夜空を駆ける
眠れない。睡眠不足なのに、眠いのに、眠れない。そんな生活がかれこれ2週間。
理由はおおかた見当がつく。明日が来ないでほしいと願っているからだ。この考えに至った経緯を説明するのもいいが、俺なんかが何を語ったところで陳腐でしかない。きっと誰もが簡単に思いつく理由のうちのどれか、あるいは複数だ。
夜中、寝付けずに布団の中で考える。ふと頭をよぎる。
小さい頃、近所の公園で乗ったブランコの記憶。
いつもなら着替えが面倒になって放置するだけの思考。しかし、なぜか今日の俺には行動力があった。のろのろと怪しくなさそうな服に着替え、なんとなく音を立てないように玄関を出る。
自由だ。外で1人、そう思った。夜風が寒い。
公園への道順は何種類かあるが、大体の位置は分かる。徒歩約10分ほど。鞄も携帯も財布も持たず、身一つで公園に向かう。最後に2分ほど迷って、誰もいない真夜中の公園に着く。あの頃から何も変わっていない公園。何かが変わってしまったような寂しさ。
久々のブランコは少し低めだった。地面に擦らないよう工夫しつつ漕いでいく。間もなく、浮遊感。夜空は暗く、やっぱり空気は冷たい。夜空に浮かぶ。夜空を駆ける。そんな大層なもんじゃない。
現実的で懐かしい浮遊感に、少し口角が上がっているのを感じる。やっぱり明日は来てほしくない。この夜が明けてほしくない。きっとまた眠れない。
嗚呼、今この瞬間だけは、許してくれないだろうか。
誰に向けたとも分からない言葉とともに、もうしばらく揺られている。
あなたは誰
あなたは誰。鏡に向かって話しかける。
あなたは誰。私は鏡に話しかけていて、鏡の前には私がいる。誰、といったって、鏡に映った私に決まっている。
話しかける。あなたは誰。
鏡に向かって言い続けると精神崩壊を招くと聞いた。あなたは誰、というのは相手が誰なのか知らないときに言う言葉だ。最も見知った人物に対して言い続けたら、まぁ何かしら変になるんじゃないだろうか。
あなたは誰。きっと精神崩壊はしない。なぜなら目の前にいるのは見知らぬ人だから。しかも、返事をしているから。
鏡なのに。さっきまで鏡だったのに、見知らぬあなたはそこで生きているように見える。鏡に映った私なんかじゃない。明らかに服も姿形も違う。というか明らかに人間じゃない。
あなたは誰。聞くたび、あなたは興味深い話をする。そちらに感心していたら、結局誰なのか教えてもらっていないことに気付く。誰なの。
もう聞くのをやめた。きっと教えてもらえないから。あなたは誰、というか何、知りたいけれど知り得ない。だけど、あなたは面白い話をしてくれる。絵のモデルにもなってくれる。充分なんじゃなかろうか。
あの鏡はあなたにあげる。もうひとつ鏡を買ったから、こっちは私が使う。
鏡が二枚、こちらに私一人、向こうに私ともうひとり。
私は絵を描いて、向こうの私は左右逆の絵を描いて、あなたは楽しげに笑う。
あなたが誰なのか分からないけど、いてくれてよかったな。
やさしくしないで
一目見てすぐ思った。難しいお題だと。
私はこのお題から、女心の難しさに関する文章を連想した。とある女からそれを言われ、どう対応すべきか考えあぐねる男の物語。女に振り回されるコメディ。最初にそう連想してしまったのだから、それ以上の文章を書ける望みはない。
しかし、だ。
その文章を書こうと試みる私は、圧倒的に人情に疎い。実際に言われたらどうするか。実際に言うとしたら。最後につけるオチはどうなるか。全くもって想像がつかないのだった。
知らないものを如何にして書けるか。いや、不可能である。
いつもなら書くのを諦めるところだが、幸か不幸か今日は書く気分である。そこでお察しの通り、書けないということを書こうと思い立って今に至るわけだ。
しかし、このままいくと人情の欠片もない話しか書けなくなってしまうのではないだろうか?無難な文章をいくつ書いたところで、それは私の成長に繋がるのだろうか?人情というものを勉強しなくてはならない。いや、情を勉強だとか言う時点で向いていないのかも分からない。
とにかく私は情とかに疎いから、やさしくしても得しないと思うよ…なんて無理矢理なオチをつけて、この駄文を終わろうと思う。
部屋の片隅で
部屋の片隅に同居人がいる。
おそらく「人」ではないと思うが、特に何だという確証があるわけでもない。とりあえず一緒に暮らすなにかだ。
同居人はこんな存在だ。
目に優しい色をしている。
抱っこするのに適したサイズ感と形状である。
癒される温かみと手触りを持っている。
夕食の余りを分け与える必要がある。
決して、この世のものではない。
私は、それについてこれ以上の説明をすることができない。
得体の知れない同居人は、気がついたら部屋の片隅にいた。最初は戸惑って追い出そうとした。が、ほとんど動かないそれは、なぜか捕まえることができなかった。
次第に無害であると分かってきて、体温と手触りについても知るうち、晴れて同居人となったわけだ。
それは、部屋の片隅から離れない。
それは、この世のものではない。
今日も夕食の余りを部屋の片隅に置く。皿の中身が少しずつ減っていく。同居人に触れると、いつも通り温かい。見覚えのない、見慣れた同居人。優しい色をしている。
捕獲を試みると、やっぱり捕まらない。
それとの生活は温かい。
眠れないほど
眠れないほど怖い話、というのを見た。
確かに怖かった。夜トイレに行けないほど怖かった。しかし夜はぐっすり寝た。悪夢は見たが。
眠れないほど面白い雑学、というのを見た。
確かに面白かった。非常に感心した。しかし途中で寝落ちてしまい、結局朝までぐっすりだった。内容は半分くらいしか覚えていない。
課題が終わらず、眠ってはならなくなった。
今日は徹夜だ。頑張って終わらせるんだ。書く。ページをめくる。書く。書く。眠い。ページをめくる。すやすや。気がついたら朝だった。先生になんて言おう。
ある日、君に告白された。
明日はデートだ。うれしい。こんなに幸せなのは初めてかもしれない。早く寝よう。あれ、寝られない。楽しみすぎて寝られない。わくわく。
次の日、寝坊した。
10分遅刻してしまい、君に謝って、お詫びにジュースを奢った。10分で済んだのは不幸中の幸いだったかもしれない。美味しそうにジュースを飲む彼女に心打たれる。
眠れないほど君が好きだ。と君に言う。
ちゃんと寝なよ、と笑われた。