溢れたアイスクリーム
風を感じて
気がついたら地平線まで続く草原の中にいた。
青々とした草原は何処までも伸びていて遮蔽物となる建物一つ見えない。
どうしてこんなところに居るのだろう。
足元をくすぐる若い草の中にただ一人だけで立っている状況が掴めず立ち尽くす。
だだっ広いだけの、何もない、でも不思議と不安はなかった。むしろ満ち足りた気持ちすらある。
穏やかに流れる風の中、心地よい草木の匂いを胸いっぱいに吸い込んではゆっくりと吐く。
疲れたな、と思っていた筈だった。
報われないな、と思っていた。
手が届きそうで背伸びして、全然届く事ない現実に打ちのめされ続けた。何者かになりたかった。
『また会おう』
最後の最後に思い出すのは目を赤くして涙を堪える顔。耐えすぎて真っ赤になった顔で必死になって笑顔を作ろうとしている、そんな不細工な顔だった。
お前が嫌いだったよ、藤丸。
僕の欲しいものを何もかも持っていた。
出来損ない同士、同じだと思っていたことを恥ずかしく思った。僕はお前になりたかった。
でもそうじゃなくて。
生きてる意味を見出せなかった人生に意味を作ることを教えてくれたお前だからこそ、お前の役に立てて良かったと思う。
あぁ、いつかまた会おう。
僕は笑って言えたかどうか、もう確かめる術はないけれど。
顔をあげる。
晴々とした気持ちだった。
生きていた時よりもずっとずっと。
あぁ、今とても君に会いたい。
話したいことだらけで何から話したら良いだろう。
モゴモゴと脈絡なく話し始める僕に、きっと君は困った人ねと鈴を転がすように笑うだろう。
暖かな風の中に少し冷たい風が吹く。
君かい、アナスタシア。
待っていてくれるとわかっていても迎えには来てくれないのは君らしい。
導かれるように少し冷たい風の吹く方へ歩き出す。
いつだって君は僕を導いてくれる。
風が吹くように、そっと。
ただいま、夏
『帰って欲しい』
連日40度に近い記憶をマークするとかやりすぎではないだろうか。土地は干上がり陽射しで肌は焼け、炎天下で人はバタバタと倒れる。
やりすぎやりすぎ。
洗濯物が乾くとか、布団のダニが死ぬとか、毎日があまりにも暑すぎる恩恵と弊害が釣り合わない。
台風すらも方向転換して去っていく。
ただいま、と帰ってきて欲しいのは30度くらいの
スイカが美味しい夏である。風鈴の鈴の音が爽やかに響き、浴衣が涼やかに着こなせる、そんな夏である。
電子レンジの中にいるような夏ではない。
夏、おかえり願いたい。
ぬるい炭酸と無口な君
『俺、一度嫌いになった人間とか無理なんだよね』
職場でニタニタと笑いながら自慢げに話す上司に
『わかる!俺もですよ!』
調子良く合わせてゴマを擦り続ける男。
いつも通りのグッタリとする光景を見ないようにしてパソコンに向かう。
ねぇ、知ってます?そこでゴマを擦り続ける調子のいい貴方のお気に入り、貴方が居ない時に貴方のことを誰も悪く言ってないのに突然悪く言い出して可哀想な俺アピールに使ってますよ。
決して口には出さないけれど、人というものの弱さというものを嫌というほどこの職場は見せつけてくる。
強きに媚びて、弱きにぶつける。
ウンザリとするほどにたもの同士ばかりが職場に残り、能あるものはどんどんと飛び立つ。
早いところ私も逃げ出したい。
薄ら笑いを浮かべながら気持ちばかりがすり減る時間を延々と過ごし続ける事に疲れ果てていた。
私も力があったらなぁ。
自分に自信がないから目を逸らす事ばかりに長けてしまって向き合うことから逃げ続けた末路がいまだ。
こんな所に居たくない。
真っ正直に言葉にすれば針の穴が開くほどに『気に入らない相手』として『使えない』と溜まった不満をぶつけられるだろう。八つ当たりもいいところだけれど、それを認識出来るだけの能力を持つ人間がこの職場に残っているのだろうか。
温くなった炭酸は表面にびっしりと水滴をつけて
触れれば手のひらにびっしょりと水を垂らした。
泣くことが出来ずに言葉を紡ぐことも忘れて
ただただ黙る事でしか抵抗できない。
かつて冷たいジュースだったなにかは、
不満で炭酸だけが抜け落ちて、ぬるい空気にまとわり付かれていずれ堰が切れたように泣き出しては飲めない砂糖水だけが残るんだ。
滑稽だ。
まるで私じゃないか。
8月、君に会いたい
澄み渡る青空の中に美しい白のコントラストが目を引く。悠々と伸びていく飛行機雲の向こうには入道雲が見えた。もくもくふわふわと漂う姿に幼い子供が嬉しそうに頬張る甘いお菓子を思い出した。
今年もまた縁日の季節がやってくる。
祭囃子の賑やかな声、神輿を担ぐ楽しげな掛け声。
笑い合う人々の中にこっそりと紛れた小さな童は人ならざるもの特有の空気を持つ不思議な女の子だった。
目に見えないものに特別敏感なわけでもない自分にだけ見える小さな女の子の手を取り、二人一緒に大人の目をかいくぐって屋台をめぐるワクワクした気持ちはきっと忘れることはないだろう。
またね。
手を振って別れた笑顔の可愛い女の子の名前が書かれた灯籠を今年も流す時が来る。
産まれてくるはずだった私の可愛い妹に、また今年も会えるだろうか。