ジェーン・ドゥ

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4/5/2026, 10:46:12 AM

星空の下で

家を買った。山の上、小さな小さな家を。人気もなく、虫の鳴き声と木々のさざめきだけが満ちる静かな場所だった。町あかりから遠く離れたこの家では、星がよく見えた。晴れた日、窓から空を覗くのが男の習慣だった。
星空、高く遠く。手を伸ばしたところで届きはしない。瞬く光だけが目を眩ませる。
「人は死んだら星になるのよ」
妻の口癖だった。四角く切り取られた白い部屋、横たわる姿ばかりが記憶に残っている。ゆっくりと、しかし止まることなく死は妻に歩み寄っていた。壁に取り付けられたひとつの窓だけが、妻が見ることのできる世界だった。星空を見つめるのは、元は妻の習慣だった。死の間際まで、妻は穏やかだった。男の方が余程怯え震えていた。
「あなた、私は空にいますから。あなたをずっと見ていますから」
今際の言葉だった。それ以来男は、空を眺める。
星空、高く遠く。煌々と輝くそのひとつに、妻がいる。
静かな山の上、今日も探し続けている。ただひたすらに、見つめ続けている。

3/31/2026, 2:09:20 PM

幸せに

薄紅色の花弁が飛び交う。降り注ぐ祝福の声を全身に浴びながらそのふたりは笑っていた。純白のドレスは彼女の白い肌によく似合っていて、その眩しさに目が痛くなるほどだった。
ねぇ、私の愛しい人。きっときっと、幸せなのね。
ぱちり、と音がなった気がした。目が合った。満ち足りた瞳が細まり、柔らかな笑みを浮かべた。あたたかな陽射しが降り注ぐ。あんまりにも綺麗で、涙が溢れた。
どうかどうか、涙のわけに気づかないままでいて。

3/25/2026, 10:08:29 AM

ところにより雨

※人によっては気分を害する表現が含まれます。



雨が降っていた。

父が死んだ。そう告げられたのは大暑。じめじめとした、セミさえ鳴きやむ茹だるように暑い夏の朝だった。
父の葬儀の日は、曇天の空模様だった。重く黒い雲は空一面を多い、太陽の光を覆い隠してしまっていた。夏の昼間だと言うのに外は暗く、室内は少し眩しいくらいだった。鯨幕で覆われた部屋の中は物悲しさだけが満ちていた。

雨が降っていた。

棺に横たわる父を見た。眠っているようだった。今にも起き出して、「おはよう」と声をかけてきそうなくらいに。穏やかな表情で父はそこにいた。花が苦手だと言って、近寄ろうとしなかった父の周囲を、一際嫌いだったゆりの花が囲っていた。スーツに花粉が着くとなかなか取れないんだ、と珍しく眉をひそめて言っていた父。頬についていた花粉をそっと拭った。いつも柔らかで温かかった肌は石のように固く、冷たかった。

雨が降っていた。

__人は死んだら石になるんだよ。
いつか聞いた父の言葉が頭を過った。額に1度キスをした。冷たい肌。大きくなるにつれてしなくなった触れるだけのキス。脳裏に浮かぶのは馬鹿みたいに喜ぶ父の笑顔。目の前の父はピクリとも動きはしなかった。柔らかく微笑む口元は記憶にある父の笑顔と違いすぎて、まるで別人のように思えた。

雨が降っていた。

ゆっくりと立ちのぼる煙をただただ見つめた。立ち上る煙の中にはきっと混ざっているのだろう。父のからだ。家族写真。昔送った似顔絵に、ネイビーブルーのネクタイ。空へ空へと高く登っていく。手の届かない先へと。

雨が降っていた。

空は相変わらずの曇天だった。空全てを覆った黒い黒い雲は、それでも雨粒をこぼさない。じめじめとした生温い風だけが肌に触れる。これでは、外に出てきた意味が無い。

雨が降っていた。

父が病気であったことを今朝知った。触れた父の頬には私の知らない、いくつものシワが刻まれていた。ごわごわとした白髪混じりの黒髪は柔らかで細い真っ白なものへと変わっていた。眠る私を抱き上げた大きな体は、知らぬ間にやせ細り、小さくなっていた。記憶の中の父とはあまりにも違う姿。田舎を嫌い、出ていった私。顔が見たいと、何度も連絡が来ていたのに。

雨が降っていた。

地面に、服にぽたぽたと落ちる雫。頬を伝う生ぬるい熱。ずっ、と鼻が湿った音を鳴らした。

雨が、降っていた。
その日、止むことは無かった。

2/23/2026, 3:40:52 PM

Love you

ねぇ、誰を見ているの。
教室の窓際、ひとつ前の席。窓の隙間から風が吹く度に揺れる黒髪の艶やかなこと。体育の後、退屈で眠くなる授業の時でもぴんと伸びた背筋が、彼女の性格を表していた。教師に名前を呼ばれて、彼女の凛とした声が朗々と教科書を読み上げる。嫌いな国語の授業だけれど、この時間だけは楽しみだった。
グラウンドからは活気に満ちた声が聞こえる。火曜日と木曜日の3時間目。隣のクラスの体育の時間。その時だけ、普段なら黒板だけを真っ直ぐに見つめる彼女の視線が、窓の外に向かう。いつもなら、後ろからでは髪に隠れて見えない彼女の白い頬がよく見える。甘く色付く桜色。伏し目に、口元には柔らかな笑みを浮かべて、その視線は誰かを追いかけている。
ただ、その横顔を見ていた。
ただ、その横顔を見ていた。