「胸が高鳴る」
胸が高鳴る時。
それはいつも、私が好きなことをする時だ。
推しの写真集を買う時。
好きな人に思いを伝える時。
皆で合唱をする時。
絵を描く時。
どれも、私の好きなこと。
私にとって、とても大切なこと。
誰かにとって、それはどうでもいいことかもしれない。
学校での合唱に至っては、面倒だと思う人もいただろう。
でも、これは私が好きなことだ。
自分の好きなことに、誇りを持つ。
私の、憧れの人がやっていたことだ。
私でもそれは大切だと思う。
年を取っていくほど、心の底から感情が動くことが少なくなる、と、私の憧れの人が言っていた。
だからこそ、胸が高鳴る瞬間は大切にしていきたいと思っている。
いつか、その思い出が私を支えてくれるだろうから。
「不条理」
不条理と聞くと、よく聞く「この世の不条理」という言葉を思い出す。
私は運がいいのか、不条理と言えるような目にまだあったことがない。
もしかしたらこの先の人生、不条理だ、と思うようなことが起きるかもしれない。
その時、私はどう感じるんだろうか。
想像もつかない。
少なくとも、いい思いはしないだろう。
まだ感じたことのない、不条理を突きつけられる感覚。
でも。
「不条理な悲劇が、大切な人に降りかかりませんように。」
それだけは、強く思った。
きっと、それはよくないことだろうから。
「泣かないよ」
私は泣き虫だ。
頻繁に鬱になって夜に泣くし、誰かから自分の不祥事で叱られれば、それだけでも傷ついて泣いてしまう。
それは子供の頃から、今まで続いている。
前まで、私は一人で泣いていた。
もちろん、頼れる人がいなかったわけじゃない。
ただ、頼れなかったのだ。
でも今は、あの人が支えてくれる。
私を慰めてくれる。
私は、一人ではない。
でも、それでも、私は変わらず何かある度に泣いてしまう。
どうしても、泣き虫を卒業できないのだ。
いつか、もう泣くことがない日が来るのだろうか。
自立して、今までのお礼を言って、泣き虫を終えられる日が来るのだろうか。
もしもその日が来たならば、私はその日まで支えてきてくれた人に感謝しなければならない。
でないと、罪悪感に苛まれそうだ。
「もう、泣かないよ。ありがとう。」
そういって笑える日が、私にも、いつか来るのだろうか。
「怖がり」
今でも思い出す。
1年前、その命を手放した、私の家の犬のことを。
彼女の名前はラフィアだった。
彼女はとても優しい性格で、何をしても、私のことを強く噛んだりはしなかった。
泣いている時は、そばに来て寄り添ってくれて。
寝る時はいつも一緒で。
家を出る時も、帰った時も、いつも玄関まで「いってらっしゃい」と「おかえり」を言いに来てくれていた。
私は小さい頃、雷や洗濯機などの大きい音が苦手だった。
洗濯機が動いている時は、ラフィアを抱いて横を通るようにしていたし、
雷が鳴る夜は、ラフィアにしがみつきながら共に寝たものだ。
今でも、彼女が私の手を舐めて慰めてくれたことを思い出す。
その感覚はまだ、私の手に残っている。
怖がりな私を、彼女はいつも気にかけてくれていた。
彼女が年老いて衰弱していた時、私は高校に向けての受験で忙しかった。
今亡くなると迷惑がかかると考えたのか、彼女は衰弱しても、長生きした。
受験が終わって、無事に第一志望校に合格した一ヶ月後に、彼女は死んだのだ。
最後に、私の手を舐めて。
怖がりな私を、この世に置いていくのが心残りだったのだろうか。
今はもう、私は怖がりじゃない。
それはきっと、彼女が近くにいてくれているからなのだろう、と、私は思う。
きっと、この先どんなに怖いことがあっても。
彼女が、たとえ見えなくても、隣にいてくれるなら。
私は、もう何にも臆しない。
「ラフィア、一緒に行こう?」
不安な時、いつも言っていた言葉は、私だけの、勇気の魔法の言葉だ。
「星が溢れる」
溢れるような、満天の星。
この都会では、見ることのできない絶景。
写真やテレビでしか見たことのないそれを、私は誰と眺めたいのだろうか。
答えなど決まっている。
一番大切なあの人と。
隣に座って、共に星をいつまでも眺めていたい。
電話をしながら、各々の場所で同じ夜空を眺めるのも趣があっていい。
いつか、そんな日が来るだろうか。
私もあの人も、まだ高校生。
門限はどちらも早い。
「思い立っては吉日」とはいかないだろう。
それでも。
もし、あの人と溢れるくらい空いっぱいに広がった星空を見られたなら。
きっと、泣いてしまうくらい幸せなのだろう。
いつか、その日が来たならば。
胸の内で、未来の自分に願掛けをする。
「彼と一緒に、星が溢れるくらいいっぱいな空を、共に眺められますように。」