視界から色が消えた⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯らしかった。
らしい、なんて曖昧な表現を使った理由はごく簡単で、『ユートピア』というこの世界自体にそこまで色はなかったからだ。
だけどもよくよく見てみれば、そこら辺に咲いている花に色がない。濃淡が辛うじて分かる、そんなレベルならまぁそういうことだろうと思うしか無かった。
色がなくなってもまぁあんまり不自由しないだろうなんて思った時、彼を見かけた。
なんてことない顔で演奏者くんが歩いていて。
彼はそもそも灰色の服しか着てないから特に何も無くて。
なのになぜだかとてつもなく寂しくなってふと近づいて裾を掴んでしまった。
「⋯⋯! ⋯⋯⋯⋯⋯⋯けん、りょく、しゃ」
たどたどしく言葉が紡がれ、驚いているのが分かる。
「⋯⋯⋯⋯何を」
「いや、うん、なんか」
そう言いながら慌てて手を離して微笑んだ時、顔に手を当てられた。
そのままじっとボクの方を見つめる。
距離感やら手の置き方やら色々と心を乱す要素が多すぎる中、彼は口を開いた。
「⋯⋯⋯⋯色が判別できないのかい?」
「⋯⋯⋯⋯え!?」
なんで分かったのか、なんて思ったボクの心を察したのか彼は笑いながら言った。
「目を見れば分かるよ。一日程度で治る。心配なら今日はなるべく早く寝るといい」
優しく微笑みながら彼は手を離して去っていった。
少しだけ彼に触れられて色が戻ったような感じがしたのはきっと気の所為だろう。
(現代転生)
春になった。
ここ最近暑かったり寒かったりして冬なんだが初夏なんだか分からない、そんな季節感だったけど、暦の上ではもうとっくに春だった。
桜が気温変動に耐えきれず、葉っぱと一緒に出てきてはいたが、綺麗なことに変わりはない。
「ってことで花見をしようか」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯どういうわけで」
やたら不機嫌な彼女に微笑みだけを返すと、軽い舌打ちが送られる。
「まぁ、幼なじみなんだからいいじゃないか」
「⋯⋯⋯⋯関係ないです」
記憶がないらしい元『権力者』の彼女は、僕のことを幼なじみの一個上としか見てないらしいが、僕はバッチリ覚えてる。
「見たいんだよ、きみと」
「⋯⋯⋯⋯仕方ない人ですね。ボクなんかで良ければ」
彼女も渋々了承してくれて、ボクの隣に座った。
桜がハラハラと舞い落ちて、彼女の髪に乗った。
「きれいだね」
「⋯⋯⋯⋯ありがとう、ございます」
彼女も微笑んで笑った。
夢を見た。
寝てる時に見る方の『夢』。
ボクは夢の世界で演奏者くんと一緒に色んなところに出かけた。彼が話してくれた『夕焼け』も『星空』も見た。
⋯⋯⋯⋯夢、だった。
起きてこれ程後悔した試しがなかった。
どうして夢なのだとベッドを叩こうとして、音が響いたらめんどくさいからと辞めた。権力者という集団で一番弱いボクはあまり下手なことで目立ってはいけない。目立ったら最悪簡単に消されるか、住人に戻される。
ボクは元々この世界の住人だった。
前は洗脳なんてなかったから、殴って叩いて時には死にそうになりながら言うことを聞かせていた。ボクはそんなの嫌だったからどんな事でも素直に聞いた。例えそれが、どれだけ理不尽な事でも。
そしたら褒められた。で、権力者の末端に入れてくれた。
なってすぐは元仲間を殴ったりしなきゃいけなかったけど、上の人たちが洗脳という能力を手に入れられる薬を作ってくれて、住人を洗脳することで言うことを聞かせられるようになった。
嬉しかった。もう二度と元仲間を殴らなくて済むんだって。
そして、これはボクの生涯をかける仕事だと思った。思ったのに⋯⋯⋯⋯。
ボクはいつの間にか演奏者くんに惹かれて、この仕事を辞めたがっている。
⋯⋯⋯⋯せめて、夢見る心は消したくないから。
ボクは今日も誰かに目をつけられないように行儀よく過ごすことにした。
好きだ、なんて言えたらどれだけいいのか。
または、いっそう諦められたら。
ボクは彼のことが、演奏者くんのことが好きだった。でも、彼は、この世界の住人じゃない。
要するにいつか帰ってしまう。
そんな人に向かって、敵対してるボクなんかが好意を向けたところで何か伝わるわけがない。要するに届かない思いなんだ、これは。
⋯⋯⋯⋯だから、ボクは君の好意を諦めたい。
そう決心してから約一ヶ月たって、全然まだダメだけど諦める気は、ない。
『拝啓 神様へ
下界、もしくは人間界などと呼ばれる世界ではそろそろ花が芽吹きうららかな光が大地に降り注ぐ季節となりました。
そちらはいかがお過ごしでしょうか。
到底貴方様に手紙などをしたためたところで、貴方様のお手元に届くかどうかすら、僕には皆目検討もつかない次第ですが、こうして書いてみております。
貴方様から見放され『堕天使』などという者になってしまった次第ですが、僕は貴方様のお心にある、僕が反省して詫びて欲しいという気持ちと裏腹に幸せな日々を送っています。
僕は天使になって初めての仕事である下界研修をわずか一日足らず(正確には一晩)で終え、その後僕が今いる『ユートピア』にやってきました。
素晴らしいところです。
天界のように腑抜けている訳ではなく、かと言って死ぬほど忙しい訳でもない。うららかな日常が主として流れ、たまに仕事をする、なんて調子のいい世界でございます。
ここで僕は『ユートピア』に来てしまった迷い子を元の世界に返す仕事をしていますが、なかなか大変ではあります。人間、というものの思考回路は非常に千差万別であり、どうも上手くは行きません。ですが、非常に楽しい仕事です。
ところで僕が貴方様に文をしたためた理由というのは、僕が恋をしてしまったからです。
天使、そしてそれに準ずるものは原則として恋愛というものが禁止されていますね。あまり神が増えたりせぬように現神様のみが子孫繁栄をできるというシステムだった気がします。
ですが、僕は天使から外れた身。
ということは僕が恋愛をすることは許されるのでしょうか。
僕の恋した相手はこの世界の『権力者』と呼ばれている子です。本名はメゾ、ですね。
ピアノの音色を聴いているのが好きなようで、でも僕のことは嫌いみたいです。彼女は『権力者』などという大層な名前をしておりますが、実質のところ下っ端のようです。そして、とても、弱い。
僕はそんな彼女がたまらなく可愛い。だから付き合いたいのです。
許可をくれ、なんて言っておりません。神様には『はい』、または『関係ない』と言ってもらいます。
それでは。
敬具 フォルテ、もとい演奏者より』
「⋯⋯⋯⋯くだらないな」
出さぬつもりの手紙を書いた。
そもそも天界に届ける術がない。
つまり、そういうことなのだ。なんとなく気持ちを整理したくて、それだけの為に書いた代物。
⋯⋯⋯⋯早く、彼女を手に入れてしまいたい、なんてのが本心であるかを確かめるための代物で、実際的に本心であった。
さて、それなら、彼女を手に入れなくてはならない。
「どうやって手に入れるか⋯⋯⋯⋯」
零れる笑みを抑えられるわけがなかった。