夜じゃなくても物思いにふけるときはあるらしく、家でぼーっとしながらふと天界で見た人間界で流行っているらしい本を読んだことを思い出した。
その話は恋愛小説で、幾多のトラブルを超えた二人が『この命が燃え尽きるまで君を愛すよ』と言って終わっていた。
……僕はどうなんだろうか。
今までは天使だから死ななかった。
でもこれからはどうなんだろうか。
もう天使じゃない。ということは死ぬのかもしれない。命が燃え尽きることがあるかもしれない。
…………権力者はどうだろうか。
この世界を統治してるってことは、もしかしたら悪魔とかそういうもので死なないかもしれない。
そうなったら僕はこの命を彼女に捧げることになるのか。
……それがすこしだけいい感じに聞こえるのは疲れてるからだと思うことにした。
「好きだよ、権力者のこと」
ユートピアは毎日が同じ日常の繰り返し。いや、そもそも日常という概念がないこの世界では当てはまる表現は見つからない。それでも目が覚めてから寝るまで、大体の人間は、同じルーティーンを繰り返している。
だから『今日』も『昨日』と同じ日常が繰り返されると勝手に考えていたのだ。だってこれまでそうだったからこれからもそうだろうと、そんな浅はかな予想を立てていた。
それなのに、今ボクの目の前にいる彼はボクが今まで予想してなかったような言葉を吐いてきた。
冗談だろうと思った。だって本気で好きなわけがない。彼とボクは敵対しているし、そもそも身分が違いすぎる。恋心をボクに向けられるなんて都合のいい夢くらいでしか起こりえない。だからなるべく落ち着いたような様子でボクは答えた。
「いつもキザのセリフばかり吐いているけれど、とうとうそんなことまで言うようになっちゃったんだね、君は」
僕がそう言えば冗談だよと誤魔化してくれると思った。いや、誤魔化すんじゃない、そもそも事実ではないなのだから。
でも、彼は真剣そうな顔でボクの肩を掴んで答えた。
「冗談じゃないんだよ、権力者。本気で僕はきみのことが好きだと言っている」
「ありえないよ、そもそも立場が違うじゃん」
「そういう逆境の方が燃えると思わないかい?」
「…………身分だって違うし」
ひねり出すように、そういえば、彼は肩をすくめて言った。
「きみは僕の恋心は諦めさせたいのかもしれないけれどね、諦めるつもりはないよ。だってこれは本気の恋だ。たとえきみに拒絶されようと無理矢理にでも僕のものに落とす自信があるよ」
光のない瞳でそう言われた時、背筋がゾクッとした。この人は冗談で言ってるんじゃない、本気で言ってるんだってそう思った。
でもそう確信したのは、恋心の話じゃない。たとえ僕が拒絶したとしても、本気で彼のことが嫌いだったとしてもいつの間にか彼の手中に収められているんだそう感じてしまったのだ。
薄々敵わないような気がするとは思っていたけれど、思ったより彼はボクの何倍も強い気がした。ううん、身をもって分からせられたような気がしたんだ。
(現パロ、付き合ってる)
デートでもしようか、なんて言われたのはこの間だった。
その日のうちにカレンダーの予定の日に丸をつけて、なんならカウントダウンをするようにバツをつけてしまって、完全に浮かれてるなと気づいたのは今日だった。明日がデートなのだけど。
浮かれてるのがバレバレになったけれど、困ったことに、これが初めてな訳ではなく。
今年のカレンダーをペラペラとめくれば、特定の日に丸がついてたり、バツをつけてあったりしてるという様子が散見される。
…………思った数十倍、浮かれてるな、とついため息がついた。
僕は権力者のことが好きで、それは紛れもない事実だ。本来ならば、天使というものはそもそも恋心を抱くこと自体を禁じられている。それはそもそも恋心というものは、常に汚れと純真の間にあるという思考回路の元からなるし、また恋心を抱いてあろうことが何か子供を作ってしまった時に、それが一体何になるのかわからないからでもある。分からないのであれば、そもそもその原因は作らないようにするそういう思考のもと、恋心というものを禁じられていた。
人間の恋を応援する天使なんていない。自分たちは禁じられているというのに他人の恋をわざわざ応援する、そんなことをするバカがいてたまるか。天使は元々そんな思考回路があるみたいだった。
そのことから考えるといくら堕天使であろうとも、恋心を抱いているというのは、あまりにも稀有なことで。
できないことができているというのはもしかしたら世界で一番幸せなことなのかもしれない、なんて考えた。
「ということで、僕は世界で一番幸せ者なんだよ」
そう、彼女に伝えたらえらく怪訝そうな顔をされた。
「…………バカじゃないの?」
物言いまで冷たい、両想いだというのに。
「……きみは?」
「世界で一番じゃないかもしれないけれど、大体そんなキザなセリフを吐くような勇気もないけれどまぁ少しは幸せなんじゃないの?」
まるでツンデレのように、そんなことを言った彼女の顔は微妙に赤く染まっていた。
胸がいつもより大きな音を立てて脈を打っていた。なぜかなんで問われれば、それはもう一目瞭然で。権力者が、僕にもたれかかって眠っていたからである。
出会った当初であればこんなことは、絶対にありえなかっただろう。僕と彼女は敵対していて、そもそもそんなに距離感が近くなくて、そもそも僕は彼女に対して、胸の鼓動が早くなったりすることもなかったであろう。
でも、今は彼女のことが好きだと気づいてしまったから、胸の鼓動はこんなに早くなってしまった。僕にもたれかかって安心しきった寝顔を見せている彼女に敵対心ではなく、恋愛の感情を抱いてしまっている。
だがそんな自分を恥じたり、改めようという気はしない。むしろ、彼女に惚れてしまったからにはどうやって彼女を僕に惚れさせるか、そういう思考回路の方が回るものであった、一人でいる時になれば。
だけどいざ、彼女とコミュニケーションを取ろうとしたり、今みたいに接近したりすると、突然言葉がスラスラと出てこなくなり、一人でシミュレーションしていたはずのやり取りを上手く自分で引き出せなかったりするのだ。
まぁでもそれこそが、恋愛だろう。思った通りにはうまくいかないということが少し楽しく感じられて、でもそう思えるのも一人でいる時だけで、そんな曖昧な気持ちを感じながら、今はただ彼女が隣で安心しきっているのを見つめることしかできなかった。