僕がこの世界に来た頃の話だ。
「一年経ったら死んじゃうかも」
いつも通り穏やかな風が吹いていた。迷い子を返すための演奏をし終えたと同時にやってきた権力者は僕の方を見ながら何気ない表情でそう言った。
「⋯⋯。なぜ」
「ん〜、君に負けっぱなしだから」
死んじゃうかもしれない、なんて話をしてるのにやけにいつも通りの声色だった。だがしかし、平気な顔で冗談を言う君が言っていることは、中々僕には見分けがつかないからもしかしたら嘘じゃないのかもしれない。
「⋯⋯⋯⋯負けると、まずいのか」
「まずいに決まってるじゃん? 住人候補がいなくなっちゃうんだから」
一定数住人はいるのだから大丈夫なんじゃないか、などとは言えない。僕はこの世界の仕組みなんて知らないから。
「死んじゃったら、どう思うの」
僕の方を見ずにきみは言った。
権力者が、死んじゃったら。
「寂しく、なるよ」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯あはは、つまんな」
権力者はそう言って去っていってしまった。
事実を述べるだけじゃダメだったらしい。なんて掴みどころのない人間なのか、彼女は。
「死なないじゃないか」
あれから一年後とカッコつけて言いたいが、残念ながら昼も夜もないこの世界で一年などいう期間を数えられる訳もなく。大体推定一年後にきみにそう言った。
「⋯⋯⋯⋯何が?」
きみはやけに怪訝な顔で言った。
「きみが。一年後に死ぬかも、なんて言ってたのに」
「あ〜⋯⋯」
死んで欲しかった訳では無いが、死んでしまうかもしれないと慌ててた時期を返して欲しい気はする。きみに心を乱されて演奏が身に入らなかった日も。
「一年経ってないから」
「いやでも、多分⋯⋯」
「ん〜ん。経ってない。多分、一日も」
そんなわけが無い。この世界に来てから随分経った。それなのに、一日も経ってないなんて⋯⋯。
「だってさ、一日って何? どういう基準で一日を測るの? 時間なんてないのに」
ああ、そういうことか。
四季も時間もないのに、一日も一年も一分さえも測れない。基準が存在しないから。
「だからきみは死なないのか。良かった」
一年後に死ぬかも、と言ったのは、冗談だったらしい。よく考えたら突拍子もなかったしな。
「⋯⋯⋯⋯それにしてもさ」
「なんだい?」
「よくそんな前に言ったこと覚えてるね。ボクのこと好きなの?」
いたずらっ子のような顔で言われて僕はため息がでる。
「⋯⋯⋯⋯権力者」
「はいはい、黙りますよ」
仕方ないな〜なんて呟きながら、彼女は黙った。
「⋯⋯⋯⋯なんか弾いてよ」
きみがそう言ったから広場へと行くことにした。歩き出せばきみも隣をついてくる。
最初の頃はこんなことしなかった。僕は権力者のことが嫌いだったし、権力者だって僕に冗談以外では話しかけてすら来なかった。
だから少しは仲良くなって、少しは好きになったのだ、きっと。
一年とも一日とも数えられないこの世界で、それでもきみと過ごした『年月』があるのならそれで良い気もして、数えられる『年月』がないからきみが生きてることに感謝してしまうのも悪いことではないだろう。
ボクはその『日』も権力者集団の部屋にいた。
ボクの洗脳する日が明後日に決まって、ボクは何もかもに絶望しちゃって。
だからコロコロとベッドで無駄に時間を過ごしていた。
ガン、という音と共に扉が開いて、少し苛立った偉い人が言ったんだ。
「今すぐD-3エリアに行け。お前は今日からそこの管轄しろ。『ピアノ弾き』から迷い子を守れ」
その言葉を吐きながら、ボクに服を投げつけてきた。権力者の服、権力者の服だった。
つまりボクは救われたのだ。また住人に戻らずに済んだのだ。
ボクの洗脳能力が他人よりも劣ってることが気にならないくらい、ボクのことが大事だったのだ。
そうして着替えて外に出て、管轄のとこまで行ったとこで見つけてしまった。
風にたなびく白銀の髪。憂いを帯びた顔。
その全てがボクの鼓動を早くした。
と、同時に彼がピアノを弾いてるという事実がボクの心を否定した。
彼が『ピアノ弾き』なんだ。彼がボクたちの敵なんだ。
恋心は生まれると同時に消さなきゃならないものとなってしまった。
明日世界が終わるなら、ボクは一体何をしようか。
世界が終わる。つまりボクたち権力者集団がこの世界をコントロールできなくなること。
ということは誰も彼もみんな死んじゃうってことだ。
そしたら演奏者くんに好きだと伝えてみようか。
どんな顔をするんだろう。
『気持ち悪い』とか言われた軽蔑されるかもしれない。そしたら悲しいけれど、気持ちを伝えられてよかったと思えるだろう。
『僕も』なんて返されたらどうしようか。付き合うのだろうか。それとも両想いのまま1日過ごすのか。どっちにしろ人生最後に互いにいい思い出ができる。
でもさ、世界が終わるってそれだけじゃない。
ボクが死んじゃうだけでも、ボクにとっての『世界の終わり』ではある。
その時はどうしようか。
ボクは、ボクは⋯⋯⋯⋯⋯⋯。
でもボクが死んじゃう『世界の終わり』なら何でもない顔をして、なんでも無い日常を過ごしたい。
まるで永久にこの日常が続くように振舞って、そのまま消えるように死んじゃいたい。
そのことに演奏者くんが心を揺さぶられたら、それはとても素敵だな、なんて。
(付き合っている世界線)
「きみと出会ってからすごく幸せだよ」
そう言ったらきみはやけに怪訝な顔で言った。
「急に、何……?」
「まるで前みたいな反応だね。僕たち、付き合っているんだよ?」
「それはそれ。これはこれ。突拍子なさすぎて、ボクは理解不能なんだけど?」
そうかな、なんて思った。
僕がもともといた天界で付き合っていた天使たちは日頃の感謝を述べるのは真っ当なことで、常識だった。
だからやってみたのだが、どうやら彼女には不評らしい。
「…………事実を伝えただけだけど」
「……………………演奏者くんはいつからポエムみたいな言葉を吐くようになっちゃったのかなぁ」
「フォルテ、だよ」
「…………皮肉に気づかない鈍感くん」
むっとした顔で言われて、僕は首をかしげた。
何が皮肉なのか、理解不能だ、なんて言ったらきみはさらに怒るから何も言えないけれど。
「メゾは僕と出会って何か変わったかい?」
「そりゃもう、めちゃくちゃ。権力者という集団で大混乱。ユートピアの常識が覆されたんだから。その結果、住人に戻されそうだったボクが君担当として使われることになった」
「じゃあ、僕のおかげできみはここにいるのかい?」
そう聞けば、少し考える素振りをした後、頷いた。
「そうか。それはうれしい」
「あと、フォルテと出会って変わったことでしょ? 何かあったかな……」
さっき、名前で呼べと圧をかけた身で言う事ではないが、彼女に名前を呼ばれるのはそれなりにめちゃくちゃドキドキする。
今までは『演奏者くん』と、役職名+敬称だったのが『フォルテ』と突然名前の呼び捨てに変わってしまえば動揺するのは当然で。
「ああ、恋心を知ったこともだね」
心臓が大きな音を立てた。
恋心を知った? 僕に出会って?
何気ない顔で考えていたメゾはこちらの方を向いて少し微笑んで言った。
「顔、真っ赤だね。フォルテ?」
基本的に『ユートピア』に音がない。
音がない理由は全くわからないけど、鳥がいないとか、風があまり強くふかないとか、そういう要因なのかな、なんて勝手に思ってる。
そんな世界だから、演奏者くんのピアノというのはわりとどこにいても結構大きく聴こえる。
楽器だから響くとかそんな理由なんだろうなって勝手に思ってる。
でも、彼は本当に時々、ピアノを弾きながら鼻歌を歌ってたりする。
それは本当に小さくて、ピアノの音にかき消されることが多かったけど、でもたまに聴こえる。
それが今だ。
耳をすますと、楽しそうに鼻歌を歌っている。
うかれてて可愛いな、なんて思ってしまった。