『声が枯れるまで』
⚠︎流血表現
時代は昭和後期。
とある工業地帯の中にひっそりと建っている、つぶれた暗い劇場。
そこが私たちの秘密基地だった。
秘密基地を作った当初はまだみんな純粋で、駄菓子を食べながらくだらないことで声が枯れるまで笑った。
初めてできた私の居場所だった。
なのになんで、こうなってしまったんだろう。
私は目の前の男を睨みつける。
彼は眉一つ動かさずに、じっと私を見つめた。
私の足下には、斬られて冷たくなった恋人がいる。
長い綺麗な髪が床に広がって、セーラー服は血で染まっていた。
どうして。
なんで彼女なの。
私が愛せるのは、彼女だけだったのに。
「男なのに、なんでそんなものが好きなの?」
クラスメイトにそうからかわれ、いじめられていた私を助けてくれた。
みんなが見て見ぬふりをしている中で、彼女だけが庇ってくれた。
「好きな格好してるあなたが一番可愛い」と言ってくれた。
私を初めて認めてくれた。
透き通るように綺麗で、誰よりも笑顔が輝いていた彼女。
彼女と他愛ない話をしている時が一番楽しかった。
だって、いつも私の話に相槌を打ちながら、楽しそうに聞いてくれるから。
でも、そんな彼女はもういない。
彼女の遺体の横で、声が枯れるまで泣いた。
そして私は、彼女を殺した男の前に立っている。
こいつのせいで。
こいつのせいでみんな狂って殺し合い、もう誰もいなくなってしまった。
許せない。
私は血のこびりついたステージに転がっている銃を手にとった。
不思議と、罪の意識のようなものは感じなかった。
銃口をゆっくりと正面の男に向ける。
狙いを定めて、発砲した。
パァン!!
激しい発砲音とともに、鮮血が飛び散る。
男が倒れる音を聞いて、死んだのだと理解した。
力が抜けた私は、その場座りこむ。
やった。殺した。
なぜか狂いそうなくらい気持ち良かった。
感情に任せて、声が枯れるまで笑う。
あははははははははは!!
なんでこんなに楽しいんだろう。
さっきまでは怒りと悲しみに満ちていたはず。
彼女の仇を打てたから?
違う。
__私も狂ったんだ。
『すれ違い』
深夜、勤務先のホテルの廊下を、なんとなくぶらぶらと歩く。
今日は夜勤なのだが、何せ仕事がない。
お客様は皆寝ているし、他の仕事は昼間のうちに全部終わらせた。
このまま朝までいるんだと思うと、げんなりする。
暇だなーなんて思いながら、静まり返った廊下を歩いていると、曲がり角の向こうから足音が聞こえてきた。
(ん?誰かいるのか?)
まあでも、お客様が起きてくることは珍しいことではない。
特に気にもせず、そのまま進む。
足音が近づいてくる。
俺は角を曲がり、その人物とすれ違う。
そのとき、
相手の手元で、何かがぎらっと光った。
(何だ今の)
後ろを振り返り、相手の手元を確認する。
はっと息を飲んだ。
その手に握られていたのは、ナイフだった。
俺はそいつにすばやく追いつき、お客様?と声をかける。
そいつは肩をびくっと震わせて振り返った。
知ってる客だった。
とっさに、ナイフを俺から見えない場所に隠す。
バレたことに気づいているのか、視線は泳いでいる。
俺はそいつの手元を指さした。
「ちょっとそれ、見せてもらっていい?」
そいつは何も言わない。
それから、観念したようにナイフを見せた。
「何しようとしてたんですか?」
俺は感じが悪くないように、笑顔で訪ねる。
しかし相手は怯えたような表情で俯く。
数秒経っても、そいつは何も言わない。
俺はここままでは埒が開かないと思い、口を開く。
「どうせ僕を殺ろうとしてたんですよね?」
そいつはばつが悪そうに頷く。
まあそうだろうな、と俺は思う。
そいつに殺されそうになるのは、これが初めてではないのだ。
まず、チェックインした初日に変な毒だか薬だかを盛られ(そいつのとこっそり入れ替えておいた)、そのまた一週間後に後ろから刺されそうになった。
それから少しして、また殺されそうになった。
そんな様子で、俺はこの客に命を狙われている。
警察に突きつけようとしても、無理な話だ。
だってここは、交番など存在しない、異世界なのだから。
懲役の代わりに俺はそいつを縄で縛り上げ、適当な押し入れに突っ込んでおいた。
一息ついて、また廊下に戻る。
今日も仕事したなー
『忘れたくても忘れられない』
もうすぐ受験だという事実が、忘れたくても忘れられない。
緊張して死にそう。
『鋭い眼差し』
⚠︎血が出ます。苦手な人はご注意ください。
薄暗い部屋の中。
僕は、カッターナイフを取り出した。
ゆっくりと刃を出す。
斜めに切れた刃が、窓から差し込む微かな日を受けて、鈍く光った。
僕はそれを、何の躊躇いもなく自分の手首に滑らせた。
切れ味の悪い鉄で、肌を擦るように切る。
数秒経ってから、血液の粒が傷口に浮かんだ。
それはみるみる大きくなり、傷口は赤い線になる。
それでも構わずに、まだ切られていない白い部分に刃を向けた時、
ガチャッとドアが開く音がした。
僕は肩をびくっと震わせる。
湊さんだ。
彼はいつも、ノックもせずに部屋に入ってくる。
案の定、聞こえて来たのは気だるそうな湊さんの声。
「お客様ー、お部屋をお掃除いたしまーす」
彼は定型文のようなそれを口にした後、ちらりとこちらを見やる。
そしてそのまま、固まった。
あー、最悪だ。
湊さんだけには知られたくなかった。
絶対嫌われる。
妙に冷静な自分がいた。
湊さんは僕から目を逸らさずにこちらへ歩み寄る。
近くの救急箱から包帯と消毒液を出すと、何も言わずにすばやく処置を始めた。
僕は血を流したせいか頭がぼーっとして、ただただそれを見つめていた。
手首に丁寧に包帯が巻かれると、湊さんは鋭い眼差しで僕を見る。
今まで見たことがないような、真剣な顔だった。
彼は言葉を選ぶようにしばらく視線を彷徨わせる。
たまに僕と目を合わせて、何か言おうと口を開く。
しかし何も言葉を発せずに、目をふせた。
しばらくその繰り返し。
ふと彼は逸らしていた視線でちらりと僕を見る。
そして、何も言わずに抱きしめた。
ふわっとした暖かい感触が、冷えきった体を包んだ。
僕は彼の肩に頭を預ける。
そのまま、ぽんぽんと頭を撫でられた。
まるで、何も言わなくていい、というように。
ふっと緊張が解けた。
僕は心地よい光に包まれながら、彼の肩で眠りについた。
『高く高く』
たまには、散歩でもしてみる?
美大の卒業制作を描く合間で、彼女に誘われた。
季節は初夏。
といっても、真夏かと思うぐらい暑くて、空気はじめじめしている。
2人で他愛ない会話をしながら、しばらく歩いた。
日差しが容赦なく肌を焼いて、ぐっしょりと汗で濡れたTシャツが背中に張り付く。
疲れたねー、と彼女が言った。私もそれに疲れたね、と返した。
道端の自販機で、炭酸を買った。
透明な清涼飲料水の中で泳ぐ泡が、きらりと光る。
あー、なんか。
青春だなあ。
ふと、そう思った。
卒業制作で毎日忙しいし、これと言って楽しいこともないけれど。
こういうどうでもいい時間が、青春なのかな。
私は炭酸水の蓋を回す。
プシュッと音をたてて、蓋が外れた。
半分ほど飲み干してから、
真っ青な空に、高く高くそれをかかげた。