Rara

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あじさい



とある梅雨の日、僕は帰り道で紫陽花の花びらを発見した。あじさい。雨とカタツムリの似合う花。雨がしとしと降っていて、僕も町の人々も傘を差していた。足もとに点々と散る紫陽花の花びらは雨によく映えて綺麗だったが、この近くに紫陽花はない。そういえば紫陽花見たかったんだよな、などと思い出す。
ふと、その花びらが道標のように散らばっているのを発見した。辿れば何かがありそうな、そんな予感を抱く。普段なら通り過ぎる横道に、普段なら通り過ぎる道標。しかし、気づけば僕はふらふらと辿りはじめていた。

「あれ…もしかしてあなたもこれを辿って…?」

そう言って猫の柄をした傘が振り返り、同年代らしき女が顔を見せる。

「奇遇だね。私もこの花びらに誘われてきたの。他にも誘われた人がいるなんて思わなかった」

彼女はふわりと笑う。傘と雨粒の音がしている。

「まだ続いてるみたいだよ、この道標。それにしても、他に人がいてよかった…」

そういえば途中で誰にも会わなかったな。そこそこ人通りのある道だったと思うが…

「よかったら一緒に行く?話し相手が欲しくて」

こうして僕と彼女は不思議な道標を追うことになった。

ーーー

「それでねー、結局その猫には逃げられちゃって。野良猫ちゃんは気難しいよねぇ。でもね…」

彼女はよく喋る人だった。元々話すのが苦手だった僕は聞き役に徹した。彼女の話はとても面白くて、聞いているだけでワクワクしたし楽しくなった。こんなにも続きが聞きたいと思う話は久々な気がする。

「…あれ。花びらが途切れてる」

彼女がそう言い、足元に目線をやる。花びらは一際多く散らばっていて…いや、ぎっしり敷き詰められていて紫陽花の絨毯みたいだった。しかし道標はもう続いていない。彼女との冒険はこれで終わりのようだ。残念な気持ちが湧き上がる。

「わぁ、すごい!絨毯みたい!」

そう言って彼女は駆け出す。いつの間にか雨は止んでいて、雨上がりの明るさが眩しくて。照らされる絨毯と彼女の髪が綺麗だった。僕も追いかけるようにして駆け出し…足が絨毯に触れた、その瞬間だった。

落ちる。落ちていく。紫陽花の下は穴だった。大量の花びらに混じり、深く深く落ちる。どこまでが自分で、どこからが花びらなのか分からなくなってくる。落ちる。落ちる。落ちているのか止まっているのかも分からない。僕は紫陽花だ。いや違う、僕は…僕は、誰だ?

ーーー

気がつくと、あの帰り道にいた。悪い夢から覚めた気分だったが、そんな記憶も急速に薄れていく。僕は、何事もなかったかのように傘を差して立っていた。
僕には自分の名前と自分の存在がある。
どこかで見たような色の猫が、どこかで見たような紫陽花の花壇に座っている。
いつも通りの景色をぼうっと見て、家に帰る途中だと思い出し、寄り道せずに歩く。寄り道も何も、ここは一本道だが。
傘と雨粒の音がしている。

最近、紫陽花を見ると寂しいような恋しいような不思議な感情を抱く。なんとなく、猫を思い出す。

「奇遇だね。私も今帰りなの。よかったら一緒に行く?話し相手が欲しくて」

そう幼馴染が声をかけてくる。いつもの猫柄の傘だ。
なんだか幸せだなぁ、と思った。

6/13/2024, 12:49:07 PM