降り積もる想い
「なあ、僕たちが出会わなければ、こんなにみんな辛くなるってこと、なかったんじゃないのか」
降り積もる雪の中、僕は御剣に向かってその言葉を吐いた。
どうやら御剣は目を見開いて驚いてしまっていたようで、そう思っているのは僕だけらしいと、そう感じた。
「何故、そんなことを言う?」
「だってさ、真宵ちゃんがずっと殺されそうなのも、千尋さんが死んだのも、全部はお前の事件からだろ」
きっと、僕はこんなことを言いたいわけではない。それはつまり、御剣に死ねって言っているようなものだ。
だけどどうしても僕は、真宵ちゃんに幸せになっていて欲しくて。僕なんかと関わり始めてから、真宵ちゃんの不幸な物語が始まりを告げた。
ずっと真宵ちゃんが隣にいて思う。これは、僕が悪いのか、真宵ちゃんが悪いのか。どんどん過去を辿っていくと、答えはひとつになってしまったんだ。
「……そうか、成歩堂。何を言いたいのか分からないが、その言葉のまま受け取るのなら、私は存在してはいけないのかもしれないな」
「…………」
『違う』そう言えばよかったのに、何故か言い出せない。僕はなんで弁護士になった?御剣を救う為だろ?
じゃあなんでこんなこと、思ってるんだよ。
「そうだな。キサマは私よりも大切な存在を見つけたのだろう?」
「……え?」
「ゴドー検事に言われたそうだな。真宵くんも、そのお姉さんも成歩堂が守るべきだったと」
そうだ。僕は、御剣を救おうと思えば思うほど、救いたい人物がさらに増えていた。
救えなかった人もいれば、別の人に救われた人もいる。
「そんなことを考えていると、いちばん辛いのは成歩堂になってしまうぞ」
「でも、僕は……」
御剣はさしていた傘を閉じて、僕に渡してきた。
「な、なんだよ……」
何か経験しているように、御剣は余裕そうに僕のことを見た。
「積もりに積もった想いは、やがて身を滅ぼす。一方で、その想いは、かけられた人にはとても伝わり、嬉しく思うものだ」
「……何が言いたいんだよ」
さんさんと降っている雪の中、御剣は何もささずに道を歩き始める。
どういう意味かが分からなくて、僕は歩いている御剣の腕を握った。白い息は僕の方が大きかった。
「キサマのその過剰なまでの想いは伝わり、救われた人がいるということだ。……成歩堂、この想いは誰を想う気持ちから始まったか?」
ハッとする。そうだ、この想いは御剣を想う気持ちから始まったんだ。そんな奴と関わらなければよかったなんて、それは御剣が救われないということだ。
握る力が緩んでしまった。御剣は僕の方へと向き直してくれて、目を合わせてきた。
「成歩堂、お前は大丈夫だ。キミみたいに過剰なまでの想いを一人から受け取っている訳ではない。だが、成歩堂に救われた、全ての人から少しずつ降り積もった想いが、キミを救うさ」
「……御剣」
「ム、なんだ?」
「さっきは、悪かったな」
「あ、ああ、気にし__」
「へぶしッ!!」
どうしても寒さには慣れなくて、くしゃみが響き渡る。
御剣は呆れた顔をして僕を見ていた。その表情を見て、僕はなんだか懐かしい気持ちになった。
「ははっ……あははっ!」
「な、なんだ……全く」
どうやら僕はの考えていたことは無駄ではなかったらしい。
明日への光
鏡を見ると、自分だろうかと疑問に思う。
俺はこんなにも、自信が無さそうに見えているのかと。もう少しだけでも自信家のように見えていて欲しい。
『お前はもう、自信家だろ』
きっと誰に聞いても、こう返してくる。
そうじゃない。そうじゃなくて、どうしてこんなにも瞳の奥が辛そうなのだろうか?
「俺様は……おれ、は」
段々と鏡の中の自分の顔が崩れていくのがわかる。幻覚であって欲しい。けれど、目眩よりも酷いなにかが、どんどんと俺のことを襲ってくる。
自分の顔に急いで水をかける。冷たい水のお陰で、崩れていくのは収まった。
「くまたん!」
「ん、あ、ああ、……爺さん、どうした」
「ローブ、忘れてるぞ」
自分の格好を見るために、鏡をもう一度だけ見る。
いつも羽織っているローブは、何故かなかった。その代わりに、禽次郎、爺さんの手元にそれはあった。
急いで駆けつけて、急いでローブを羽織る。そうしないと、さらに自信がなくなりそうだったから。
「……ありがとう」
目を合わせられずに、目を逸らした。しかし爺さんはそれを許してくれるかのように、俺の肩に手を乗せる。
恐る恐る爺さんの姿を見てみると、普段通りの若々しい、高校生の姿の爺さんだったのに、俺よりも年上のような余裕のある表情をしていた。
「じゃ、僕は帰るから」
何か言いたげではあったが、それを押し殺すようにして爺さん、禽次郎は去ろうとしていた。
「き、……爺さん!」
「ん?どうした?」
「今……俺は自信があるように見えるか?」
「ああ。そのローブがなくなって、くまたんはいつも自信に満ち溢れているな」
なんの間もなく、禽次郎はそう答える。
「大丈夫だ。自分を信じてみろ。きっと自分という存在が光になるさ」
そう言うと禽次郎は部屋から去っていった。
俺は急いで鏡の前に立つと、辛そうな瞳をしている自分でさえも自信の一部だと思えた。
右手を強く握り、鏡の自分を見る。
「……それで、それでいい」
ずっとそうしとけば、明日への光は途切れることはない。
そうだろ。
「そうだなあ。そうさ、俺様が誰よりも輝く光だ」
高々しく口角を上げて、自分に言い聞かせる。
心の深呼吸
こういう時、何故自分がこんなにも弱いのかと思ってしまう。
落ち着こうにも落ち着く方法を知らなくて、苦しくなるのを待っているだけだ。
「斎藤、大丈夫か?」
「……」
無視している訳では無いのに、自分のことに手一杯になってしまって、どうも応えることが出来ない。
一人になりたいのか、誰かが隣にいて欲しいかすら自分には分からなくて、自分が他人のように感じてしまう。
「……左之助」
精一杯出した声から、俺は隣に誰かがいて欲しいのだと察する。きっとこうなってしまうのは、ストレスによるものなのだろう。
いつもそうだ。一人で抱え込みきれなくなって、勝手に辛くなる。段々と視界が狭くなって、何も見えなくなる。
「斎藤、心の為に深呼吸しろ」
『心の為』という意味がわからなかったが、きっと左之助は俺よりも、人生というものに向き合ってきた時間が長い。だから、俺よりも知っていることが多いはずだ。
左之助に続くように、俺は深呼吸をする。
その時間はとてもゆっくりなようで早く、俺の心に印象づいた。
時間が過ぎた後、俺は何処か心が軽くなったような気がしたのを感じた。視界が広いような気がした。
「……ありがとう、左之助」
「いいんだ。俺もそんなことたまにあるから、解決する方法を知ってるってだけだ」
左之助にも弱い部分があるのだと、やはり人間なのだと実感することが出来た。
俺にとって左之助は、とても強い人間で、尊敬する人だ。だからといって、弱い部分があってはならないという訳ではない。
むしろ、弱い部分があってからこそ、強い部分が輝く。
「何故、あんな方法を知っている?」
左之助は寒く孤独な夜を覗きながら、口角を上げる。
「心ってのは、良い事も悪い事も、全て糊みてえに貼っちまうんだ。だけど、心の深呼吸をして、自分の胸の内を静かにすると、一度リセットされる」
「心の、深呼吸」
「そうだ。覚えとけ。お前は方法を知らないってだけで、解決しようと頑張ってんだ」
中が空っぽな人間と、善人である人間は、どちらの方が純粋と言えるだろうか。
心の深呼吸、それは自分を見つめ直す時間を強制的に作り、自分の心を強くすること。
「誰かがこのことを教えてくれたのか?」
そう言うと左之助は、俺の元へやってきて背中を力強く叩く。
「考えたんだよ。何時間もかけてな」
「……そうか」
俺は他人に教えられて、やっと分かるような構造をしている人間なのだろう。
だが、それでもいいのだと、左之助が教えてくれたような気がした。
手放した時間
他人に尽くすと、それは自分の時間を手放したと言える。
それは果たしていい事なのか、自分には分からなかった。悪いことだったとしても、その理由を説明することは俺には出来ない。
家族の時間なんかそうだ。きっと俺は、家族に尽くしたと言える。否、その言い方でしか関わることが出来なかったのかもしれない。
ずっと本音を殺して、居場所を作っていた。
辛いだなんて言葉、口にすることなんて相当なことがあったとしても、不可能だった。
その手放した、手放してしまった時間は、家族が居なくなったことによって埋めることは出来るのだろうか。
「何してんだ、そんなところで」
「あ、ああ……すまない」
左之助は、先程まで屯所の掃除をしていたのだろう。俺が邪魔だったのか、箒でこれの足を優しく叩いた。
この問題は、誰にも伝える必要のない自分の問題なのだ。
何時もみたいに、左之助に解決してもらう訳にはいかないだろう。
しかしその想いも虚しく、勘づいてしまった左之助がおれに話しかけてきた。
「どうした?なんだ、いつもの考え事か?」
どう答えればいいのか、分からなかった。これは、左之助に話してもいいものなのだろうか。
「……聞いて、くれるか」
考えがまとまっていないのに、言葉になってそれは現れた。やはり、俺は誰かに自分の悩みを伝えたい。
そうすれば、左之助が助けてくれるから。
左之助は柔らかい笑顔を見せて、俺の隣に座った。
「勿論だ」
「俺は、家族に使った時間を取り戻したいんだ。……手放してしまった、あの時間を」
多分、この悩みは左之助は無縁の存在だ。俺が、俺の環境がおかしかっただけだとは、充分に承知している。
だが、左之助は自分事のように考えてくれた。
「そうだなあ、でも、それがなかったら今のお前はいないだろ?」
「だが__」
俺が言葉を発する前に、俺の肩を大きな音を立てて叩く。その左之助は、何処か悲しそうだった。
「ああ、分かる。そんな思い出したくもない記憶、無くしたいし、無駄にしたと思う。」
「……左之助」
「どうした?」
「今、こうしているより俺は、刀を交えたい」
刀だって、きっとあの家族ではなかったら使うことなんてなかった。
しかし、その刀は今では言葉となった。刀を交わすことで、俺は会話をすることが出来る。
左之助は立ち上がって、俺に木刀を投付ける。
「かかってこいよ」
挑発するように左之助は、俺に向かって指を指す。
考えていることも、俺にとっては手放した時間であると、ハッとした。
それは、左之助に伝えると答えがすぐに帰ってきたからだ。ならば、俺が迷っている必要は無い。
今大切なのは、過去の鎖を見つめるより、目の前の光を見ることだ。
「ああ、勿論」
泥沼になんか嵌らない。俺は、土を歩いて自分の足跡をつける。
手放した時間は、もう戻ってこない。ならば、これから手放さなければいい話だ。
夢の断片
きっと幸せになりたかった自分が居て。
けれどそれはもう、幻想になってしまっていた。
自分の脈拍が段々となくなっていくのが何故か、よく分かってしまった。
死ぬ時はせめて、誰かが隣にいて欲しいものであるが、俺の隣には誰も居ない。
夢というものは追えば追うほど大きくなり、叶いにくくなる、ような気がする。
俺の夢はなんだっただろう。
きっと、ただ従って、刀を振り回して幕府を救うとか、そんな物騒なものではなかった筈だ。
もっとこう、自分の畑を持つとか。仲間と楽しく過ごすとか、そんなちっぽけなものだった気がする。
かつて見たはずの近い夢というものは、遠い未来へと変わっていった。それはもう、実現できないほどに。
「はあ……」
最後の力を振り絞って腕を伸ばしては見たものの、案の定そこには何も無かった。
ただ大粒の雨が、俺の身体に痛い程にのしかかって。冷たい、寒い、そう感じていた。
最後に誰かいれば、俺の夢を託せたのに。
そう、願ってしまったからだろうか。遠くから走って来るような音が聞こえてきた。
「左之助!左之助、大丈夫か?」
「……斎藤、か」
「ああ、そうだ。左之助……」
どこか悟ってしまったように俺の名前を呼び続ける斎藤も、深い傷を負っていた。
この世界というものは、何故こんなにも純粋な奴を傷つけるのが好きなのだろう。
しかし、この機にコイツには、俺の夢を託そう。
「斎藤……」
「どうした、左之助」
「お前は、幸せに……生きろよ」
「左之助……なんで」
力一杯笑顔を見せた。もう意識が朦朧としてきた。
もう何分も経たずに俺は死ぬだろう。斎藤に夢を託せたのに、心には夢の断片が残っている感覚だ。
だが、今更後悔したって遅い。来世は、また斎藤と一緒に過ごせたらいいと思う。
今はそう願って、俺は目を閉じた。