「遠い約束」
「あー、あー。聞こえますか?」
「うん。聞こえるよ。」
受話器から聞こえてるくる鼻を摘んだ時のような霞んだ声。どこかで聞き覚えのある声だ。
「えー、こちら冥王星より。今日もこちらは快晴です!どうぞ。」
「こちら地球。こちらはただいま雨でございます。どうぞ。」
相手は冥王星に住んでいる。私たちは星と星で交信しているのだ。今日は初めて繋がった日。
「さっそくで申し訳ないのだがお願いがございます!今度、冥王星に来て地球にあるキャンディを持ってきてくれないか?どうぞ。」
「いいけど遠いよ?行けるかな。」
何年後になるのかな。
「何年でも私は待つよ。そうだなぁ、5年後とかは?まぁでも、絶対、何年先でも会いにきてね。約束だよ。」
「うん。…守るよ。じゃあ、またその日に。」
今日はその約束を果たす日。
私はあの日病院にいた。小学生3年くらいかな。大きな病気にかかって手術の日が近づいていた。
正直な話をすると冥王星と交信したなんて当たり前に違くて。私の親友からの電話だった。
私は正直手術は失敗で死ぬんだ。と、希望なんてなくて。数年後、生きてる自分が想像出来なかった。そんな私を知っていたからあんな電話をかけてきたのだ。子供っぽくて、馬鹿らしくて、直接じゃない遠回り。でも、約束は守らないとね。
ピンポーン
自分の家の隣の家。チャイムを押すと親友が出てきて驚いた表情をした。
「なんだか道に迷っちゃったみたいで冥王星まで随分時間、かかっちゃったね。…どうぞ?」
親友は笑って、涙を流し始めた。その手に星型のキャンディを握らす。
私達の近くで、でもとっても遠い約束は今日叶ったのだ。
「小さな幸せ」
テーマとはあまり関係ないし、ただの自分語りで楽しくない話です。気分ではなかったら飛ばしてね。
私はなにかと自分の出来ないことに絶望する。何もできない自分が悔しい。その度、自分は必要か考える。
自由に書いていい作文の課題。コンクールかなんかに出されるものだった。私は物語を書いた。いじめについて訴える内容だった。先生に出すと苦笑いされたのをよく覚えている。結局ほとんどがコンクールに出されているところ、私は出してもらえなかった。
次の年も同じ課題があった。私は諦めがつかなくて、きっと文章力がまだ未熟だったのだと思い、自分なりに調べて、何度も考え直して書き上げた。友達に見せて欲しいと言われたので見せたら笑われた。自分の文章が恥ずかしくなった。でも提出しなければならないので出すと、文章を直せと言われた。でもあえての表現でこのように書いてるのだと訴えるとまた苦笑いで。またコンクールに出してもらうことは叶わなかった。
これに関しては素直に直さなかった自分が悪い。私は被害者というわけでもない。というか、結局は自分の実力不足。それが分からされてしまったのが辛かった。
弁論大会に出たときはもっと辛かったな。私の時だけ拍手が小さく感じた。結果は参加賞みたいなもので付き添いの先生は慰めの言葉も、がんばったねの言葉も一切かけてくれなくて。期待した私が悪いのですがね。
他にも、書ききれないくらいいろんなことがあってだんだんと文章を書くことも、自分の思ったことを表現するのも億劫になっていった。文章を最初から上手く書ける人なんていないし、みんな馬鹿にされながらも努力したから今の小説家さんたちは文章でお金を稼いでいるのだと思う。こんなことで挫ける私は馬鹿みたいだ。
両親からも小説家はやめろと言われ、貴方はまともな文章書けないでしょと言われ、その夢は諦めたと言ってしまった。
…でも結局今ここで文章を書いてしまっているんだよなぁ。文才も何もないくせに。諦めは結局つかなかったみたい。ここだと気が楽。いつもみなさんからのもっと読みたいが楽しみ。こういうことを小さな幸せっていうのかなって思う。
夜この辺りの時間に書けば辛いのが幾分か減るし、腕を切るのも、しぬのも今じゃなくていいかなとも思える。今も書いていてそうだ。書き始めの時はボロ泣きでしたもん。もう少しだけ文章を書くことに依存してみることにする。
いつも本当にありがとうございます。重い話でごめんね。みんなもこの時期の不調にはお気をつけて。たいして有名人でもなんでもない私だけどみなさんの小さなどころではない大きな幸せ、願っています。
またね。
「春爛漫」
春爛漫ってなんだか寂しくなる言葉だね。私はこの言葉を見た時別れを感じる。
親友でも、彼氏でも、ただのクラスメイトも、別れの時が来てお互い泣いて、でもにこやかに桜の元、春の木漏れ日の中で手をふって別れていく。また合うのかも分からないまま。そんな情景が思い浮かぶ。
私も最近別れがあって、思い出すとやはり、春爛漫と言う言葉が似合う。
本当は大好きな言葉だったから物語を書こうと思ったけど自分の別れ達ばかり思いついて結局書けなかったや。
これも春爛漫かな。
「七色」
「みんなで画用紙に虹がかかったお空を描きましょう!」
僕はすぐにクレヨンを手に取った。僕はお絵描きが大好き。画用紙いっぱいにお空と虹を描く。僕が想像する限りの大きい虹。あっという間に僕の画用紙はカラフルになった。描き終えて先生に僕の自信作を見せに行く。
「せんせい!みて!じょうずにかけたよ!」
「どれどれ。…翔くん、虹がおかしいよ?」
「え?おかしくないよ?」
「虹に黒や茶色はありません。しかもこれ十色じゃない。虹は七色。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫だよ。」
「…でも!いろがいっぱいのほうがたのしいよ?」
「虹に黒や茶色は出来ないものです。しかも、絵が汚くなるじゃない。もう一枚画用紙あげるから、もう一回描いてきなさい。」
「…はい。」
その後言われた通りの色で虹を描いた。正直納得がいかなかった。みんなおんなじ色でつまらなく感じた。
子供たちの個性はカラフルというけど、僕たちは虹のたった七色にも成れず、一色だけに染め上げられてく。
ただの白色に僕たちはなっていく。
………
白って何にでも染まる色ですよね。
「雲り」
私は最近思うことがある。
友達と呼べる人、私にはいるのかな。
いや、多分いるんだとは思う。ゲームに誘ってくれる人は居るし、ご飯を一緒に食べに行く人、誕生日を祝ってくれる人もいる。でも、何か違う。
小学5年生くらいの時、私は本が好きで昼休みに1人本を読んでいた。そしたら当時の先生に1人でいないで昼休みは友達と遊びなさいと怒られた。さらにその先生はどうやらクラスの人にあの子はボッチみたいだから遊んであげて?と言い回していたそう。
クラスの人は優しくて先生の言われた通り私に関わってくれた。でも、これって本当に私の望んだ友情なのかな?私の心に一つ雲がかかる。
その後、仲良くなった子がいた。その子は少し嫌われていたというか、まぁそんな感じ。だから私なりに解決しようとクラスの人との取り次ぎを何度もしていた。
そのうちその子は保健室登校になってしまって話す機会が減ってしまった。次会った時は他の保健室登校の子とすごく仲良くなった。そうしたら私に愛想つかしたと言わんばかりに離れられた。さらにもっと経つと、その子たちは喧嘩して私に助けを求めてきた。
わかっている。その子が誰と関わろうと勝手だ。でも、私はこの子と「友達」なのかな。また雲がかかる。
他にももっとたくさんの雲がかかっていく。雲の中に私の友情が生まれる。きっと私が考えすぎなだけ、これは友達なんだ。そう思うしかない。
雲ってくっついて、大きくなって、別れて、雨になって…。人の心をよく表せる。曇りは天気のもや。雲りは心のもやを表す言葉にでもしようかな。
雲がなくなればきっとそれが本当の友情なんだろう。
あーしたてんきになーぁれ。
…でも雲を無くすとするなら、私の友情は全部なくなるってことなんだろうな。
結局また雲り続ける。