願い事
『願うだけならタダなんだよね』
何気なく漏らしたその独り言は
特に口に出すつもりがない一言で。
自分に集まる視線をなんでもないと手を振って誤魔化した。
スリーセブンの今年の七夕も特にいつもと変わらない。
令和7年の7月7日だぞ。
特別何か良いことが起こりそうで、日々と変わらない1日を過ごす。
勿体ぶって書こうと思っていた短冊は結局何も書けないまま机の引き出しにしまい込まれたままだった。
願う事ならたくさんある。
健康とか。お金とか。世界平和とか。
世界平和て。
思わず自分の『願い』が壮大で噴き出すと再び視線が集まった。ほんとなんでもないの、マジ。そう言いながら片手を困った顔をして仰ぐと先ほどと同じように沈黙が満ちた。
今年もまた夜空に天の川は見えなくて、毎度の事のように織姫と彦星は会えないのだろう。
全くもって天帝とやらは引き裂かれた恋人たちをどれだけ邪魔したいのか。嫉妬深すぎるだろう、親父よ。
世の父親というものは、娘に対して要らぬ独占欲を持ちすぎではないだろうか。
会いたい時に会えない人を思い続ける、なんてロマンチックでもなんでもない。当事者ならば死活問題だろう。
どんなに憤ったところで今年の七夕は過ぎ去った。短冊だってただの紙でしかないだろう。
それでもまぁ、ちょっとだけは気持ちがわかるから。
携帯の待ち受け画面は次にいつ会えるかもわからない愛しい人。織姫でも彦星でもない私と貴方は1日限定の面会日なんてほど険しい道のりでもないですが。
残りのコーヒーをグイッと飲み干すと立ち上がる。
机に仕舞った短冊に叶うかどうかもわからない大遅刻の願い事を書こうと決めた。
もしかしたら遅刻上等で叶えてくれるかも。
遅延NGで叶わないかも。
それとも来年までの持ち越しかも。
それでもやってみなくちゃわからない。
『願うだけならタダだもんね。』
今度ははっきりと意思と決意を込めて独りごちる。
みんな大好きな人に会えますように。
地上から天上に愛を込めて願いを。
私とあの人が会えるように、
空の二人が互いに伸ばした手が結ばれるように。
1日遅れの星に願いを。
『7月8日』
どこにも行かないで
人はなんのために生まれて何のために生きるのだろう。
いくら言の葉を紡いでも届かないものを求めている。
誰も彼もがどうしようもない歴史の流れに逆らう事が出来なかった時代。
当たり前に生きる事が出来ず、まるで御伽話の中に迷い込んだようにみなが深い霧に囚われた。
思い出す面影は微笑む姿だけ。
ただそれだけを頼りに探し続ける。
深い霧に迷い込んだ旅人のように、あてもなく終わりがない長い長い迷路を手探りで歩き続ける。
ただ一つの光を求め探して彷徨って嘆き続けた。
通り過ぎる幾千幾万幾億の光ではない。
ただ一つ。ただ一人。
それだけしかいらなかった。なにもいらなかった。
なに一つ求めるものはそれ以外にないというのに。
手元には遺骨ひとかけらすら残らない。
誰もがそんな時代だった。
みんな守りたいものがあった。
みんな名前がない英雄になった。
みんなそばに居たい人が居たはずなのに。
『君が生きる未来を守る』
寂しそうな微笑みをずっと探し求めて生きている。
今年もまた夏が来た。
毎年更新される『例年より暑い』という記事は
嫌なことに本当になりそうだ。
この歳になると歩くだけで疲労感が強い。
外に満ちたムワッとした空気に少しだけ風が流れる。
照り返す日差しに暖められた風に吹かれて、日傘に隠れた額から汗が噴き出る。流れ落ちそうになる汗を皺だらけの年老いた甲がゆっくりと拭った。
毎年この日だけは必ず訪れていた。
長い時間の中で何もかもが変わっても、この石碑だけは止まった時間のままで迎えてくれる。
こちらばかりが時の流れに流されて変わっていくのに、若いままなんてずるいわ。少しだけ笑えるようになった目尻に深い皺が刻まれる。強い陽射しを受けた石碑は触れると命を持つように温かかった。
求める名前は一つだけ。
数えきれない名前の中でただ一つだけ。
時代に奪われた幾千幾万幾億の光は時の流れに風化する。悲しみも憎しみもどこか遠い物語になっていく。
あの時代を知らない若い世代ばかりになる世でこれからさらに未体験のこの記憶は加速度的に霧の中のおとぎ話になっていくだろう。
諦めるように怒りを携えるように、泣き出すように、力強く置いた指で名前をなぞる。
いつか失われて消える運命が待っていても、それは忘れられる事はなく、この胸にある。決して忘れない物語。
本当は置いていかないで、どこにも行かないでって
いえなかった事の後悔をずっと忘れる事が出来ないの。
言葉にする事が許されなかった時代でも
伝えなければいけなかった。
たとえどんなに苦しみしか待ってなくても、
貴方さえいればよかったのです。
霧の中の迷路が開けるまであと少し。
私と同じ悲しみを繰り返さない未来をどうか。
貴方の所に行く未来に、どうか平和を。
雨の香り、涙の跡
『涙の数だけ強くなれるよ』
水たまりから水たまりへ。
誰も居ない帰り道にぴょんぴょんと飛び跳ねてみせる。
足元で弾けてはピシャリと音を立てる靴音と
湿った靴底には何も感じない。
『アスファルトに咲く花のように』
唇から小さな声で漏れる息くらいの囁きで歌いながら帰る。先ほど降ったゲリラ豪雨に濡れた軒先の花が晴れ出した空にキラキラとひかる。
すこし湿った風から雨の匂いがした。すぐに綺麗な青空になるだろう。
『見るもの全てに怯えないで』
傘もささずにびしょ濡れのままくるりと回れば遠心力に乗せて浴びた雨が飛んで行く。
濡れた髪から、手から、顔から。
何もかもがくるくると回れば回るほど飛んでいく。
抱え込んだ何もかもが雨と共に飛んでいけばいいのに。
『明日はくるよ』
くるくる回れば回るほどどんどん悲しい気持ちが飛んでいく気がして勢いよくくるくる周り続ける。
歌に合わせてぴたりと止まると目がぐるぐるとまわって何もかもがどうでもよくなった。
明日はくる。
どんなに雨が降っても必ず晴れるように。
曇った空だってほら、東の空に青空が見える。
ここに青空が来る頃には私の顔も綺麗に乾いて
きっと笑顔になれるだろう。
糸
陰謀というの張り巡らせてこそ価値がある。
コツコツと苛立つ気持ちを抑えられずにデスクをペンで叩く顔には不釣り合いな程の青筋が見える。
ひょんなことから始まった『義妹』としての貴族生活を企てた張本人の『義兄』の端正な顔の眉がこれでもかという程に寄っている姿を横目でこっそり見つめてはひっそりとため息をついた。
『おい。』
ギロリと睨んでくる目をへらりと笑ってかわす。
するとわかりやすく眉間に指を当てて盛大なため息をついてきた。おいおい、そらは当てつけですか?お義兄さま。
『全く、なんでこんなことになった。』
二ヘラと笑った笑顔でどうにかならないものかと願っていてもどうやら可愛い妹の笑顔はこの仏頂面の眉根の皺に効かなさそうだと判断して観念する。
要するにヘマをしたわけだ、私が。
現在、我が国ロストールは内戦の危機が迫っている。
しかもその主犯格として旗頭に立っているのは目の前に立つこの義兄だった。
何十年も前から計画されていたこの謀反は国を牛耳る女狐、エリスを王座から引きずり下ろし腐敗した貴族を一新させるというもので、潔癖に潔癖を重ねたような義兄の神経を張り詰めるような細い細い糸を幾重にも重ねた計画だった。それなのに。
『その無様さはなんだ。』
義兄の指差す先にはギブスを嵌めた足がある。
まぁうっかりしてたのだ。
一応はこれでも義兄の計画の一部とはいえ、貴族の末席に名を連ねている。だがまぁ本籍は冒険者。
冒険者の端くれとして気ままに冒険していればうっかり他国の内戦に巻き込まれもするし、気がつけばどこかの陣営に組み込まれる事もある。それがまさかまさかのエリス様のお膝元で、あれよあれよと人質になった。
武勲を挙げた引き換えに脚をがっつり負傷したのだ。
血相を変えて謁見室に飛び込んできた義兄の顔が面白かった、なんて口にしたら手にしたダブルブレードで簀巻きにされかねない。
みたいなジルオール二次創作の冒頭を考えたんだけど長くなりそうだからpixivでかこうかな。
届かないのに
片想い、した事ありますか?
節目がちに目線を落としたその人はため息混じりに語り始める。
幾ら想っても届かない。想ったところで報われない。
時間をいくら費やしても、どんなに好きでも届かない。
何をしたって意味がない。だって届かないもの。
そう言って大事そうに手にしたチョコレートはゴミ箱に捨てようとしている。
だから言ってやったのだ。
馬鹿だねって。
片想いした事ないやつなんているの?
人を好きになるのって打算がいるの?
報われないって無駄なの?
矢継ぎ早に追い立てるように言葉が早くなる。
涙目でこちらを見る目には悲しみより悔しさ。
共感が欲しい?
慰めが欲しい?
ごめんね、そんなの知った事ではない。
捨てられそうになったチョコレートに込められた気持ちを自虐で染めて捨てようなんて許せない。
知っている。
幼馴染をずっと好きだった君を。
本当は自分を見て欲しいと素直になれない君を。
手を伸ばせば届く幸せにさえ、あれこれと理屈を並べ立てては屁理屈をこねて、素直に手を出さない事を選んで拗ねている。
背中をバシンと叩いてその手元に大切な想いを戻して
当たって砕けろと送り出す。
本音を言わないのはお互い様だった。
骨は拾ってやるから、なんて無理に明るく振る舞って
涙を拭って走り出す背中を見送った。
背中を叩いた手が熱い。
本当の馬鹿はどっちだ。
自分自身に苦笑する。
知っている。
幼馴染をずっと好きだった君を。
片想いをしていた。
そんな君に。
走っていった背中が見えなくなってから
見えなくなった背中に向けて手を伸ばす。
決して届く事がないものを知っているのは
誰でもない自分自身だけだった。