから毎日を光るように過ごした。光るように人を好きになった。同じクラスの、塾も同じ男の子。なぜだかその人の笑顔が好きで、訳もわからず掃除の時間に話しかけてもらうように近くにいた。それも確かコツがあって、床拭きのタイミングを合わせる事で雑巾絞りの時同じバケツの近くに居るようにしていたのだ。その時私が図々しく下の名前を呼んだものだから、ちょっと驚かれてそれがもっと好きにさせた。
悲劇は起こらなかったが、変化は起こる。私が塾を休み始めたのだ。次第には学校も行かなくなった。なんでだろうな、多分受験になんだか疲れちゃったのだと思う。今も疲れている。彼との思い出もそこら辺の時期が最後だった。正確に言えば、卒業式でも少し話した気がしなくも無いのだがなんだか私にとって残っているのはそこら辺であった。
不登校になってから半年後くらいのこと。運動会の見学でもう一人学校にあまり通っていない、後の親友と保護者席に座っていた。必死で準備体操をする同級生を目に入れて変な気持ちになっていたものだ。自分がそっちに居ない事が、必然だけれど不思議だったから。そんな私を置いて皆んなは走る。校庭を2周するのが懐かしい。6年生の男子は3周するからちょっと大変だった。もう私はずっと好きな人を眺めることしかできなくて、それがある種の幸せを感じさせた。そんな時、好きな人が手を振ってくれたのだ。私に向かって。どうして嬉しいって言葉が出なかったんだろう。多分小学生の私の気持ちが言葉を追い越していた。それが1番最後の記憶で、大切な思い出。それから先は私の未練のような彼の残像のような記憶でしかなくて、なんだか悔しくさせるのだ。といってもその後5年ほどは出会いも無くやっぱりその人を思い続けていたので、随分とまあ、陰湿な女になったものだ。私も。
光るように人を好きになったあの時の私はもう居ない。それが意味するのは恋だけでなくあの無邪気な日々も思い出させた。思い出は美化されると誰かに言ってもらいたいものだ。もう少し悪い記憶でないと今の自分が悲しく思えてしまうから。でもやっぱりあの時の自分は眩しいもので、良いところだけ見ていたい気もした。複雑な乙女心である。
今も小学生の好きな人を思い出す。笑った時の目が眼鏡とよく似合っていた男の子。小学生の彼を高校生の私が引きずっているとしたら心底気持ち悪い話である。もう恋では無い。全く恋心は無いのだ。きっと彼は私の小学校時代の象徴だった。あの輝かしい日々の。彼を思い出す度恋心がなくなっていく度、憧れがどんどん捩れていったような感情が積もっていく。醜い話である。そうして出来た高校生の私がまた彼を思い出す。あの時、手を振ってくれてありがとう。
さっきテレビの切り抜きが流れてきたんだけどその中で田舎に住んでるお調子者の女の子が「東京の人なんですか!?すげーっ!」って言ってて、少しして田舎の夜の澄み切った空気だとか真っ黒な空にある星と微かな蛍光色の電柱の光、それを反射する色褪せたやけに黄色味の強い草を踏んで歩くサンダルの隙間のざわざわとした足の感覚だとか、そういうものを想像して、それがやけに生々しくて少し心が静かになった。