八月三十一日午後五時
8月31日は嫌いだ。
夏休みの宿題を慌てて解き出した時に呆れるようなため息が聞こえた。
わざとらしく『だから言ったのに』とうんざりしたように言う声に黙って耐える。
せっかく始めた宿題の手が止まると言うのに。
やり始めた途端に狙ったように嫌味を言いに来るその歪んだ性格をなんとかしたらどうだろうか。
やる気スイッチを無理やりOFFにさせに来たつもりなのか、我が親ながら本当に人を嫌な気持ちにさせる天才だと思う。
他人にいい顔をしてはたまるフラストレーションを我が子にしか向けられないその脆弱な人間性にこちらこそ呆れ果てるばかりだ。
何がしたいわけ?
お呼びじゃ無いんだけど、と言外に告げるつもりで呟くと、思っていたより低く忌々しげに言葉が響く。
なによ!心配してあげたのに!
くわっと目を開いたその女は、返された言葉の棘にひりついた大声をあげるとドスドスと足音と立てて部屋から出ていった。
勉強は好きじゃない。
でもそれ以上に『それを言い訳にして』寄ってくる羽虫が好きじゃない。
与えるのではなく関心を貰いたくて構って欲しい、そんな自分を客観的に認識する能力に著しく劣るくせに、他人の世話が何か出来ると思っている。
でも実際は能力的に何も出来ない現実しか待っておらずに現実と向き合える程のプライドもない。
結局何が出来るかと言えばできる事は嫌味かマウントしか残らないのだ。
やれと言う割に邪魔をして、邪魔だと突き放されたら不貞腐れる。自称善意の押し売りがなんの役にも立たないどころか自分の孤独を満たしてもらいたいと言う途轍もなく手前勝手な欲望を目の前の子供にのみ欲している。
『世話をしてあげている』と自ら目を逸らしては余計に干渉しては拒絶されては産んであげたのにと逆恨むのだ。
夏休みはそんな現実から逃げられる時間だった。
勉強しろと言う割に、その勉強には興味を示さず、点数を取っても貶して貶める場所探し。
私はもっと勉強できたのにと叱る事が教育だと思い込み中3の英語すらままならない。言い訳ばかりで支配的なのによそ様相手には借りた猫。ネタがなければ我が子の恥ずかしいエピソード自慢で笑いを取って、こちらだけの自尊心ばかりが削られる。
夏休みはそんなことばかりの現実を唯一見なくていい時間だった。
イライラとしながら目の前の宿題にシャーペンを投げつけては教科書を机から叩き落とす。こうやって癇癪を起こせばまたウチの子は…とよそ様相手に嬉々として話すだろう。
どうでもいい。何もかもが。
夢が覚める。明日が来る。
目に滲む涙のまま目の前のカレンダーに八つ当たれば、9月の顔が無情にも顔を出した。
夏草
アスファルトからの照り返しでジリジリと肌が焼けるのを感じる。明日からはもう9月なのにまだまだ夏の終わりが見えない。
じんわりと背中に滲む汗に陽射しを受けて、右手をかざして空を見上げれば青々とした晴れやかな青空が見えた。
右手に握ったボロボロの退職届は2年前に書いたもので、何度も何度も折れそうな心を現しているかのように白い封筒には薄汚れた跡がついていた。
夏の終わりが来る頃には新しい人生が始まる。
荒地になった土地に生えた雑草ばかりだった人生に、今日終わりの鐘を鳴らすのだ。
長い人生で15年なんて一瞬に過ぎない
豊かさばかり望んでいても、田畑も長い人生で見れば休閑期だって必要だ。思ったよりも長い休憩をしてしまったから雑草だらけになってしまったけれど。
暑いなぁ…
思わず言葉が漏れる。
本当に長い暑い日々だったから。
秋に向けてまた草を刈り上げ、綺麗にしてから種を蒔く。
今度は何が出来るだろう。
長めの休みは土にきっと栄養を溜め込んだ。
だからきっと楽しいものが出来るはず。
楽しいものが出来るように、今度は手厚くしていこう。
燦々と燃やしつくさんとばかりに照らし続けるお日様が、必要とされる大切な要素であるように人生に不必要なものはない。過度に与えられすぎるのは勘弁してほしいけど。
必ず糧になる、なんて詭弁かな。
信じられるかな。
信じて糧にしなくてはもったいない。
私は夏草。
この陽射しの下でも枯れなかった夏草。
たとえ炎天下でも、雨が降らなくても、最後は刈られることになっても、それでもいつかどこかで青々と誇らしげに覆い茂る場所を見つけてみせる。
ここではまだ青芒でも、いつか枯れたら茅となり人を支えるそんな人になりたい。
私は青草。
まだまだ生命溢れる力に満ちている。
君と飛び立つ
『ふっざけんじゃねーですわよ。』
右手を腰に当てて高らかに天を仰ぐ。
かつての自分なら死んですら口にしなかったような小気味のいい小汚い言葉も平気で口にするようになった。
『あーー、うめぇーー!!』
プシュ
プルタブを開ける太い指にみるも汚い指毛がふわふわとたなびくのが見えて嫌そうに片眉を上げるのにも慣れてしまった。慣れというのは恐ろしい。
腰に当てた右手に入る力と同等に左手が握る缶ビールにも力が籠る。ペコリと凹む間はまるで自分の心のようだ。
おかしい。おかしい。
かつては令嬢としてかしずかれて生きていた筈なのに。
口にするものは高価でいて洗練された料理のみ。
美しさを最も良しとし、華やかなドレスを見に纏い、
貴族としての責任と孤独に心を費やした。
悲しみを表に出すことは恥とされ、嘆きは一人で霧散させた。そんな筈だったのに。
『くぁーーー、うめーですわ!この一杯の為に労働とはあるんですのよね!たまんねぇですわ!』
グビグビと飲み干す500缶はあっという間に空になった。
夏場のビールたまんねぇ!そう口にしながら口を拭う手が臭う。
こんな姿を誰に見せられるだろうか。嘆く気持ちと謳歌していくオジサンとしての人生の天秤が揺れた。
貴族だった頃には知らなかった世界が広がる。
脂ぎったつまみに酒。酒の肴に刺身をたらふく食べる幸福に目の前が滲む。転生、最高じゃなくて?
コルセットなんてもういらない。
でっぷりとした自分の腹の肉を摘んでは涙目になる。
今だに鏡を見るのが怖い。
カップに映った醜い顔が自分だと認められない。
それでも。
2缶目のビールに太い腕が伸びる。
プシュ。
プルタブを軽快に開ける音が響く簡素なアパートは天国にも等しい。
『かー!うめー!たまんねーですわ!』
ほろ酔いの心は空を羽ばたく。
今宵も心は空に飛び立つ。
重い身体はビールを片手に夢見心地で空に舞う。
生きるとはこんなにも困難に満ちているのに
どうして私ってばこんなに晴れやかな気持ちなの。
不遇の命で終えた人生は転生して不遇のオヤジになったとしても、お供のビールを片手に持って、今日も夜空を眺める幸せに酔っていく。
『おじ転生』がめちゃくちゃ面白くてオススメし隊
足音
人の性格って意外と足音に出るんだよなぁ。
カカトで歩くように歩く人はカツカツ音を鳴らし
全体重かけてドスドスと足音を立ててくる人もいる。
ここに居るんだぞ、なんてそこまで主張しなくていいと思うのに寂しがり屋なのかしら。
階段脇の私の座席は2階の螺旋階段の通り道。
吹き抜けの風は一階の冷たいエアコン風と3階の暑い空気に挟まれてちょうど私の所で面白い程に立ち止まった。
人の気持ちも似たようなもの。みんな2階に何故持ってくるんだろうね。
一階で起こしたいざこざを2階に持ってきては置いていく。愚痴を吐けばスッキリしてしまうある意味とても幸せな足音は帰る頃には涼やかに足音を高らかに鳴らしながら去っていった。
生温い空気の蔓延した2階で、ぼんやりとしながら机と向き合う。聞かず言わざる見ざるの精神は常に抜き足差し足忍び足。音を立てずに消して漏らさずに、忍びの心で耐えるのみ。
誰一人として2階では我人生はここにあり!なんて言わんばかりに足音を立てる人が居ないのは、やはり性格を表しているのだろうか。ため息をそっと心の中で吐いた。
タン
両足をわざと音を立てて立ち上がる。
振り返る目にニコリと笑い『ジュース買ってきます』と席を立つ。まとわりつくぬるい風には換気が必要だ。
立ち上がった爪先から歩き出した足は音もなく階段を降りる。音もなく降りたらそのまま自動販売機の前に歩くとわざと音を立てて小銭を入れてみた。
カチャリカチャリカチャリ、ピコ、ガタン。
当たり前に響く音に笑みが溢れる。
そんなに主張しなくてもちゃんと買いに来たんだよ。
プルタブを開けてグイッと飲み干した炭酸は生温くなった気持ちも一緒にシュワシュワと消していった。
冷たさが、甘さと爽快が渇いた心と喉を潤した。
さぁ、気合いを入れ直しましょう。
意識して今度は螺旋階段を音を立てて戻ってみようか。
ちゃんと頑張る、ここに居る私を証明する為に。
真夏の記憶
初めて見た時、それは色鮮やかに夜空に輝く光の魔法だと思った。
ネオンライトとも違う、窓から漏れる穏やかな灯りとも違う。鮮烈なまでに煌めき、一瞬だけの輝きが次から次へと溢れ出る洪水のように瞬く。
鼓膜と胸に響くドンドンという打ち上げられた導きの灯し火は天空に届くと一際大きく花ひらいた。
天まで届けと言わんばかりに。声高らかに。
聞こえますか、命の鼓動が。
ドンドンと胸を穿ち、一瞬の鮮烈な光を灯して
次から次へと煌めいては流石に流れるように空の何処かへ還っていく。人の命の煌めきのように。
たまや かぎや
続く日本の風物詩が
末永く夏の夜空を彩りますように。