『善悪』という概念がある。
物語の世界では非常に明確に描かれるこの概念は、この世界において一言で言い表せない。
ユートピアでの善をどこに置くかによるものなのだ。
僕を『善』と置くなれば、権力者は紛うことなき『悪』になる。でも、迷い子から見て必ずそうかは分からない。
僕が元の世界に返すことを拒む子だっているはずで。そういう人からしたら僕は『悪』で彼女が『善』で。
⋯⋯⋯⋯そういう風に考えると、『善悪』なんてまがい物に見えてくる。
僕は目をふせながらそう思った。
権力者、と呼ばれる集団が住んでるところは晴れた夜の世界が続いている。
住人が住んでるとこが昼で晴れだから、真逆とは言い難いけれど。
そんなわけで空を見上げてれば星が見える。
いつ見上げても同じ星が同じ配置で並んでいる。唯一違うことと言えばたまに流れ星が流れていることくらいで。
そういえば、流れ星にお願いごとをすると願いが叶うとかいう噂を耳にしたことがある。
暇だからやってみるか。
空を見上げれば、ボクが考えたことを見透かしたかのように流れ星が流れてきた。
『特に変わらぬ生活が送れますように』
そうお願いして、演奏者くんがいるとこに戻ろうとしてふと思い立ってもう一度空を見上げた。
また流れ星が流れた時、ボクは心の中でそっと『演奏者くんといつか結ばれますように』なんて願った。
この世界にはいくつか『ルール』がある。
迷い子を住人にした後に元の世界に返してはいけないとか、住人の過去の記憶は消さなくてはならないとか。
本来は演奏者くんがいる、ということもルールとしては違反であるけど、今のとこ黙認されてる。
「権力者くん」
それでも今の状況は果たしてルール違反か否かと言われれば上の取り決め次第ではあるもののルール違反になることはある。
「権力者くん?」
となれば馴れ合うのはよくない。
でも残念、というかなんというか、ボクは彼に行為を抱いてしまった。
「メゾ」
「! ⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯え、演奏者くん」
突然名前を呼ばれて驚いてしまう。
というか演奏者くんにボクの本名がバレてたことも驚く要素ではあるのだけど。
「やっと気づいたね。何か考えてたみたいだけどどうかしたのかい?」
「⋯⋯⋯⋯別に。ボクにも色々あるんだよ」
「ふふ。今はそういうことにしとこうか」
彼は微笑んで去っていった。
⋯⋯⋯⋯何だか色んなことがバレてるのかもしれないなんて一瞬過ぎったけど、まあそんなことは杞憂だろうと頭からそのことを消した。
毎日のことを記したくて日記を書こうと思った。
だけど今日、という日を表す術がなかった。
下界には『日付』という概念があって、一から十二までの『月』と一から三十そこらまでの『日』、七種類の曜日が存在する。さらに『年』という概念もあって、それらで『今日』という日を断定するらしい。
だけれども、この世界にも天界にも『日付』という概念はない。そもそも永久に続き、永久に不変な日常を生み出す世界に必要ないと言われればそれまでだけど。
それでも日記が書きたかったから仕方なく、今日を適当に思いついた数字で『四月二十三日』とした。
そうして日記を書き始める。
今日はどんなことがあったとか、今日はどんな風に思ったかとかを事細かく。
彼女に会えなかった。
会えない、ということが今までになかったわけではないけれど、彼女のことが好きだと気づいてから会えなかったことは今日が初めてだった。
心にぽっかり穴が空いたようだった。
あまり刺激、というものが少ない場所であるこの世界はいつもわりと退屈ではあったが、今日はその退屈さがとても大きな物に感じられた。
眠気を感じるまでに、ルーティンを終えるまでに、とても長い時間がかかったような気がした。
朝も昼も夜もないだから、時間だけは存在させた。時計を持ち込んでその時間で眠りにつく時間や起きる時間を決めた。
その時間がとてつもなく長く感じられた。
彼女がいることが当たり前だと思っている、そんな自分に少し驚いてしまった。
「どっちに飴が入ってるでしょーか」
ボクは彼に声をかけて、両の拳を見せた。
理由はもちろん、暇つぶしである。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯右?」
彼は少しだけ考えてそう言った。
言われたように右を開けばしこんだ飴が入っている。
「簡単に当てられちゃった〜、つまんないの」
そう言うと演奏者くんは少しだけ微笑んで言った。
「勘だよ、勘。冴えてて良かったってだけ」
「まぁ、そうだね」
ボクはそう言ってからその場を去る。
十分に見えない所まで行ってから左を開けばチョコが入っている。
彼が間違った方を言っても渡すものがあるように、なんて、我ながら少しだけ気持ち悪いかもしれないけども。