「この世界が綺麗だと思ったことはあるかい?」
僕は彼女にそう尋ねた。
「…………綺麗なんじゃない?」
彼女は首を傾げながらそう言ったが、僕には賛成できなかった。
「……どうして」
「どうしてって。綺麗じゃん。青空とか」
「そういう意味じゃないんだよ。簡単に言えば……きみがやっている行いを綺麗だとか正しいとか思うかという話だ」
「……正しいんじゃない」
「なんで」
「だって、元の世界で上手くやれてなくてこっちに逃げ込んできてるんだよ? もう元の世界で暮らさなくてもいいように、こっちの世界で生きられるようにしてる。それって、いい事なんじゃない?」
人々を洗脳してこの世界でしか生きられないようにしているなんて思っていた僕は澄んだ瞳でそう言われて何も返せなかった。
「ここはずっと穏やかな天気が続いているよね。曇りや雨にはならないのかい?」
僕がそう彼女に訪ねると彼女は言った。
「…………ここは迷い子にとっての理想の世界となるべきだから。突然の雨や、低気圧による頭痛が起こるなんて人がここで苦しんじゃいけないんだ」
きみはみんなの自我を無くす洗脳をしているのに? なんて言葉が口から零れそうになったが、どうにか止めた。
「…………じゃあ嵐なんて来ないのか」
「そうだね。仮に嵐が来ようとも、ボクらのことは守られるかも…………しれない」
やけに歯切れ悪く彼女は言った。
権力者としてこの世界を統治してるくせに偉く自身の無さそうな口ぶりだ。
もしかしたら、彼女はあまり力がなくて、上手く守れるか不安なのかもしれないな、なんて思うと少しだけ笑みが零れる。
「……きっと、きみならできるよ」
「…………そうかな」
出来なかったら僕のピアノが壊れてしまうから困る、なんて思いながら言った呪詛は彼女にはただの応援メッセージに成り代わったらしく。相変わらず駆け引きができないな、なんて僕はそっとため息をついた。
(権力者が下っ端だということがバレた世界線)
今日はお祭りならしかった。
なんのお祭りだかボクには知らされなかったけれど賑やかしのようにやっている屋台で色んなものを貰った。
食べ物が多くて、一人じゃ到底食べきれそうもなかったから演奏者のところに持って行くことにした。
「………………なんだい、これは」
「……食べ物。なんかお祭りやってて、そこで貰った」
「参加はしたのかい」
「本当のお祭りは無理。会場の外でやってるお店で貰った」
「…………へぇ」
『焼きそば』と呼ばれる代物を口に運びながら演奏者くんは言った。ボクも『たこ焼き』と書いてあったお店で貰ったものを口に運ぶ。
「…………ん、美味しい」
「人間界では、こういうもの食べるだけでも『祭りに参加した』っていうらしいからさ。きっと、僕らも参加出来たんだろうね」
「…………そっか」
お店の方はとても賑やかで、でもここはとても静かで到底同じ雰囲気だなんて言えないけれど、それでもボクはこっちの方が落ち着いた。
いつもの演奏会の後に楽しく談笑をしていたら神様が舞い降りてきて権力者に向かってこう言った。
「お前はこれまで頑張ったから、特別に天使にしてやろう」
訳が分からなかった。いきなりでしゃっばってきてなんなんだ、この人は。こころなしか、前に見ていた時よりも楽しそうな顔をしている。憎たらしい。
訳が分からないと感じたのは、どうやら権力者も同じのようで、『?』と頭に浮かべているようだった。
「……………………誰、ですか」
喉から絞り出されたようなその声は、どう考えても目の前の『神様』を警戒しているようで、僕は拒絶されたことなんてないけどな、という醜い優越感が僕の頭に浮かんでしまった。
「神様、だよ」
無闇に区切って、自分を無理やり信じ込ませようとする図は見慣れた光景ではなかったけれど、なんとなくいつもそんなことをしているんだろうなってそんな気がした。
「………………神様?」
幸いにも権力者は神様のことを信じていないらしくて、どうやら神様の作戦は上手くいかなかったらしい。
「…………何の用だ」
僕が声を上げれば、その時にようやっと気づいたような様子で僕の方を見つめて、軽く鼻で笑った。
「ふっ…………お前は落ちこぼれ。天使の中で最も愚かしい罪をした者。神に話しかける身分ではない。口を慎め」
相変わらず偉そうで気に食わない。今は神様になりたい訳でも、天使に戻りたいわけでもないけれど、権力者が連れていかれるのはどうしたって避けたい事実だった。
再び口を開こうとした時、権力者が言った。
「ボクは、演奏者くんのことをこの世界から追い出すまでここから離れることができない。そして、それはボク自身の力で成し遂げたいことだから、神様の力は借りたくない」
真っ直ぐな意思の強い瞳で神様のことを見据えた彼女に対して、神様は薄く笑った。
「……じゃあ、それが成し遂げられた時、また必ず」
そう言って去っていく神様。
完全に見えなくなった時、権力者は崩れ落ちた。
「……! 大丈夫かい?」
「……はぁ。大丈夫、ギリギリね」
権力者はそう言った。
「怖いね、やっばり。あの人がホントの神様かなんてさ分かんないけど、でもどっちだったとしてもめちゃくちゃ怖い」
「……僕はいつか追い出されてしまうのかい?」
きみのことがどうしても好きなのに、きみにとってはどうでもいいのかい? なんて聞けるはずもなく、ただそれだけを問かければ、権力者は笑った。
「…………追い出さないよ。さっきのはただの言い訳」
その言葉に酷く救われてしまった。
もきゅもきゅ、と音がした。
なんだろうか、この音は。
恐怖を感じて外に出てみれば、権力者がなんともない顔で立っていた。
「…………権力者」
「やっほー、演奏者くん。変な音したね〜」
故意的でなければ鳴りそうも無いような音を聴いてるのに、彼女はいつも通りの顔を僕に向けた。
「………………どこから鳴ったか分かるかい?」
「ん〜、知らない。というかどうでもよくない?」
「なんで」
「ここはユートピアだよ? 変な音くらい鳴るでしょ」
今まで鳴っていなかった音だろう、とツッコミたいが、彼女は権力者だ。もしかしたらもう既に音の発生源とか何もかも知っていて、何らかの理由で僕に真実を伝えたくないのかもしれない。彼女は僕のことを敵視しているような素振りもあるから。
「…………そうかい?」
「そうだよ〜」
そんなふうにニコニコと笑顔を見せるきみの気持ちが分からないけれど、まぁ大体そんなもんでいいだろう。
演奏者くんが出てくる数分前。
『なにか』がいた。
ボクが見たことないような、元々この世界にいなかったそんな物体。
もしかして、もしかして、コレも『迷い子』なんだろうか。
体を左右に揺らしながらボクの方を見つめる『なにか』が不意にこちらに向かって駆け出してきた。
スライムのような形をしていた『なにか』がボクの方へ向かって来ながらありえないとこが開いた時、ああこれはダメなやつだと悟った。
意志を確認できるようなものじゃない。殺さなくちゃいけない。
ガシッと掴んで雑巾を絞るように捻れば『もきゅもきゅ』なんて音がして。
絞れたそれが何故か蒸発した時、演奏者くんが外に出てきた。
彼とそつなく会話をしながら、例え異形の姿であったとしても、『迷い子』を殺しちゃったんだな、と実感した。
きっと偉い人に怒られるだろう。でも、殺さなかったらボクが、演奏者くんが、そして他の仲間が殺されていたかもしれない。
そう考えると、ボクの行いは誰かの為になったんだな、なんて思った。