【遠い日の記憶】
「朝からパンケーキが食べられるなんて、夢みたいだ」
僕がフライパンでパンケーキをひっくり返していると、甘い香りに釣られた君がやってきた。
カーディガンを羽織りながら、隣からフライパンを眺める。
顔は幸せでにやけていた。
「そうなの?」
「うん、そうなの」
尋ねたら真似をされて返された。ご機嫌らしい。
「私さ、小さい頃は『朝ごはんはお米だ』って決められてたの。実家は農家だったしさ。兄弟も多くて甘いのが嫌い〜って子もいたから、仕方なくて」
本当は甘い朝ごはんに憧れてたのよ。
「へぇ、初耳だよ」
「ひたすら白米を炊いて食べるのよ。夏でも熱々でね」
「いいな。羨ましいや」
言葉をこぼすと、彼女は僕の顔を横からのぞいてきた。
「もしかして、パン派だった?」
「ふふ、パンもよく出たけどね」
古い記憶を辿る。僕の朝は冷たい食事から始まった。
両親は共働きだ。
僕が起きるより先に出勤する為、自力で起きて用意済みの冷たいご飯にありつくのだ。
最初はレンジで温めていたが、次第に冷たいまま口にするようになった。
ひとりぼっちの朝食なのだ。
それが昔の僕にとっての普通だった。
「家族ってさ、人によって結構違うのね」
彼女が言った。いつの間にか白いお皿を差し出している。
「かもね。子供の時はみんな似たようなものだろうと信じてたんだけどな」
ぽん、とホットケーキを乗せるとご機嫌に笑ってみせた。
「そんなものだよ。人間なんて。みんな違うのが当たり前なのに、心のどこかで『一緒であって欲しい』だなんてフィルターかけちゃう生き物なんだ」
違うのは当たり前なのにね。
と彼女は言った。
その通りだと思う。うまく言えない感情だけど。
ほかほかの朝食をテーブルに並べながら、少し考え事をしていると彼女はこうも言った。
「君はどうする?」
「何をだい?」
「これからの家族をだよ。君はどんな家族になりたい?」
そうだな、と考える。思い立つのはひとつだった。
「朝食は家族揃って食べる。そんな家族がいいかな」
「ははは、たまにパンケーキをよろしくね」
僕らはいただきますと手を合わせる。
賑やかな朝食は、ふわふわとして、温かい。
【終わりにしよう】
彼女と出会った事を、僕は運命のように思う日がある。
「やぁ、きみか」
お昼休み。
校庭の隅の木漏れ日で、友人と弁当を広げると。彼女は音もなくやってきた。
「今日は僕のお弁当食べるの?」
笑って尋ねると、ふぃっと横を向く。
「あ、これが噂の?」
「本当だ、美女じゃん」
友人も彼女を見つけると思い思いに口を開いた。
ね。美女さんでしょ。
ツンデレで小柄な所も、僕はとても気に入っている。
友人のそばをすり抜けて、彼女が僕の元に来ると足に手を置いた。
彼女の一声で、僕はにやけてしまう。
「ねぇ、そろそろ野良生活を終わらせて、僕の家に嫁がない?」
「お前は子猫と結婚する気かっ!」
友人のツッコミにどっと笑いが起こる。
彼女はと言うと、僕から卵焼きを受け取りながら、にゃあ、とそっけなく鳴いた。
【手を取り合って】
家の扉を蹴り飛ばし
やってきました港町
家出を掲げて歩くのは
親友 悪友 そして僕
寂しくなったら 手を繋げ
挫けそうなら 笑い合え
ガタンゴトンと騒ぐ隣を
どんちゃん騒ぎで歩みます
廃線の上を早3日 一心発起の反抗期
全ては僕らの 可能性を知るために
もう子供には戻れない
(余談)
元々詩人なので、久々に詩を書きました。
なんと言うか、反抗期は『親からの旅立ち』『友達との挑戦』の狭間で揺れ動く時期なのだなと思います。
そうやって、人は大人になるのかもしれません。
【優越感、劣等感】
類い稀なる文才を持つが、締切を守らない作家と、
締切を必ず守る速筆だが、文章は人並みの作家。
はて、どちらが優秀か。
その議題に結論を出すべく、僕と藤守は賭けをした。
大学の文化祭。
僕と藤守はそれぞれのやり方で商売をしたのだ。
筆の速い僕は手作りの文集を売ることにした。自慢ではないが、知識も速度も僕にはある。
小説以外にも、今まで手がけた論文や研究議題など、多岐にわたる情報が満載に込めた本。レポートに喘ぐ学生が興味を示すと思ったのだ。
逆に。
藤守は文字を一文字を書かなかった。
彼は鬼才だが、締切を守れないことで有名だったからだ。だから、締切のないものを売る。
『お好きなテーマで小説を書きます。ただし、締め切りは無しで』
と。小説を書いてもらう権利を売った。
結果はどうだったか。
そんなもの。
藤守の勝利で圧倒的だった。
売店の教室に収まらないほどファンが並ぶ。
多くの人は女性で、藤守に恋物語や二次創作を頼んでは黄色い声をあげていた。
「いやぁ、俺の小説が好きだなんてありがとうね」
色男が笑うたびに、リクエスト権は売れていく。
五千字で一万円だぞ?
僕と目が合うと、藤守はニヤリと笑った。
ぼったくりの商売と人気に、僕は奥歯を噛み締める。落ち着かせようと握る自分の腕が痛い。
絶対的優位。彼の才能は本物だ。
悔しくてらたまらなかった。
けどそのあと、彼はさらに驚くべき行動をとった。
ーー文化祭の後、藤守は一筆たりとも小説を書く事はなかったのだ。
締切がなくて小説を書けなくなる小説家は、山の様にいると言う。
大学を卒業しても、彼は小説を書く事はなかった。
締切のないリクエストは死ぬまで有効らしい。
……あれだけの才能がありながら、なんで?
藤守は大学卒業後、姿をくらました。
彼の行方は誰も知らない。
そして、僕は今も細々と、小説を書き続けている。
【これまでずっと】
進捗いかがかな、と部屋に入ってくるなり祖父に言われて、私は自分の胸を抑えた。
心臓発作が起こりそうだ。
「うっ、まだです……!」
「ははは、そんなこったろうと思うたんや」
カレンダーを見上げれば、赤い丸の付いた文化祭の字が目に入る。
〆切まで、あと数日。
前髪をおでこの上で縛り上げ、ラストスパートをかける。私の原稿は、まだインクの乾かない所が目立っていた。
「……お爺ちゃん。父さんたちは?」
「大丈夫、まだ帰ってきとらん」
「そっか……よかった」
祖父が笑う。持ってきてくれたのは夜食のおにぎりだ。彼は私の唯一の味方だった。
白髪だらけになった祖父。持病の薬の副作用で少しふくよかな体だが、祖父の恵比寿みたいな優しい顔立ちが私は大好きだった。
勉強至上主義の父母と違い、祖父だけは私の漫画作りを応援してくれている。
『漫画の何が役に立つ!』
と怒鳴りつける父の言い分はよくわかる。
私だって、大学進学や就職に漫画が役立つとは思ってはいないんだ。
それでも挑戦したい。そう思って、親に隠れて情熱をぶつけてる。今は、きっと最後の反抗期だ。
「そういえばさ、なんでお爺ちゃんは私を応援してくれるの?」
おにぎりを受け取りながら、私は何気なく聞いてみた。インクが乾くのを待つ間の、何気ない雑談に。
「そりゃ、今が真希にとって必要な時間やと知っとるからや」
「?」
必要な? 首を傾げた私に祖父は続けた。
「人間の人生ってのはな、ぜーんぶ繋がっとるんや。あの日、あの時、自分の頑張ったことが、ずーっと後で生かされる時が必ずくるもんでな」
「必ず?」
「そう。必ず。これまでずっと、真希が真摯に向き合ってきたものに、なんの無駄もないんやで」
ーー努力も、出会いも、後悔も。
ーー全てのことに意味がある。
祖父の言葉の意味は、まだ私にはわからない。
けどこの努力がきっと次に繋がるんだと思ったら、心の奥にぽつりと火が灯る感覚がした。
「ありがとう、お爺ちゃん。私、頑張るよ」
「おぅ、頑張りぃ」
思いっきり笑うと、お爺ちゃんもしわくちゃな顔で笑った。
私はペンを走らせる。
この作品を、誰よりも祖父に読んで欲しくて。