一ノ瀬 奏

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1/20/2026, 11:47:02 AM

#21 海の底

なにも、光がない。
海の底、水屑、というのは、多分このことだ。
藻屑ですらない。

1/16/2026, 1:19:55 PM

#20 美しい

「僕の画材になってもらえませんか。」
私は言葉の意味が掴めなくて、首を傾げる。
絶対危ない提案だ。
やめておいた方がいい。
瞬間的にそう思った。
それなのに、咄嗟の拒否は出てこなかった。
代わりに出てきたのは、
「どういう意味?」
という疑問だけ。
男は、待ってました。と言わんばかりに興奮気味に口を開く。
「貴女が美しすぎるから、僕の作品の一部にしたいんだ。」
私を見ているようで、私なんか見ていない。
何か私の奥の奥を見て恍惚とするような瞳。
私は思わず目を逸らした。
背中に悪寒が走って鳥肌が立っている。
それでも、身体は動かない。
恐怖で、というよりも、興味で。
私のその姿に男は満足した様子で微笑んだ。
「ちょっとこちらへ。」
そう手招きされて、手繰いよせられるように男の後を追う。
もうその時には、逃げるなんて考えはとっくに溶けてしまっていた。

「アトリエです。」
案内されたのは美術準備室。
入った途端にドアをぴったりと閉められる。
少し埃っぽいが、特に変なところはない。
キャンバスと太さの様々な筆。
あとはクロッキー帳と色とりどりの絵の具。
洗われていないパレット。
絵に描いたようなアトリエ。
なんだ、変な提案をしてくる割に普通じゃん。
それが素直な感想だった。
ほっと胸を撫で下ろす。
画材って、絵のモデルのことだったの?
そう聞こうと口を開いた瞬間。
「ここが僕の。」
男はそう言って真っ白なカーテンを開ける。
「え。」
私は息を呑んだ。
机に小瓶がたくさん並べられていた。
小瓶には赤い液体が詰められていて、心なしか金属のような匂いがした。
少し黒っぽいものもあれば、真っ赤なものもある。
小瓶にはカタカナで名前のようなものが書いてある。
色名だろうか。
絵を描かないから私にはよくわからない。
あとは、真っ黒で毛先がバサバサの筆。
男は筆を一つ手に取って、毛先をうっとりと見つめる。
「これは僕が作ったんですよ。この毛、使う前はサラサラでツヤツヤだったんですけどね。」
何かおかしい。
そう気づいてはいた。
でも、私は興味に抗えなかった。
「僕の絵、見ますか?」
断る隙もくれず、男はどこかへ消えていった。
少し気になって彼のアトリエを調べることにした。
小瓶を一つ取り上げてみる。
『10/2 イノウエミク』
衝動に駆られて蓋を開けた。
そのまま鼻に近づけて匂いを嗅ぐ。
鉄、、いや血の匂いだ。
突然怖くなって小瓶が手から滑り落ちた。
赤い液体が宙を舞って、小瓶はガシャンと音を立てて割れる。
片付けて全て隠そうとしゃがんだ瞬間。
耳元の空気が震える。
「あぁ、落としちゃいました?」
低くて、ねっとりとした声。
身体が硬直する。
何か言い訳したくても、喉が詰まって声が出ない。
彼は割れた小瓶に手を伸ばした。
手を真っ赤にして、それも気にせず拾い集める。
指にガラスが刺さっているのに痛みすら感じていないようだった。
口角が上がったまま、ジロリと私をみつめる。
その目に光はない。
「ミクちゃんか、あんまり気に入ってなかったから全然大丈夫だよ」
彼はそう言って、汚れた手で私の頭を撫でた。

1/15/2026, 12:17:41 PM

#19 この世界は
(#16.17.18の続編)

もっと厚着してくれば良かったかな。
流石に寒いや。
響也の家の前で膝を抱えながら、ほんの少しだけ後悔する。
家は近いから、上着を取りに行こうかとも考えたけど、その間に響也が出てきてくれるかもしれない、と思ってやめた。
どれくらいたったのかな、ふとそう思ってスマホに手を伸ばす。
手がかじかんで、うまく反応してくれない。
はー、はー。
手を温めた後、もう一度画面をタップした。
八時五十九分。
うわ、もう一時間半か。
でも、今日はどんなに長くなっても待つんだ。
そう、柄でもなく覚悟を決めた。
背中に生暖かい空気を感じて振り返る。
「どうして」
少し掠れた低い声が降ってくる。
その瞳はゆらゆら揺れていて、目の周りは少し赤くなってて、ボロボロだった。
それでも、俺には、輝いて見えた。
「待ってたら出てきてくれるって思ってた」
自然と口からそうこぼれる。
「馬鹿みてぇ、鼻真っ赤だぞ」
響也はぷっと吹き出しながら言う。
「笑った」
俺はそう言って響也の頬をつつく。
響也はうざったいと言わんばかりに顔をしかめて、だけど優しく家に入るように促した。

「学校は?」
部屋に入ってすぐ、響也が聞いてくる。
「別に行きたくなかったから」
当たり前のようにそう言い返した。
響也は少し目を見開いたあと、鼻で笑った。
それから、一緒にゲームして、一緒にお昼を食べて、ギターを聴かせてもらって、それでたくさん笑った。
何もなかったみたいに。
突然、涙がこみあげてきて思わず響也を抱きしめる。
いつもだったら、やめろ!なんていって俺を突き放す響也も、今日だけはそれをしない。
しばらくして、響也は俺から体を離した。
そして、口を開く。
「俺、もう、律と一緒の世界にいられないんだって思ってた。何も考えずに、違う世界に飛び込んだから。もう、前と同じように関われないんだって。」
そんなわけねぇじゃん。
俺は、いつだって、響也のこと、見てたよ。
echoじゃなくて、響也のこと。
言いたいことはたくさん思い浮かぶのに、口に出せなくて、少しの間、沈黙が落ちる。
「俺さ、学校に来て欲しいからここに来てたわけじゃないよ」
響也が顔を上げる。
「響也に会いたかったから来てたんだ。だから、その、別に嫌なら学校に来なくたっていい。」
響也は言葉を失って、俺の目をまっすぐ見つめた。
その目に、少しだけ、足がすくむ。
「違う世界にいたって、一緒にいてもいいんだよ、だって、みんな、『違う』から。」
響也は頷いた。
泣きそうな目で、俺を見ながら。
俺はもう一度、響也を丁寧に抱きしめる。

この世界は思うほど、怖いものじゃないよ。

そう伝えるみたいに。

1/14/2026, 11:27:30 AM

#18 どうして
(#16 #17の続き)

俺があの動画を投稿した次の朝、律は俺の家に来なかった。
あぁ、もう手遅れだったんだ。
昨日来てくれた時、ほっとけよなんて思ったくせに。
あの曲が律に届いてたら、なんて期待して、馬鹿だった。
どうして、昨日ドアを開けなかったんだろう。
どうして、本音を言えなかったんだろう。
律、どうして、来てくれなかったの。
答えのない、自分勝手な疑問が頭に浮かんでは消えていく。
どうしようもなくなって、昨日あげた動画を開いてみた。
急上昇ランキング一位。
その文字を見ても、心は踊らない。
律に届かなきゃ意味がないんだ。
そう思うと同時に概要欄を開いていた。

一番大切な、親友へ。

#の一番下。
曲を聴きに来ただけじゃ見つけられない場所。
これは律に対しての曲だ。
そう伝えるために、書き加えた。

唇に、湿った感覚がする。
しょっぱくて、苦い。
ずっと、泣きたかったんだ。
心の中で冷めた言い訳をして、誤魔化してた。
律の優しさも裏切って。
もう、涙は止められなかった。
拭うこともせずに、部屋で泣き尽くす。
泣いて、泣いて、泣いて、泣き疲れて眠ってしまった。

異常に喉が渇いて目を覚ます。
辺りはもう明るくなっていた。
俺、昨日飯も食べずに寝たのか。
そう思いながら布団からもぞもぞと這い出る。
起き上がった途端、頭にアンプが乗っているみたいに重かった。
あんなに泣くんじゃなかったな。
泣いたって、何も変わらないのに。
そう後悔しながら、コップに水を注ぐ。
カチ、カチ、と部屋に秒針のリズムが響き渡って、居心地が悪い。
時計を見てみると、針が指していたのは、九時。
今日も、来なかった。
そう思うともっと居心地が悪くなってくる。
外の空気でも吸おうとドアを開けた。

そして、

目の前に広がった光景に息を呑む。
「どうして」
その言葉が、冬の冷たい空気の上にふわり、と舞った。

1/13/2026, 10:02:30 AM

#17 夢を見てたい
(#16の律視点)

響也が、学校にいる。
教室は夕日のオレンジに染まっていて、少し開いた窓の風で、前髪が揺れていた。
響也はギターを抱えて、優しく、旋律を置いていく。
言葉が出てこなかった。
あまりにも、完成していたから。
抱きしめなきゃならない。
思わず、響也のところへ駆け出して、

そこで、目が覚めた。
自分の部屋の机。
昨日は、ここで寝落ちたみたいだ。
「夢、か」
掠れた声が床に落ちる。
頬に湿っぽい感覚がして、手を当てた。
手の甲に雫がついている。
俺、泣いてるのか。
自覚した途端、涙が止まらなくなって、声を押し殺して泣いた。
しばらく泣いて、頭が痛くなった頃、スマホに手を伸ばす。
七時五十分。
やばい、もう家出ないと。
今日は、響也の家、寄れないな。
そう考えながら鏡の前に立って寝癖を整える。
顔を突っ伏して寝たせいで、おでこに跡がついていた。
目元は少し赤くて、いかにも、泣いてきました、って顔だ。
どうみても間抜け。
もし響也がドアを開けてくれたら、俺の顔見て笑うのかな。恥ずかしいから、見られなくてよかった。

学校に着く。
なぜか教室がざわざわしていて、近くの友達に声をかけた。
「echo が新曲出したんだ、一ヶ月ぶりに、待望の新曲だったから、めちゃくちゃ伸びてる」
echo、響也のことだ。
「まっすぐなラブソングで、みんな泣けるって、称賛してる」
そう言って見せられたのは、SNSのコメント。
急上昇ランキングの一位になっているみたいだ。
「聴く?」
差し出されたイヤホンを人差し指が触れる寸前で俺は断った。
「いや、大丈夫」
今聴いたら、俺、多分止められないから。
「そう?」
うん、と軽く頷いて口角を上げる。
先生が教室に入ってきて、みんなバラバラと席についた。
HRが始まる。

一日中、ぼーっと授業を受けた。
得意のサッカーも、初歩的なミスをした。
大好きな音楽の授業も、ただの雑音に感じた。
放課後、
「律ー、今日自主練くるよな?」
そう友達に聞かれた。
「あー、ごめん、俺今日ちょっと、」
いつもは参加するが、どうしても、そんな気分になれなかった。
軽く話を流して、荷物を背負う。
ぶっきらぼうにイヤホンを耳に突っ込んで、学校を出た。
echo 新曲_
検索欄に打ち込んで、少し躊躇する。
結局押せなくてそのままポケットに押し込んだ。
なぜか、音楽が流れ始める。
ポケットに入れた時に、触ってしまったらしい。
そんな気分じゃないから、とムカついて、音楽を止めようとした。
その瞬間、響也の爽やかな声が、耳を刺す。
俯いて歩いてた俺は、顔を上げた。

ごめん
扉に手をかけられなくて
君の前に顔を出せなくて
「もう会えないのかな」って
君の言葉が離れてくれない
手遅れかもしれないけど
もう一度チャンスをくれない?

心臓が、リズムを早める。
もしかして、俺に向けて?
そんな自惚れた考えが頭をよぎる。
いやいや、違う。
これは、まっすぐなラブソングだって、みんなが言ってた。
そう思いながらも、弾き語り動画の概要欄を開いてみる。
歌詞が書いてあって、その下に#がずらりと並ぶ。
誰に向けて、なんて、書いてあるわけないよな。
みんな、それを知りたいんだから。
書いてあったら、コメントで盛り上がってるはずだ。
わかっていても、並んだ文字列を一番下までスクロールせずにはいられなかった。
そこに書いてあったのは、

一番大切な、親友へ。

その、一言だった。
思わず、スマホを落としそうになって、イヤホンが抜ける。
あたりに、響也の曲が小さく響いた。

明日は、響也が出てくるまで、ちゃんと待とう。
学校に遅れても、休むことになっても。

手遅れじゃないって、分かったから。

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