「演奏者くんってなかなか気持ち悪いよね」
僕が発した『何か二人だけの秘密を持ちたいよね』に対する一発目の言葉がそれだった。
気持ち悪い⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯。
ただでさえ他人に言われると傷つく言葉を、よりによって好きな人に言われた、というショックに思わず崩れ落ちそうになるのをなんとか堪える。
「⋯⋯秘密っていいじゃないか」
「誰にも言わないから秘密なんじゃないの? 大体秘密にしたとこで誰かに聞かれたりバレたりすることはないじゃん」
「それはそうだけど」
でも二人だけの秘密を共有してるなんて、とても親密度が高そうで、要するに彼女ともう少し仲良くなりたいなどという気持ちだけで行動した結果だった。
どうやら乗り気じゃないらしい、と肩を落としてピアノでも演奏するか、とその場を離れようとした時に彼女は言った。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯好きだよ、君のこと」
「え」
「『二人だけの秘密』ね?」
足早に彼女は去っていったけど、僕はその場から動くことができなかった。
『好き』。彼女が、僕を?
あまりにも嬉しいことで、飛び上がりそうで。
でも、何となく冗談めいていて、まるで本心ではなさそうで。『二人だけの秘密』を確かめるわけにもいかなかった。
演奏者くんが、最近なんだか優しい⋯⋯気がする。
前は怒ってた軽いからかいで、怒らなくなってしまった。
前に1回死ぬほど怒ってた『グランドピアノを触る』ということをした時に「やめて、くれるかい」と言われたきりだった。
なんだか、調子が狂う。
そもそも優しくされることに慣れてない。
元の世界のことは全く覚えてないけど、この世界に『迷い子』として来たってことは、多分死ぬほど辛かったのだろう。
この世界に来てからは、催眠が生まれるまでは殴る蹴るなんかの暴力による支配が主で、そこに優しさなんてなかった。
権力者になってからも、下っ端だから頑張って仕事しなきゃいけなくて、優しくしてくれる人なんていなかった。
演奏者くんだって、最初はボクのことを『邪魔者』って呼んで、目の敵にしてたはずなんだ。
なのに、なのに、いつの間にか『邪魔者』から『権力者』に変わって、最近ではたまに『メゾ』って呼んできて。
ボクの名前をなんで知ってるのかも分からないし、そうやって呼んできたり、ピアノを触っても怒らなかったりするのか皆目検討もつかなくて。
でも、前に来た『迷い子』が言っていた言葉が脳裏を過ぎる。
「怒ってくれたりするのはまだ自分に『興味がある証拠』。何かしても怒らなくなったら『興味がなくなった』ってこと」
あの子の言葉の通りなのかもしれない。
ボクが弱いってことがバレて、ボクに向かって怒りを露わにしても例えば倒しても、何の意味もないってことに気づかれたのかもしれない。だから『興味がなくなって』優しくしてくるのかもしれない。
そんなのは嫌だ。そんなのは嫌なんだ。
ボクは、演奏者くんに興味を失われたくなんかないから。そんなことをされるくらいなら『嫌い』な方がいいから。
どうか、どうか、優しくしないで。
花が咲いている。
手入れしてるのはボクで、ずっと咲いてるようにしてるから咲いてるのは当たり前なんだけども。
花が咲いている。
基本的に灰色な世界で唯一色を持って咲いてる花。
ピンク、白、水色、紫とか。
いっぱいの色が花壇を埋めつくしている。
綺麗だな、なんて声に出すのはもう何十、いや何百にも値するかもしれなくて。
それくらい、ボクはこの花が大好きだった。
演奏者くんもこの花を愛でてるのを見たことがあるから、なんだか好きを共有出来てるみたいで少し嬉しかった。
(演奏者が権力者が大きな集団の下っ端であると気づいたあとの世界線)
楽園。
一般的には俗世のしがらみのない『人間』にとって都合のいい場所。下界の者が考えるには『天国』と呼ばれる場所。
一方のここは悪魔が支配する世界。下界の者はここを『地獄』と称している。
だけれども、だけれども、この世界に来た迷い子たちは「まるで天国みたい」ということが多かった。
つまり、見てくれが『人間にとって都合のいい場所』であれば実際的支配が『悪魔』か『天使』かなんて些細な問題であると言える。
そんなんで下界のちっぽけな世界を支配した気になって、死後はああだこうだと連想するなんて実に愚かしい話だろう。
だが、実際的に下界の者がこの世界を楽園だと思うのはわかる。
メゾを含めた権力者どもが誘惑してくるから都合のいい世界のように見える。
⋯⋯⋯⋯僕にとってはどうなんだろう、なんて淡い疑問はすぐに弾けた。
『楽園』だ。
でも不完全な『楽園』ではある。
メゾがいつの間にか僕しか頼れない状況になったら。そしたら本当にこの場所は『楽園』になるんだ。
だから、メゾ。
早く、僕の方まで堕ちておいで。
珍しく、もう何百回に一回あるかないかレベルに珍しく、風が吹いていた。
生えている花が風に吹かれてゆらゆらと動いている。
そんな様子を見てると、花が今にも動き出しそうなそんな感情が少しだけ生まれた。生きている、ということを実感させられたような、そんな感情も。
実際『生きている』と言えるものはこの世界では花だけでそれ以外の全てが死んでいる、と言うのもあれだけど、時が止まっているこの世界で『生きている』とは言い難い。でも花は昼も夜もないこの世界なのに、唯一枯れたりしおれたりしてしまう。だから水を上げなくては死んでしまうのだ。
日課⋯⋯とは言えないけど、大体通った時に水をあげるようにしている。
日付とか時間とかそういうものがないから、まぁ大体目安を測りながら。
だから本当にいいのか悪いのか、効果はあるのかないのか全く定かじゃないけれど、なんだか水を定期的にあげてるほうが元気に見える気がして、だからきっと効果はあるんだろう、多分。
全部に水をあげ終えた時、音楽が聞こえてきた。演奏者くんが弾くピアノのメロディが。
なんだか風にのって聞こえてくるみたいだな、なんて思いながら、近くのベンチに座って目を瞑る。
彼の演奏はいつも違うけど、今日の演奏はとても楽しげに聴こえた。きっと、彼も風が吹いて変化が生まれたことに少しだけ嬉しさを感じているのだろう。
この世界はずっとずっと不変なわけじゃない、いつか変わるんだと、そう思えるのだろう。