#19 この世界は
(#16.17.18の続編)
もっと厚着してくれば良かったかな。
流石に寒いや。
響也の家の前で膝を抱えながら、ほんの少しだけ後悔する。
家は近いから、上着を取りに行こうかとも考えたけど、その間に響也が出てきてくれるかもしれない、と思ってやめた。
どれくらいたったのかな、ふとそう思ってスマホに手を伸ばす。
手がかじかんで、うまく反応してくれない。
はー、はー。
手を温めた後、もう一度画面をタップした。
八時五十九分。
うわ、もう一時間半か。
でも、今日はどんなに長くなっても待つんだ。
そう、柄でもなく覚悟を決めた。
背中に生暖かい空気を感じて振り返る。
「どうして」
少し掠れた低い声が降ってくる。
その瞳はゆらゆら揺れていて、目の周りは少し赤くなってて、ボロボロだった。
それでも、俺には、輝いて見えた。
「待ってたら出てきてくれるって思ってた」
自然と口からそうこぼれる。
「馬鹿みてぇ、鼻真っ赤だぞ」
響也はぷっと吹き出しながら言う。
「笑った」
俺はそう言って響也の頬をつつく。
響也はうざったいと言わんばかりに顔をしかめて、だけど優しく家に入るように促した。
「学校は?」
部屋に入ってすぐ、響也が聞いてくる。
「別に行きたくなかったから」
当たり前のようにそう言い返した。
響也は少し目を見開いたあと、鼻で笑った。
それから、一緒にゲームして、一緒にお昼を食べて、ギターを聴かせてもらって、それでたくさん笑った。
何もなかったみたいに。
突然、涙がこみあげてきて思わず響也を抱きしめる。
いつもだったら、やめろ!なんていって俺を突き放す響也も、今日だけはそれをしない。
しばらくして、響也は俺から体を離した。
そして、口を開く。
「俺、もう、律と一緒の世界にいられないんだって思ってた。何も考えずに、違う世界に飛び込んだから。もう、前と同じように関われないんだって。」
そんなわけねぇじゃん。
俺は、いつだって、響也のこと、見てたよ。
echoじゃなくて、響也のこと。
言いたいことはたくさん思い浮かぶのに、口に出せなくて、少しの間、沈黙が落ちる。
「俺さ、学校に来て欲しいからここに来てたわけじゃないよ」
響也が顔を上げる。
「響也に会いたかったから来てたんだ。だから、その、別に嫌なら学校に来なくたっていい。」
響也は言葉を失って、俺の目をまっすぐ見つめた。
その目に、少しだけ、足がすくむ。
「違う世界にいたって、一緒にいてもいいんだよ、だって、みんな、『違う』から。」
響也は頷いた。
泣きそうな目で、俺を見ながら。
俺はもう一度、響也を丁寧に抱きしめる。
この世界は思うほど、怖いものじゃないよ。
そう伝えるみたいに。
#18 どうして
(#16 #17の続き)
俺があの動画を投稿した次の朝、律は俺の家に来なかった。
あぁ、もう手遅れだったんだ。
昨日来てくれた時、ほっとけよなんて思ったくせに。
あの曲が律に届いてたら、なんて期待して、馬鹿だった。
どうして、昨日ドアを開けなかったんだろう。
どうして、本音を言えなかったんだろう。
律、どうして、来てくれなかったの。
答えのない、自分勝手な疑問が頭に浮かんでは消えていく。
どうしようもなくなって、昨日あげた動画を開いてみた。
急上昇ランキング一位。
その文字を見ても、心は踊らない。
律に届かなきゃ意味がないんだ。
そう思うと同時に概要欄を開いていた。
一番大切な、親友へ。
#の一番下。
曲を聴きに来ただけじゃ見つけられない場所。
これは律に対しての曲だ。
そう伝えるために、書き加えた。
唇に、湿った感覚がする。
しょっぱくて、苦い。
ずっと、泣きたかったんだ。
心の中で冷めた言い訳をして、誤魔化してた。
律の優しさも裏切って。
もう、涙は止められなかった。
拭うこともせずに、部屋で泣き尽くす。
泣いて、泣いて、泣いて、泣き疲れて眠ってしまった。
異常に喉が渇いて目を覚ます。
辺りはもう明るくなっていた。
俺、昨日飯も食べずに寝たのか。
そう思いながら布団からもぞもぞと這い出る。
起き上がった途端、頭にアンプが乗っているみたいに重かった。
あんなに泣くんじゃなかったな。
泣いたって、何も変わらないのに。
そう後悔しながら、コップに水を注ぐ。
カチ、カチ、と部屋に秒針のリズムが響き渡って、居心地が悪い。
時計を見てみると、針が指していたのは、九時。
今日も、来なかった。
そう思うともっと居心地が悪くなってくる。
外の空気でも吸おうとドアを開けた。
そして、
目の前に広がった光景に息を呑む。
「どうして」
その言葉が、冬の冷たい空気の上にふわり、と舞った。
#17 夢を見てたい
(#16の律視点)
響也が、学校にいる。
教室は夕日のオレンジに染まっていて、少し開いた窓の風で、前髪が揺れていた。
響也はギターを抱えて、優しく、旋律を置いていく。
言葉が出てこなかった。
あまりにも、完成していたから。
抱きしめなきゃならない。
思わず、響也のところへ駆け出して、
そこで、目が覚めた。
自分の部屋の机。
昨日は、ここで寝落ちたみたいだ。
「夢、か」
掠れた声が床に落ちる。
頬に湿っぽい感覚がして、手を当てた。
手の甲に雫がついている。
俺、泣いてるのか。
自覚した途端、涙が止まらなくなって、声を押し殺して泣いた。
しばらく泣いて、頭が痛くなった頃、スマホに手を伸ばす。
七時五十分。
やばい、もう家出ないと。
今日は、響也の家、寄れないな。
そう考えながら鏡の前に立って寝癖を整える。
顔を突っ伏して寝たせいで、おでこに跡がついていた。
目元は少し赤くて、いかにも、泣いてきました、って顔だ。
どうみても間抜け。
もし響也がドアを開けてくれたら、俺の顔見て笑うのかな。恥ずかしいから、見られなくてよかった。
学校に着く。
なぜか教室がざわざわしていて、近くの友達に声をかけた。
「echo が新曲出したんだ、一ヶ月ぶりに、待望の新曲だったから、めちゃくちゃ伸びてる」
echo、響也のことだ。
「まっすぐなラブソングで、みんな泣けるって、称賛してる」
そう言って見せられたのは、SNSのコメント。
急上昇ランキングの一位になっているみたいだ。
「聴く?」
差し出されたイヤホンを人差し指が触れる寸前で俺は断った。
「いや、大丈夫」
今聴いたら、俺、多分止められないから。
「そう?」
うん、と軽く頷いて口角を上げる。
先生が教室に入ってきて、みんなバラバラと席についた。
HRが始まる。
一日中、ぼーっと授業を受けた。
得意のサッカーも、初歩的なミスをした。
大好きな音楽の授業も、ただの雑音に感じた。
放課後、
「律ー、今日自主練くるよな?」
そう友達に聞かれた。
「あー、ごめん、俺今日ちょっと、」
いつもは参加するが、どうしても、そんな気分になれなかった。
軽く話を流して、荷物を背負う。
ぶっきらぼうにイヤホンを耳に突っ込んで、学校を出た。
echo 新曲_
検索欄に打ち込んで、少し躊躇する。
結局押せなくてそのままポケットに押し込んだ。
なぜか、音楽が流れ始める。
ポケットに入れた時に、触ってしまったらしい。
そんな気分じゃないから、とムカついて、音楽を止めようとした。
その瞬間、響也の爽やかな声が、耳を刺す。
俯いて歩いてた俺は、顔を上げた。
ごめん
扉に手をかけられなくて
君の前に顔を出せなくて
「もう会えないのかな」って
君の言葉が離れてくれない
手遅れかもしれないけど
もう一度チャンスをくれない?
心臓が、リズムを早める。
もしかして、俺に向けて?
そんな自惚れた考えが頭をよぎる。
いやいや、違う。
これは、まっすぐなラブソングだって、みんなが言ってた。
そう思いながらも、弾き語り動画の概要欄を開いてみる。
歌詞が書いてあって、その下に#がずらりと並ぶ。
誰に向けて、なんて、書いてあるわけないよな。
みんな、それを知りたいんだから。
書いてあったら、コメントで盛り上がってるはずだ。
わかっていても、並んだ文字列を一番下までスクロールせずにはいられなかった。
そこに書いてあったのは、
一番大切な、親友へ。
その、一言だった。
思わず、スマホを落としそうになって、イヤホンが抜ける。
あたりに、響也の曲が小さく響いた。
明日は、響也が出てくるまで、ちゃんと待とう。
学校に遅れても、休むことになっても。
手遅れじゃないって、分かったから。
#16 ずっとこのまま
ずっと、このまま二人で一緒に笑えたら。
なんて、わがままは言わない。
だけど、覚えていてほしい。
俺のこと。
そこまで書いて、くしゃと紙を握る。
ありきたりなラブソングだ。
こんなんじゃ、誰も、聴いてくれない。
もっと、捻らないと。
新しい紙を取り出して、ペンを握り直す。
言いたいことはたくさんあるのに、言葉にならない。
一文字も書けず、俺は考えるのを投げ出した。
布団に潜り込んで、頭を抱える。
次第に意識はとろけて沈んでいった。
ピーンポーン
玄関のチャイムが鳴った。
ほんとに間抜けな音。
あぁ、もうそんな時間か。
俺は、しばらく学校に行っていない。
理由をつけるなら、なんとなく作曲して、なんとなく投稿した弾き語り動画が、バズってしまったから。
とでも言おうか。
それのせいで馴染めなくなった、とか、いじめられた、とかそういうわけでは全くない。
その証拠に、毎朝、律が呼び出してくれる。
それを無視するようになって、どれくらい経つんだろう。
少ししか経ってない気もするし、もう引き返せないくらい時間が経った気もする。
いつも、玄関までは行く。
律が来てくれるのを待ってる自分もいる。
でも、ドアノブを握って、軽い力で押す、ただそれだけのことができない。
この数センチの板を挟んだ向こうには、「普通」の世界がある。
そこには、律がいて、学校のみんながいる。
俺は、たぶん「違う」。
だからもうそこに戻れない気がして、どうすればいいのかわからない。
沈黙が痛い。
律の呼吸が聞こえる気がする。
靴の音ひとつ聞こえないけど、たしかにそこにいる。
ドアノブも握れないまま、立ち尽くした。
ちら、と時計に目をやる。
八時一分。
もう行かないと学校間に合わなくなるぞ。
俺なんか、ほっといて学校行けよ。
そう言おうと、ドアノブに手をかけた。
そのとき、
「やっぱり、もう会えないのかな」
ドアの向こうで、か細い声が響く。
律の悲しそうな顔が頭をかすめて、俺は咄嗟にドアノブから手を離してしまった。
靴の音が、遠ざかっていく。
心臓の音がうるさい。
玄関の扉を背にして座り込む。
もう会えないのかな。
その声が、エコーのように頭に響いて、離れてくれない。
「会えるよ」
一人の玄関に、自分の声が浮遊する。
ずっと、このままなのかな。
突然、そんな不安が、むくむくと膨らんできて、手で顔を覆った。
これじゃ、ダメだ。
そう思って、自分の部屋に駆け上がった。
ギタースタンドの上のアコギに手を伸ばし、ピックケースからピックを引き抜く。
そして、脳の引き出しに入っているコードを全て引っ張り出して、組み合わせた。
曲が完成したら、今度は歌詞だ。
ゴミ箱を漁って、さっき丸めて捨てた紙を取り出す。
ペンを握って、言葉を綴りはじめた。
売れるとか、売れないとか、バズるとか、バズらないとか、そんなの、どうでもよかった。
律に、伝えたいことがある。
それだけ。
曲が完成して、早速、動画を上げようと、スマホの電源を入れる。
十六時二十七分。
もう、八時間も経ったのか。
こんなに夢中になって、曲を作ったのは久しぶりだった。
でも、まだ、終わりじゃない。
投稿完了。
その文字が浮かんで、そこで、プツっと意識が途切れた。
#15 寒さが身に染みて