【もう二度と】
大切な人がいた。柔らかな陽だまりの中で、幸せそうに笑うその人を見るのが大好きだった。
闇の使者である私は、自分の使命を忘れてその人を愛してしまった。太陽の元で君と笑い続けてしまった。
その眩しさに自分の身が滅ぼされていくのを分かっていながら、君と共にあることを望んでしまった。
太陽と月が一緒にはいられないように、私と君も…。
何百年も闇に仕えて生きてきた。
人間の心の愚かさを私はよく知っている。
都合の悪いことを忘れてしまうこと。
現実から目を背けて逃げてしまうこと。
心が移ろってしまうこと。
その愚かさで、ずっと幸せに生きてほしい。
何にも……私との思い出にも囚われず。
「人の一生は短いが質が良いようだ。…君には大切な記憶も人もたくさんある。そしてこれからもね。」
「急にどうしたの?最後みたいに言っちゃって。」
最期だから。光の中に溶ける私は、もう二度と君と笑いあうことはない。でもそれでいい。
私は君と会えて幸せだった。
【花の香りと共に】
春先のことだった。
少し遅めの桜が咲いて、私はそれを見ていた。
「もう他の桜はすっかり散ってしまったよ。
君だけが遅かったんだ。一人ぼっちさ」
自嘲を込めた笑いを浮かべてみるけど空しいだけだった。どうしたってこんなに心は空っぽなのか。
もう私には出会うものも別れるものもなくなった。
文化人としての自分が死んだようだった。
緩やかな風に吹かれて花びらが少し舞った。
仄かな桜の匂いが漂ってきている。
私も、この花の香りと共に逝けたら良い。
「花と散ろう…桜の花だけに…なーんて」
冷たい風になってきたなぁなんて…思わないけど。
ループタイを締め直してその場を去った。
風が強まって桜が咲ったように花弁を散らしていた。
【願いが1つ叶うならば】
竜と人間の争いが激化し、ついに人間である竜信仰の騎士ですら戦地に赴くことになった。
私は竜信仰側の騎士であった。だから決して勝ち目のない戦いに私も行くよ。許してくれ、姫君。
「いつかまたここで会えるまで幸せでいて。約束だ」
「ええ、必ず。必ずよ」
ああ、互いに分かっているのだろう。
私たちが二度と会う日の来ないことを。
だから、貴女との思い出を全てこの日記に認めた。
いつも貴女と会っていた木の下に埋めることにする。
願いが1つ叶うならば…貴女にまた会いたいものだ。
生きて再会して、貴女と余生を歩みたい。
それが許されぬと言うのなら、この日記が、私たちの記憶がいつまでも潰えぬことを。
遠い未来に生きる何者か託そう。
この物語を読んでくれ。
【約束】
「いつかまたここで会えるまで幸せでいて。約束だ」
そんな言葉で締められたありきたりな物語の小説。
本を閉じてため息を吐いた。どれもこれも同じ話。
続編が出る前に作者は亡くなったらしい。
この本の作者、戦地に赴く前に書いたのですって。
そんなドラマもありきたり。
こんな、私以外にもう誰に読まれているかも分からない古い古い時代の、誰の日記ですかって言いたくなるほどマイナーな小説を。
ドラゴンの騎士と許されないお姫様。
当時だって流行りもしなかったんじゃない?
物語はね、誰かに読まれなきゃお仕舞いなのよ。
永遠に開かれないカーテンの後ろで踊るみたいに。
私がこの本を古本屋で見つけなきゃ危なかった。
良かったわね。まぁつまらなかったけれど。
今いるこの場所はこの物語の舞台だったらしい。
騎士がドラゴンになって飛んでいった崖がこの場所。
はは、馬鹿みたい。ただの崖よ。
…でもそうね、続編、読んでみたかったかも。
お姫様は約束を守れたのかしら?
この物語の続きは作者が示している。
きっと、二人は永遠に会えなかったと。
【ひそかな想い】
みんな私を愛してくれる。みんな私を見てくれる。
でもそれは本当の自分ではなくて、いや、本当の自分だからと言って偽物の私などいないのだけれど。
きっと、本当のことが言えなくても築き上げてきたこの私は、確かに私であるのだけれど。
私はこのひそかな想いを誰にもさらけ出すことなく、言いたいこと、願っていることを誰にも知られないの。
知ってほしくて、分かってほしくて、そして、そんな私を愛してほしくてたまらないのに。
ああ、最初からそんな私を隠した私が悪かったの。
でも、怖かった。そんな私が嫌われること、そして、愛されること。
敵などいないのに盾を構えて自分を守ろうとしていた。
愚かだった。私は弱虫だった。