Rara

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6/13/2024, 12:49:07 PM

あじさい



とある梅雨の日、僕は帰り道で紫陽花の花びらを発見した。あじさい。雨とカタツムリの似合う花。雨がしとしと降っていて、僕も町の人々も傘を差していた。足もとに点々と散る紫陽花の花びらは雨によく映えて綺麗だったが、この近くに紫陽花はない。そういえば紫陽花見たかったんだよな、などと思い出す。
ふと、その花びらが道標のように散らばっているのを発見した。辿れば何かがありそうな、そんな予感を抱く。普段なら通り過ぎる横道に、普段なら通り過ぎる道標。しかし、気づけば僕はふらふらと辿りはじめていた。

「あれ…もしかしてあなたもこれを辿って…?」

そう言って猫の柄をした傘が振り返り、同年代らしき女が顔を見せる。

「奇遇だね。私もこの花びらに誘われてきたの。他にも誘われた人がいるなんて思わなかった」

彼女はふわりと笑う。傘と雨粒の音がしている。

「まだ続いてるみたいだよ、この道標。それにしても、他に人がいてよかった…」

そういえば途中で誰にも会わなかったな。そこそこ人通りのある道だったと思うが…

「よかったら一緒に行く?話し相手が欲しくて」

こうして僕と彼女は不思議な道標を追うことになった。

ーーー

「それでねー、結局その猫には逃げられちゃって。野良猫ちゃんは気難しいよねぇ。でもね…」

彼女はよく喋る人だった。元々話すのが苦手だった僕は聞き役に徹した。彼女の話はとても面白くて、聞いているだけでワクワクしたし楽しくなった。こんなにも続きが聞きたいと思う話は久々な気がする。

「…あれ。花びらが途切れてる」

彼女がそう言い、足元に目線をやる。花びらは一際多く散らばっていて…いや、ぎっしり敷き詰められていて紫陽花の絨毯みたいだった。しかし道標はもう続いていない。彼女との冒険はこれで終わりのようだ。残念な気持ちが湧き上がる。

「わぁ、すごい!絨毯みたい!」

そう言って彼女は駆け出す。いつの間にか雨は止んでいて、雨上がりの明るさが眩しくて。照らされる絨毯と彼女の髪が綺麗だった。僕も追いかけるようにして駆け出し…足が絨毯に触れた、その瞬間だった。

落ちる。落ちていく。紫陽花の下は穴だった。大量の花びらに混じり、深く深く落ちる。どこまでが自分で、どこからが花びらなのか分からなくなってくる。落ちる。落ちる。落ちているのか止まっているのかも分からない。僕は紫陽花だ。いや違う、僕は…僕は、誰だ?

ーーー

気がつくと、あの帰り道にいた。悪い夢から覚めた気分だったが、そんな記憶も急速に薄れていく。僕は、何事もなかったかのように傘を差して立っていた。
僕には自分の名前と自分の存在がある。
どこかで見たような色の猫が、どこかで見たような紫陽花の花壇に座っている。
いつも通りの景色をぼうっと見て、家に帰る途中だと思い出し、寄り道せずに歩く。寄り道も何も、ここは一本道だが。
傘と雨粒の音がしている。

最近、紫陽花を見ると寂しいような恋しいような不思議な感情を抱く。なんとなく、猫を思い出す。

「奇遇だね。私も今帰りなの。よかったら一緒に行く?話し相手が欲しくて」

そう幼馴染が声をかけてくる。いつもの猫柄の傘だ。
なんだか幸せだなぁ、と思った。

6/12/2024, 1:30:15 PM

好き嫌い



彼女は好き嫌いが激しい。
「トマト?嫌い!」
「ピーマン?もっと嫌い!」
「野菜嫌い。なんで食べさせようとするの?」
「それより一緒に甘いもの食べましょ。私いい店知ってるの」

彼女は好き嫌いが激しい。
「この服嫌い。なんか微妙」
「この本嫌い。文章読むのは苦手なの」
「このお菓子嫌い。パサパサしてるのよ」
「贈り物のセンスがないわね。私が選び方を教えてあげる、今週の日曜日は暇?」

彼女は好き嫌いが激しい。
「あの女嫌い。ぶりっ子だし、影では悪口ばかりだし。」
「あの女も嫌い。彼女持ちの人にばっか擦り寄って。」
「あの女とか大っ嫌い。外面はいいけど最低なのよ」
「あんなのが好きなんてどうかしてるわ。あなたに釣り合わない。もっといい人を探したらいいわ」

彼女は好き嫌いが激しい。
「また野菜?大嫌い。でも、あなたは料理上手ね。また作ってちょうだい」
「またプレゼント?あら、これが好きだって覚えていてくれたのね。やるじゃない」
「あら、いい人を見つけたの?ふうん。また変な女じゃないでしょうね?」
「えっ…わ、私…?」

彼女は好き嫌いが激しい。
「私、指輪は銀色のほうが好きよ」
「新婚旅行は国内がいいわ、外国は苦手なの」
「式場…ここは好きじゃないわ。こっちはどう?」
「いただきます。…野菜炒めも案外悪くないわね」

妻は好き嫌いが激しい。
「私、あなたのこと大好きよ」

6/11/2024, 11:47:32 AM





とある街がある。ごく普通の街だ。
僕が生まれた街であり、僕が住んでいる街だ。
僕が学校に通い、彼女に出会った街だ。
僕が彼女とともに、笑いあった街だ。
僕が彼女に結婚を申し込み、彼女が手を取ってくれた街だ。
僕が彼女とともに生きる街だ。

とある街がある。ごく普通の街だ。
しかし僕にとって、世界一特別な街だ。
これから彼女とお腹の子と、3人で生きる街だ。

とある街がある。ごく普通の街だ。
僕の大好きな街だ。

6/10/2024, 12:12:53 PM

やりたいこと



死ぬまでにやりたい100のこと、なんていうのをよく聞く。100とまではいかずとも、死ぬまでにやりたいことなんていう話題はよくある。
そんなよくある話題に、毎回ついていけないのが私だった。
やりたいことがないわけじゃないけど、死ぬまでに絶対やりたい!とか、そんなに熱意があるわけじゃない。思えば昔から、結構冷めた気持ちで生きていたと思う。

「うーん、やりたいことが多すぎるなぁ…あと1週間で全部いけるかな?」

そう呟いたのは、一緒にベンチに座っている親友の奈々である。「やりたいことリスト」と睨み合いながら、1週間の計画を練っているようだ。やりたいことが多いのは羨ましいが、大変だなぁとも思う。

「流石に全部は無理じゃないかな…」
「うぅ、やっぱ優先順位考えないとダメかー」
「歩きだから移動時間もかかるし、お店系はもう無理かもしれないし。だいぶ絞られてくるんじゃない」
「できないことが増えちゃったなぁ…残念」
「仕方ないよ、突然だったし…」

そう、こんなことになったのは本当に突然だった。あと1週間で世界が終わると口々に言う政治家たち。科学者たち。証拠の数々。どうせ終わるのならと、仕事を放り出して好き勝手しだす大人たち。高校に行く必要もなくなった私達2人は、奈々のやりたいことを一緒にやっていくことにしたのだ。

「…よし、だいたい計画は立ったかな。だいぶ減っちゃったけど、今できる範囲で楽しもう!えいえいおー!」
「おー」
「まずは憧れてた可愛い服を一緒に着たいな。気になってたお店があるの!」
「買えるの?」
「世界が終わるっていうのにお金取ってもしょうがないでしょ。きっと無料で手に入る」
「そんな雑な…まぁいいか」

ーーー

それからの1週間は本当に楽しかった。
可愛い服を大量に着てファッションショーじみたことをした。ペットショップで動物を逃がして戯れた。止まった電車と線路の上で記念撮影をした。1週間でできるやりたいことは、順調に達成されていった。かつてないワクワクの連続だった。

最後の1日、私達は「高校の屋上で一緒に朝日を見る」というミッションを達成した。本当に今日世界が終わるらしく、空高い場所で小惑星がこちらに向かってきていた。隕石の欠片が流れ星のようで、人生最高の美しい朝日だ。1週間ぶりの故郷はゴミだらけで、なんとも言えない気持ちだった。

「綺麗だね」
「そうだね」
「終わっちゃうのか、全部…」
「…そうだね」

奈々は突然、私の目をしっかり見て言った。

「この1週間、一緒に来てくれてありがとう。本当に楽しかった。私のやりたいことが全部叶った気持ちだよ」
「ううん、私は逆に何もやることがなかったから…こちらこそありがとう」
「…実は、ね。あと1個だけ、やりたいことが残ってるの。聞いてくれる?」
「うん、なに?」

奈々は少し下を向き、それからまた私をしっかり見据えて、言った。

「ずっと前から大好きでした。この一週間でもっともっと大好きになりました。私と付き合ってください!」

「私が1番やりたかったこと…言いたかったことは、これなの。」奈々の不安げな声。

流れ星の欠片が地面に転がり始め、私の心には何かが芽生えた。

「私も、言いたいことができちゃった」

人生初、おそらく人生最後の、死ぬまでにやりたいこと。小惑星が近づき、流れ星が増える。

「私も奈々のこと大好きになっちゃった。付き合ってください」

私達は抱きしめあって笑った。やりたいことが達成されて、最愛の人とも結ばれて、もう思い残すことはない。幸せの絶頂にあった私達2人は、小惑星の岩と炎の中で永遠に結ばれた。

あの屋上も、あの街も、今となっては宇宙の塵である。

6/9/2024, 12:54:30 PM

朝日の温もり




また今日も、目が覚めてしまった。

さっきまで見ていた悪夢を思い出して吐き気がする。呼吸が乱れている。心臓がうるさく鳴っている。なんとか寝付いた真夜中から、まだ2時間足らずの真夜中だった。深呼吸をする。もう今日は眠れそうになくて、気休めにスマホをいじる。検索履歴に並ぶ「安眠法」「悪夢を見ない方法」「睡眠導入剤 値段」etc…そしてまた増える履歴。「眠れない 原因」。

俺は急に眠れなくなった。正確には、目が覚めるほどの悪夢を見る頻度が急に増えてきて、それに伴い寝付きも悪くなった。なぜか授業中の居眠りも段々できなくなっていった。目にはクマができ、メンタルもやられてきた。何を調べても何を試してもこの不眠症は改善されなかった。ここ1ヶ月ほど、俺はずっと徹夜明けのような謎の覚醒に苛まれているのだった。

ぼうっとSNSを眺めていた俺は、もうすぐ朝だと気づいた。支度をして学校に行かなくては。重い頭を持ち上げ、カーテンを開ける。カーテンの向こうは、なんだか憎たらしい光に満ちているようだった。

ーーー

「…あなた…眠れていないでしょう?」
「…は?」

昼休み。教室で弁当を食べていた俺に、彼女はゆっくりと声をかけた。常に眠そうな目をしてスローペースで動く、いわゆる不思議ちゃん…クラスメイトの夢野さんである。

「…まぁ、このクマ見れば分かるだろ。眠れてない。でも急にどうしてそんな」
「…眠りたいって…思ってる…?」
「そりゃ眠りたいに決まってるけど」
「…そう…その悪夢も…見たくない?」
「み、見たくない、けどなんで知って、なんで急に」

俺は彼女の眠たげな目が恐ろしくなっていた。普段挨拶すらしない相手に、どうして急に声をかけたのか。どうして全てを知っているのか。目に感情が見えない。なにか心を掌握されたような気分だ。

「…助けてあげるよ。私に協力してほしい」
「…は?」
「…あなたが眠れないのはね…その子の悪戯なの。悪夢を見るのも、全部…私はね、その子が欲しいの…お互いに、得でしょう?」

「その子」といって夢野さんが指差した先には、教室の壁以外何もなかった。怖くなって彼女の顔を見ると僅かに微笑んでいて、恐怖感と妙な安心感を覚えた。

「…放課後、南棟の…三階の空き教室に来て。ぜったい」

夢野さんはそう言い残し、のんびりと自分の席に戻っていった。俺に選択肢などなかった。放課後、俺は空き教室へと向かうしかなかった。

ーーー

なぜだ?
どうしてこうなった?
どうして俺は空き教室の真ん中で手足を拘束され、夢野さんに刃物を向けられているんだ?…いや、違う。あの刃先は俺じゃなくて後ろの虚空を向いている。質問しようにも恐怖で声が出ない。麻痺した心の底で、無駄に凝った装飾の刃物だなぁ、なんて考えていた。

「…うごかないでね。ぜったい」

その言葉に身を固くすると、彼女は刃物を虚空に突き立てた。見えない何かが数秒暴れ、彼女が押さえ。最終的に刃物は床に突き刺さり、どうやら我々が勝ったようだ…そう思うと同時に、1ヶ月分の睡魔がどっと押し寄せて、俺の意識は闇に飲まれた。

ーーー

「ここは…?」
「あら…目が覚めたの!?よかった、本当にびっくりしたんだから!」

目が覚めると見慣れた自分の部屋で、母親が俺の顔を覗き込んでいた。

「先生からあなたが倒れてたって聞いて、急いで迎えに行ったのよ。全然目が覚めなくて心配したわ…よほど疲れていたのね、気づいてあげられなくてごめんね」
「…えっと…ありがとう?」
「いいのよ。今日はゆっくり休みなさい」

母親が部屋から出ていき、スマホで日付と時間を確認する。あの放課後から数えて次の次の日。日曜日の昼頃だった。ずいぶんぐっすり寝ていたし、悪い夢も見なかった。本当に彼女は俺を不眠から救ってくれたようだ。少し引っかかりを感じつつも、久々のハッキリした意識を満喫した。
夕方頃、彼女が家に来た。

ーーー

「…この子、とっても可愛い…気に入った。ありがとう…」

夢野さんはそう言って空っぽの鳥籠を俺に見せると、お礼とばかりにお菓子を渡してきた。ちょっと前に店で見かけて気になっていた焼き菓子だ。やっぱりなにか見透かされている感じが怖い。

「こっちも助けられたから、お礼なんていいんだけど…」
「…こんなに可愛い子、なかなかいないの…よほどつらい不眠、だったんでしょう。お見舞いも兼ねて…」
「でもなぁ…そうだ、一緒に食べよう」
「…そうする。うれしい」

個包装のお菓子を2つ取り出し、片方を渡す。夢野さん、怖いけど思ったより良い子だな…なんて考える。食べながら本題に入る。

「それで…そいつは結局何なんだ?」
「…わかりやすく言うと…幽霊かな、全然別物だけど…見た目は動物に似てる、かな…難しい…似てないかも…」
「よく分からないし俺には全く目視できないが…そいつを捕らえて不眠が治った以上、何かがいるのは間違いないな」
「…私はね、この子達を集めているの…このお菓子おいしいね」
「おいしいな」
「…この子達は宿主の夢を悪夢に変えて生き…眠りを奪って姿を変える…いわゆる害獣。」
「それは集めたらお前も不眠になるんじゃないのか」
「…大丈夫…刺したから…毎日よく寝てる…」
「そういうもんなのか…」

彼女の話は理解に苦しんだが、なんだかとても楽しかった。夜になると彼女は長居してしまったことを謝り、例の獣が入った空っぽの籠と一緒に帰っていった。不思議な経験だった。
明日は学校か。夢野さん、また話してくれるだろうか。
久々の眠れる夜は、ひどく満たされた気持ちと共に訪れた。

ーーー

朝日の温もりと眩しさで目が覚めた。

いい夢を見ていた気がするが、あまり覚えていない。しかし、久々の爽快な目覚めに俺の胸は高鳴った。なんとなくスマホをいじる。増える検索履歴。「焼き菓子 人気店」「雑談 話題」etc…

俺の変化になど全く興味がないように、相変わらず朝日は温かく街を照らしていた。

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