理想郷
彼らは古来より歩き続けている。
あるはずもない理想郷を目指して。
何かを得れば何かは犠牲になってしまう。
そんなことを知り得ながら、学ぶこともせず。
人間よ。今私の体はどうなっているのだろう?
君たちの望む理想郷か。
それともこのまま死に行く未来か。
月は私を見て大いに嘆いていた。
これが我が護るあなたの末路なのか、と。
彗星たちは私を見て笑う。
生命とは如何に愚かであり、恩知らずなのか、と。
気付いた時にはもう遅いだろう。
暑くて悲しくて仕方ないよ。愚かな生命たちよ。
代償を払うのは私だ。君らでは無いのだ。
せめて、美しい宇宙を、我が家を返してくれないか。
私の理想郷を。
懐かしく思うこと
毎年春休みに、祖父母の家に何泊かしていた。
祖母とはよく話すんだが、祖父は寡黙な人だった。
ある日、俺は思い立って祖父を散歩に誘った。
祖父は頷いてくれたので、近くを歩いていた。
登りはしなかったが、山の近くまで来た。
祖父はなんだか懐かしげに山を見ていた。
「じいちゃんは懐かしく思うことってないの?」
「ないことはないな。だがこの話をしてもなぁ」
珍しく声を出した祖父に驚き、その話を聞いてみた。
「昔な、ここで妖怪と遊んだことがあった。」
「へぇ」
「また遊ぼうと約束したんだがなぁ」
寂しそうに言う祖父になんだか笑えてしまった。
「じいちゃん見えてなかったのか。家に座敷わらしがいるんだよ。ちゃんと近くにいるから大丈夫」
霊感がある俺が言うんだ。見えないけど感じるよ。
「それなら安心だ」と祖父は笑った。
もう一つの物語
昔々、ある人魚姫が王子様に恋をした。
魔女と契約して声を失い、足を手に入れた。
しかし恋は実らず、その身を投げて命は泡になった。
ねえ人魚姫。そんな話が許されると思う?
どうやらこの物語はあなたのお話みたいね。
あなたはまた、次の人生で馬鹿みたいに恋をしてる。
あの王子に。歴史は繰り返すってこういうこと。
次はぽっと出の女にあなたの幸せを奪わせない。
そして、恩人を見る目もなかった節穴の王子にもね。
ハッピーエンドを見せてあげる。
しくじらないわ。下手なお涙頂戴はおしまいよ。
見せてあげる。もう一つの物語を。
あなたを見て、あなたを聞いて、あなたをよんだ、
誰よりもあなたを愛した群衆の一人が。
次は、魔女よりも怖い悪になって。
暗がりの中で
主無き頃、気まぐれにある戦士を逃したことがあった。
敵に囲まれたらしい彼女は、戦士にしてはあまりに臆病で、剣を持つ手が震え動けないようだった。
平民でさえ、まだ彼女より勇敢だろうと感じたのを覚えている。
何故彼女を助けたのか、今だって自分が理解できない。
彼女は礼を言うと暗がりの中でずっと泣いていた。
いつしか放浪の時代は終わり、ある城主に雇われた。
彼の国と決着をつけるため、俺のような孤高の騎士を集めていたと言う。
戦地に赴けば慈悲を捨てただ斬っていくだけだった。
しかし、一人だけやたら腕の立つ女戦士がいた。
それは、いつか助けたあの臆病な戦士だった。
我らは激しい戦いを続け、ついに彼女は膝をついた。
俺が剣を振りかざすと、彼女は自分の剣を置いた。
「参りました。悔いはありません。」
俺はその顔を見た時、彼女を斬ることができなかった。
暗がりの中で、月に照らされた彼女は笑っていた。
紅茶の香り
雨が止んだ。いつもの喫茶店に行こう。
そうして決まった席に座る。
好きな紅茶とクッキーを注文してから店内を見る。
視界の真ん中には密かに想いを寄せる男性が映る。
話し掛けてみたいのに、私なんかが、と思ってしまう。
だってあの人は有名な騎士の学校の優等生なんだから。
こうして遠くから見るので精一杯。
いつもこうして、紅茶の香りとクッキーを楽しんで。
そろそろ帰らなきゃ。と、お金を払って店を出た。
「…大変だわ」
また雨が降りだしてきていた。傘を忘れてたわ。
「お嬢さん、私の傘に入っていきませんか。」
「まぁ、ありがとう……あら、」
隣にいたのは憧れの人。
「あの紅茶の香り。私も好きなんだ。」
彼が優しい声で言い、私に微笑み掛ける。
あぁ、神様。私はどうしたらいいの?