ずっと私は自分の名前が嫌いだった。
私の名前の後には、いつも悪口が続くから。
私は頭が悪いとか、気が触れているだとか、
私の事を何も知らないくせに、私の名前を呼んでくる。
他人に呼ばれる自分の名前が大嫌いだった。
君は初対面なのに私の名前を呼んだ。
普通は苗字で呼ぶものでしょう?
馴れ馴れしくて感じが悪かった。
ただでさえ名前を呼ばれる事が嫌いなのに。
でも君は明るい声で、眩しい笑顔で私の名前を呼んだ。
私の名前の後にはいつも、私を慕う言葉が続いていた。
素直に嬉しかった。私の名前が輝いて聞こえた。
君が呼ぶ私の名前だけは、大好きになれた。
君が話せなくなった。
喉の癌だった。声帯を取ったらしい。
二度と君の口から音が出ることはなく、
二度と私の名前を呼ぶこともない。
それでも君はいつものように笑っていた。
私に向かって、とびきりの笑顔を見せるのだ。
君は泣いていないのに、笑っているのに、
どうしても涙を止めることが出来なかった。
君は呆れたように笑いながら、白紙に何かを書いた。
私に宛てたその紙には、大きく書かれた私の名前が。
それは、私の名前かわからないほど綺麗で。
見蕩れてしまうほど美しくて。
君の声で、君の手で、君の目で呼ぶ私は、
この世界の何よりも幸せだと思えたんだ。
今でも大切に仕舞っている。
どんな宝石よりも輝いている、私の名前を。
傷付いた貴方しか愛せない私を許して。
私だけの貴方しか愛せない私を愛して。
貴方が血を流していいのは私の目の前でだけ。
貴方が涙を流していいのも私の目の前でだけ。
貴方に降り注ぐ全ての不幸の元凶が私であるために。
貴方の全てを否定し、痛め付ける存在であるために。
貴方を傷付けるのは、抗う意思を失わせるため。
貴方の頭を撫でるのは、私から逃がさないため。
貴方をずっと、私だけのものにするため。
傷付けられたら、喉を枯らして泣き叫んで。
責められたら、諦めたような瞳で見つめて。
優しくされたら、困惑しながらも微笑んで。
貴方の見せる表情の全てが、私だけのもの。
「終わりにしよう。」
その一言で私と貴方の関係が消え去った。
この瞬間に私と貴方は赤の他人となった。
そんな恐ろしい話はないでしょう。
私は認めない。認めてたまるもんですか。
貴方との、辛く幸せで長く短かったあの日々が、
過去のものにされるなんて許せなかった。
終わらせましょう。
何時までも貴方を想い続けることを。
貴方と共に居られないこの人生を。
もちろん、貴方を連れて。
僕の手を取りなよ。
君の自傷を愛してあげられるのも、
君の暴行を許してあげられるのも、
僕だけなんだ。早く気づいて。
君には僕しかいないんだよ。
僕は君が居ないと生きていけないんだ。
君だって、僕が居ないとダメだろう?
だって僕がそうしたんだから。
手を取り合って、絡め合って、縛り付ける。
傷を作り、傷付けられ、謝っては繰り返す。
そんな関係が、僕達にはお似合いなんだよ。
僕達は、依存し合っているんだ。
口下手な君は伝わらない恐怖心から拳で愛を伝える。
不安症な君は自傷によって自身の辛さを可視化する。
僕はそんな君の暴力を愛情だと盲信して受け止める。
そんな君の不器用さに庇護欲と独占欲を掻き立てる。
そうやって生きてきたんだ。そしてこれからも。
責任を取ってくれよ。
君の所為で殴られるのが、蹴られるのが、
どうしようもなく嬉しくなってしまった。
痛ければ痛いほど愛おしくてたまらない。
君の自傷跡だってそうだ。
痛々しい程に興奮してしまう。
気味が悪いだろう?君が悪いんだよ。
君が僕を歪ませたんだ。
君じゃないと許せないように。
君じゃないと愛せないように。
君がいないと生きていけないように。
なんだ、満更でもなさそうだね。
傷だらけな君も、血塗れな僕も。
君の赤く染まった頬が、熱を孕んだその視線が、
君からの必死な愛の告白が、僕を酷く悲しませたんだ。
これまでずっと、愛してきたのに。
ずっと君に手を伸ばし続けていたのに。
そんな健気な僕に、こんな仕打ちをするなんて。
あんまりだ。あんまりだよ。
なんで僕を好きになってしまったんだい。
僕は君が好きだったんだ。
僕を愛すことの無い君が。
僕のものにならない君が。
君が僕を好きにならない限り、
僕は全力で君を愛すことが出来たのに。
君が僕に捕まらない限り、
僕は君を追い求めることが出来たのに。
どうして僕の手を取るんだ。
やめてよ。振り払っておくれよ。
まだ僕は君を愛していたいんだ。
思い切り睨み付けて、力の限り突き飛ばしてくれよ。
君からの愛情が、僕にとっては毒なんだ。
君に愛されたくて愛していた訳じゃないのに。
謝るから、どうか僕を好かないで。
こんな僕に失望してくれよ。
心底軽蔑して、僕を嫌ってくれ。
そしたらまた、君を愛せるから。