ただいま、夏
『帰って欲しい』
連日40度に近い記憶をマークするとかやりすぎではないだろうか。土地は干上がり陽射しで肌は焼け、炎天下で人はバタバタと倒れる。
やりすぎやりすぎ。
洗濯物が乾くとか、布団のダニが死ぬとか、毎日があまりにも暑すぎる恩恵と弊害が釣り合わない。
台風すらも方向転換して去っていく。
ただいま、と帰ってきて欲しいのは30度くらいの
スイカが美味しい夏である。風鈴の鈴の音が爽やかに響き、浴衣が涼やかに着こなせる、そんな夏である。
電子レンジの中にいるような夏ではない。
夏、おかえり願いたい。
ぬるい炭酸と無口な君
『俺、一度嫌いになった人間とか無理なんだよね』
職場でニタニタと笑いながら自慢げに話す上司に
『わかる!俺もですよ!』
調子良く合わせてゴマを擦り続ける男。
いつも通りのグッタリとする光景を見ないようにしてパソコンに向かう。
ねぇ、知ってます?そこでゴマを擦り続ける調子のいい貴方のお気に入り、貴方が居ない時に貴方のことを誰も悪く言ってないのに突然悪く言い出して可哀想な俺アピールに使ってますよ。
決して口には出さないけれど、人というものの弱さというものを嫌というほどこの職場は見せつけてくる。
強きに媚びて、弱きにぶつける。
ウンザリとするほどにたもの同士ばかりが職場に残り、能あるものはどんどんと飛び立つ。
早いところ私も逃げ出したい。
薄ら笑いを浮かべながら気持ちばかりがすり減る時間を延々と過ごし続ける事に疲れ果てていた。
私も力があったらなぁ。
自分に自信がないから目を逸らす事ばかりに長けてしまって向き合うことから逃げ続けた末路がいまだ。
こんな所に居たくない。
真っ正直に言葉にすれば針の穴が開くほどに『気に入らない相手』として『使えない』と溜まった不満をぶつけられるだろう。八つ当たりもいいところだけれど、それを認識出来るだけの能力を持つ人間がこの職場に残っているのだろうか。
温くなった炭酸は表面にびっしりと水滴をつけて
触れれば手のひらにびっしょりと水を垂らした。
泣くことが出来ずに言葉を紡ぐことも忘れて
ただただ黙る事でしか抵抗できない。
かつて冷たいジュースだったなにかは、
不満で炭酸だけが抜け落ちて、ぬるい空気にまとわり付かれていずれ堰が切れたように泣き出しては飲めない砂糖水だけが残るんだ。
滑稽だ。
まるで私じゃないか。
8月、君に会いたい
澄み渡る青空の中に美しい白のコントラストが目を引く。悠々と伸びていく飛行機雲の向こうには入道雲が見えた。もくもくふわふわと漂う姿に幼い子供が嬉しそうに頬張る甘いお菓子を思い出した。
今年もまた縁日の季節がやってくる。
祭囃子の賑やかな声、神輿を担ぐ楽しげな掛け声。
笑い合う人々の中にこっそりと紛れた小さな童は人ならざるもの特有の空気を持つ不思議な女の子だった。
目に見えないものに特別敏感なわけでもない自分にだけ見える小さな女の子の手を取り、二人一緒に大人の目をかいくぐって屋台をめぐるワクワクした気持ちはきっと忘れることはないだろう。
またね。
手を振って別れた笑顔の可愛い女の子の名前が書かれた灯籠を今年も流す時が来る。
産まれてくるはずだった私の可愛い妹に、また今年も会えるだろうか。
熱い鼓動
その姿を目にした時、思い出したのは奪われた憎しみよりも自分たちを守り戦う暖かで大きな背中だった。
再戦、と言う言葉が相応しいかもわからない。
再びと対峙した『鬼』は寸分違わぬ姿で立ち塞がった。
思わず日輪刀を握りしめる手に汗が滲む。
忘れもしないあの夜、動きを追うことしかできなかった斬撃を今は躱せる。通用する技も覚えた。あの時とは違う。でも足りない。まだ足りない。
目の前で庇われる背中に傷が増えていく。
同じ事を繰り返させない。
庇われるだけではダメだと言うのに。
通用する技も覚えたと言うのに。
考えろ、考えろ、何が出来るか考え続けろ。
焦るな焦るな焦るな。
必ずチャンスが来るはずだ。
額に滲む汗が日輪刀の鍔に落ちた。
思い出すのは微笑みだった。
心根の清くて強い、優しくて暖かいその笑顔は最期の最期まで泣くしかできない自分を鼓舞する様に照らし続けた。
『君たちを信じる。』
その言葉を忘れた日は一日としてない。
悲しみだけでは届かない。
憎しみでは打ち克てない。
燃やせ、燃やせ、心を燃やせ
歯を食いしばって前を向け
呼吸を研ぎ澄ませ。
一瞬の動きを見逃すな。
信じてくれた想いを繋げ。
もっと、もっと、もっと。
体中を煮え滾るような血が巡る。
握りしめた両手からドクンドクンと鼓動が鳴るかのようだった。息を吸って吐く。全集中で全ての神経を研ぎ澄ませる。
『強いものは弱いものを助け守る。
そして、弱いものは強くなり自分より弱いものを助け守る。』
腹の底から搾り出す声はかつて命を賭けて繋がれた縁の教えだった。漆黒に輝く刃を支える鍔が頷くようにカチャリと音を鳴らす。守られたからこそ知っている、その重みと大切さを。だからこそ、負けらない。
『猗窩座、お前の考え方を許さない。』
信念と決意と、信じて貰った願いを背負って
断じて認めるわけにはいかないこの鬼を此処で止めてみせる。
『これ以上、お前の好きにはさせない!』
今此処で、全ての因縁に決着をつけよう。
ドクリとなった心音と共に決戦は始まった。
鬼滅を観に行きたいです。