「『刹那主義』って知ってる?」
僕がピアノの前に座って何を演奏しようか考えていたら、そんな声がかかった。
ニコニコとした顔で権力者がピアノから一メートルほど離れたところに立っている。
「⋯⋯⋯⋯『その瞬間を生きることに注力をかける人たちの考え方』だよ」
「なーんだ、知ってるのか⋯⋯⋯⋯」
幸いにも前に聞いたことがある言葉だったからと普通に答えたら酷く落胆した顔をされた。
「⋯⋯⋯⋯まぁ、一応」
ここの世界にいれば一生思い浮かばなそうなことだけれど。
永遠という言葉がひどく似合うこの世界は、誰も年老いたりしない。そもそもずっと昼で『時間』や『日』という概念すら存在しない、そんな世界では『刹那主義』などという言葉は生まれないだろう。
「⋯⋯⋯⋯ボクね、その瞬間を生きるっていいと思って。だからさ、ちょっと付き合ってくれない?」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯何をするんだい」
「いつもしないこと」
きみと僕が二人で意図して何かするのはもう既にいつもしないことじゃないか、などという疑問は口から出る前に弾けて消えた。
「楽しそうだからいいよ。今日は迷い子も来なさそうだし」
「いいの!? やった〜!!」
無邪気に権力者は笑った。
いつもの僕に向けるいたずらっ子のような笑顔とも、迷い子に向ける優しい笑顔とも違う、まるで本心のような笑顔。
キラキラと輝いて見えて、きみは僕が黙ったままなのを気にして辞めてしまって。
それは刹那のキラメキとなった。
生きている意味って、何なんだろう。
ふとそんなことを思ってしまった。
というかそもそもボクが生きていると言えるか、まずそこから。
ユートピアに来る前、ボクは迷い子達が元々生きていた世界と同じようなとこにいた。
そこからここにやってきて、もう凄く長い時間をここで過ごした。そしてこれからもずっとここで過ごしていく。
全く歳を取らなくなったボクは果たして『生きている』って言えるのかな。
空を見上げても、周りを見渡しても『生きている』と言えるものは花くらいしかなくて、それほどまでに生命というものに欠けた世界。
生きていないのかもしれない。ただ存在しているだけなのかもしれない。
まるで、ただの物のように。
『善悪』という概念がある。
物語の世界では非常に明確に描かれるこの概念は、この世界において一言で言い表せない。
ユートピアでの善をどこに置くかによるものなのだ。
僕を『善』と置くなれば、権力者は紛うことなき『悪』になる。でも、迷い子から見て必ずそうかは分からない。
僕が元の世界に返すことを拒む子だっているはずで。そういう人からしたら僕は『悪』で彼女が『善』で。
⋯⋯⋯⋯そういう風に考えると、『善悪』なんてまがい物に見えてくる。
僕は目をふせながらそう思った。
権力者、と呼ばれる集団が住んでるところは晴れた夜の世界が続いている。
住人が住んでるとこが昼で晴れだから、真逆とは言い難いけれど。
そんなわけで空を見上げてれば星が見える。
いつ見上げても同じ星が同じ配置で並んでいる。唯一違うことと言えばたまに流れ星が流れていることくらいで。
そういえば、流れ星にお願いごとをすると願いが叶うとかいう噂を耳にしたことがある。
暇だからやってみるか。
空を見上げれば、ボクが考えたことを見透かしたかのように流れ星が流れてきた。
『特に変わらぬ生活が送れますように』
そうお願いして、演奏者くんがいるとこに戻ろうとしてふと思い立ってもう一度空を見上げた。
また流れ星が流れた時、ボクは心の中でそっと『演奏者くんといつか結ばれますように』なんて願った。
この世界にはいくつか『ルール』がある。
迷い子を住人にした後に元の世界に返してはいけないとか、住人の過去の記憶は消さなくてはならないとか。
本来は演奏者くんがいる、ということもルールとしては違反であるけど、今のとこ黙認されてる。
「権力者くん」
それでも今の状況は果たしてルール違反か否かと言われれば上の取り決め次第ではあるもののルール違反になることはある。
「権力者くん?」
となれば馴れ合うのはよくない。
でも残念、というかなんというか、ボクは彼に行為を抱いてしまった。
「メゾ」
「! ⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯え、演奏者くん」
突然名前を呼ばれて驚いてしまう。
というか演奏者くんにボクの本名がバレてたことも驚く要素ではあるのだけど。
「やっと気づいたね。何か考えてたみたいだけどどうかしたのかい?」
「⋯⋯⋯⋯別に。ボクにも色々あるんだよ」
「ふふ。今はそういうことにしとこうか」
彼は微笑んで去っていった。
⋯⋯⋯⋯何だか色んなことがバレてるのかもしれないなんて一瞬過ぎったけど、まあそんなことは杞憂だろうと頭からそのことを消した。