汐里

Open App
10/13/2022, 9:25:30 AM

「 ──ちゃんなんて最低!!もう知らない!! 」



あの言葉が、ふとした時に頭を過る。



あの言葉が、私を縛り付けている。



どうしたものかしら。



この時間になると、いつもそうだ。



彼女の言葉が、胸を抉るように思い出される。



あの放課後の教室。



窓の外の夕焼け空。



あれ以来、夕焼けは嫌いになッた。



解放される日は、来るのかしら。



そんなことを考えていた矢先、



電車の発車するチャイムの音が聞こえた。



こんなところで油を売ッている暇はないわ。



あの子達の元に、駆けつけてあげなくちゃ。



私はすッと立ち上がると、部屋の扉に手をかける。



もう後戻りはできないものね。

10/12/2022, 9:03:29 AM

「 ん、美味しい! 」
もぐもぐと口を動かしながら、私は目を輝かせた。自分の手の中にはお気に入りのクッキー。お菓子作りの得意な友人が作ってくれたものだ。やッぱり美味しいなあ … 。
足をふらふらと動かしてみる。右足と左足が交互に視界に入ッた。
「 うん!今日死ぬッて決めておいて良かッた! 」
私は笑顔でそう言い放つ。そう。私が今、このビルの屋上にいる理由。それは自殺するためだッた。25階建ての廃ビル。自殺スポットとしては一番である。
今腰かけているのも、ビルの建物の際。少し前に体重を掛ければ落ちてしまうだろう。このスリルは何とも堪らない。
私の家は、結論から言うと狂ッていた。暴言暴力が耐えない父親。勉強第一の母親。自分をサンドバッグ代わりにする弟。何から何まで、異常だッた。
それに気がついてくれたのが、今住んでいる児童預かり所の係員。私が殴られた衝撃で玄関まで吹き飛んだ音を、耳にしたらしい。
そこからは、両親逮捕・兄弟は少年院行きとなッて事なきを得た。しかし、問題はここからだ。係員の人に救われてから、私にとッてその係員の人は救世主だッた。名を“ 羽塚芽伊 ”と言う。私がなにかする時は、羽塚さんは常に近くにいてくれたし、見守ッてくれていた。
だが、日に日に羽塚さんからの気持ちが、歪んでいるように感じてきてしまッた。私に向ける視線。私に触れる時の表情。瞳の奥に隠されている想いが、どんどんと透けているようで、羽塚さんの近くにいるのが嫌になッた。
そしてある時、遂にその決定打となる出来事が起きてしまッた。
「 葉月ちゃん。…私のこと、好き? 」
突然の問いに、私は戸惑いつつも頷く。
「 …はい。私は羽塚さんのこと、好きですし、頼りになる方だと思ッてますよ。 」
その言葉を聞いた羽塚さんは、「 安心した 」と微笑むと、私にぐいッと顔を寄せてきた。
もうすぐで唇が触れてしまいそうな距離。私はあまりにも急なことで、うまく息ができず、抵抗する力もなかッた。
「 なら…拒まない、わよね…? 」
気がつけば、羽塚さんと二人きりの部屋で行為をしていた。甘く交わる吐息。時々漏れる嬌声。それを包むかのように優しく揺れるカーテン。私はその光景を忘れたことは無い。あのクリーム色のカーテンには、少し悪意の混じッた淡い藍色の染みがあッた。

「 さて…と。 」
私は食べ終えたクッキーの袋を傍に置くと、脱いであッた靴で、それが飛ばされないように押えた。これでよし。
遺書はない。きッと誰も読まないだろうから。
少し下を覗いてみる。下には歩道が敷いてあッた。人通りは少ない。絶好の機会だと思ッた。
私はぐッとひとつ前に身体を乗り出してみる。お尻がギリギリビルの際に乗ッている感覚がして、くすぐッたかッた。
「 皆、じゃあね。 」
ぼそりとそう呟くと、私はひょいッと手でお尻を持ち上げ、そのまま前に飛び出した。私は死ぬんだ。やッと死ねるんだ。
そう思ッた瞬間だッた。ぶおおおおッとすごい勢いの風に煽られ、身体が横にズレる。
理解が出来ないまま、強風に目を瞑ッていると、気がつけば風もやみ、どこか室内に移動していた。
「 は? 」
驚きが頭の中を支配する。室内…というより、電車の中という言葉の方が正しいのだろうか。いつもの電車と違うのは、窓という窓に紺色のカーテンが引かれていることだッた。
「 驚いた? 」
その声にはッとして辺りを見回すと、車両の繋ぎ目あたりにある扉に寄りかかッている女の子が見えた。
真ッ黒いワンピース。それに不釣り合いなくらい明るい赤のパンプス。こんな格好をした友人を、私は知らない。
「 あんた…誰… 」
掠れた声で出たのはその問いだッた。女の子は私の「 あんた 」という二人称に苛立ちを隠せないのか、私を軽く睨みつけたあと、「 ミヨ。ミカノミヨ。 」と名乗ッてくれた。
「 ミヨ…。あ…ッ私は江口葉月。 」
宜しく、とこちらも名乗ると、ミヨも「 よろしく。 」と応える。この会話が、なんだか自然で、新鮮で、優しい気がして、涙が溢れそうだッた。
「 何、涙目になッてるのよ。 」
自殺怖かッたわけ?、とミヨは首を傾げる。嗚呼、やッぱり自分が自殺しようとしたのは現実なんだなと、改めて実感した。
「 怖くは、なかッた。 」
目の縁に溜まッた涙を拭きながら、私は言葉を紡ぐ。
「 ただ…最後の最後で、本当にこれで良かッたのかッて迷ッたんだよね。私が居なくなッても、あいつらは何も感じないし、反省もしない。当たり前のことだッたのに。 」
私の言葉に、ミヨは黙ッて耳を傾けてくれる。私の口は止まらなかッた。
「 馬鹿だよね、私。飛ぶ直前にそんなこと考えるなんて。自殺者失格って言うの?笑える。 」
ぼろぼろと涙が零れ落ちてくる。嗚呼、私…こんなに我慢してたんだ。
「 両親には虐待されて、解放されたかと思えば、今度は先生に処女奪われるし、友達には無視されるし。唯一一緒に最後までいてくれたのは、真奈だけ。 」
私は涙を拭ッた。
「 真奈ね、すごく料理うまいの。クッキーもタルトも食べたけどすごく美味しくて、幸せだッた。真奈の家でお菓子を食べて、勉強して、ゲームして、一緒に笑い合う時間が一番好きだッた。 」
ごめんね、真奈。と私は最後に付け足す。ごめん。こんな身勝手な私を許して。
私の話を一通り聞いたミヨは、足を組み直すと少し冷たいような、でも切なそうな声を出した。
「 そんなに親身になッてくれる子と、離れてどうするのよ。 」
私はぶんぶんと首を横に振る。そういうことじゃない。離れたいくらい、離れないといられないくらい、他のことが辛いだけ。

10/9/2022, 3:14:29 PM

「 … 」
今頃御屋敷は騒ぎになッているのでしょうね、なんて、ふと頭の片隅で思ッた。
母親の狼狽する姿。怒られる私の専属メイド達。
外国に出ていらしてるお父様も、かなり慌てるでしょうね。
私はそれでもいいと、覚悟を決めてここに来たのだ。
この、思い出深い場所に。
小さい頃から私に選択権はなかッた。
母親が決めたこと、それが全て。
母親がやりたいこと = 私のやりたいこと。
その固定概念が、ずッと私をこの地に縛り付けている。
綺麗で立派な屋敷。広い庭。広大な敷地。煌びやかな部屋。
見ているだけで吐き気がしてきそうだ。
そのことを知ッているのは、幼馴染であり、私の唯一の理解者でもある暁人だけ。
暁人は私の家の方針を話すと、いつも憤慨して私の味方をしてくれる。
「 はぁ!?それじゃあ麗華の自由はどうなるんだよ! 」「 なんだよそのイカれた思考 … 。 」
暁人と公的に会うことは、母親から禁止されている。
だから、話をする時は、いつも使われなくなッて寂れた駅で待ち合わせしていた。
そして…いつしか私は、その駅で彼と二人きりの時間を過ごしているという事実に、心を踊らせ始めていた。
今日はどんな話をしようかしら。彼は今日どんな話を持ッてきてくれるのかしら。
それは彼も同じみたいだッた。
彼も、駅に来て話をする度に、面白い話をして笑わせてくれたり、私の話を聞いて共感してくれたり、怒ッてくれたり、時には笑ッてくれたりもした。
楽しかッた。
そんな時間が永遠に続けばいいと思ッていた。
だが、案の定長くは続かなかッた。
ある日のこと。
いつも通り私が図書館へ行くと嘘をついて駅に行こうとした時、母親は笑顔で見送ッてくれたが、実は私のメイドに尾行を頼んでいたらしかッた。
そして当然、図書館とは真反対の方向へ向かう私について行くと、そこにあるのは寂れた駅。
駅に入れば私の幼馴染の暁人が、私に笑顔で手を振ッてくる。
私もそれに応じるように、彼に駆け寄ッて、彼の隣に座る。
その一部始終を、メイドは母親に伝えた。
母親は激怒して、私を暁人から無理やり遠ざけた。
“ 死 ”という方法を使ッて。
次の日、暁人は死体で発見された。
近くの川で溺れ死んでしまッたらしい。私はショックで暫く学校に行けなかッた。
暁人。私の心の支えだッた暁人が。
想いも伝えられず、虚しく散ッていく恋心。溢れて止まらない生温い涙。いつしか、それが私を取り巻く環境になッていッた。
そしてある時、私は母親の部屋の前で聞いてしまッたのだ。母親が暁人を殺したという事実を。
どうやら誰かと電話をしているようだッた。そして肝心なところだけが、厭にはッきりと聞こえた。
「 ああ、麗華の幼馴染くんね。あの子は殺したわよ。麗華の勉強の邪魔になるもの。 」
それが信じられなくて。耐えられなくて。何か考える度に母親のその言葉がフラッシュバックして、頭から離れない。勉強にも身が入らない。
母親からは「 何か辛いことがあッたの?お母様に何でも話して頂戴ね…? 」と言われるけれど、こんなこと当の本人に話せるわけがない。
今まで笑顔 + 「 大丈夫 」で乗り切ッてきたが、もう限界だ。
早く暁人の元へ行きたい。
暁人の元へ行ッて、またいつもみたいにたくさんお話したい。
久しぶりに、涙が頬を伝ッた。
何年ぶりかしら。暁人が死んだ時以来だから、二年半ぶりくらいかしら。
そんなどうでもいいことが、頭の隅を過ぎる。
本当は死にに来たはずなのに、どうしてこの場所に来てしまッたのだろう。
もうここは、電車の来なくなッた廃駅なのに。
そう思ッた瞬間だッた。
右側から体が揺れるくらいの強い風が吹いてきた。
思わずぐッと体に力を入れてしまう。
そしてぱッと顔を上げると、目の前には綺麗な夜空をそのまま映したような、綺麗な車体の電車が停まッていた。
「 どうして …。 」
驚いて声も出せない私を他所に、駅構内にアナウンスが流れ始めた。
「 この電車は22:00ちょうど発特急ヨミ行です。発車まで暫くお待ちください。 」
麗華は自分の腕時計を確認した。今は21:57。もうすぐ発車だ。
ヨミ…とは、恐らく黄泉のことだろう。死後の世界と言われている、あの黄泉。
これに乗れば、死ぬことが出来る。勿論、特急で。
悪くないな、と思ッて、麗華は電車内に足を踏み入れた。電車の中はごくごく普通の車内だッた。感動である。今まで豪勢なものしか目にしてこなかッたせいか、こういう普通のものに新鮮味を感じて、とても見ていて嬉しくなる。
私は真ん中の席に浅く腰をかけると、ぴんと背筋を伸ばしてみた。普通だ。普通の学校に通う、普通の学生。屋敷に篭ッて経営の勉強をしているのではなく、ちゃんと学校に通ッて、授業を受けて、テストも受ける普通の学生。
普通に憧れていた私にとッて、これは何とも満足感のある居心地のよい環境だッた。
間もなくして、電車が発車し始めた。柔らかい揺れ。優しい揺れ。それはまるで、今までの私を包み込んでくれるような感覚だッた。
「 お姉さんこんばんは。 」
暫く電車の揺れに身を任せていると、近くから少女の声が聞こえた。
辺りを見回すと、同じ座席列の角席に一人の少女が座ッていた。
夜空をそのまま映したような鮮やかな群青色のワンピース。スカートの方には金色の星が散りばめられている。
「 …御機嫌よう。 」
私はそちらに膝先を向けると、軽くお辞儀をした。少女は色白な脚を組み直すと、彼女の顔の前で鬱陶しそうに手を振ッた。
「 そういう堅い挨拶いいから。 」
いいから、と言われても…。今までずッとこの挨拶をして来たから仕方ないのだ。でも、とりあえず「 分かッたわ。 」と頷いておいた。
「 お姉さん、名前は? 」
「 葛城麗華よ。 」
「 葛城…?葛城ッてあの? 」
少女は私の名前を聞くと、驚いたように目を見開いた。
私は否定することでもないので、こくりと頷く。
「 そんな金持ちのお嬢様がどうして。 」
金持ちのお嬢様だからよ、と言いたくなる気持ちを私はぐッと堪えた。きッとこの子はまだ世間を知らないから、分からないのだ。金持ち、お嬢様が全てだと思ッている。
「 貴方の名前は? 」
少女の質問をスルーして、私は少女に問いかけた。少女はスルーされたことにむッと眉を顰めるも、名前を教えてくれた。
「 ミヨ。ミカノミヨ。 」
「 ミヨ…ちゃん。宜しくお願いするわ。 」
「 うん。 」
ミヨはこッくりと頷くと、突然究極の二択を迫ッてきた。
「 で?死ぬの?生きるの? 」
私はあまりに唐突なことで、少し理解が追いつかなかッた。死ぬか、生きるか。それが今私に課せられた課題なのだろうか。
「 … 」
少し、悩みこんでみる。今私が死を選べば、親の会社の跡継ぎは消えるだろう。だから新しく優秀な養子を迎え入れ、無理やりでも経営を続けようとする。
でも、それは多分無理である。私は物心ついた時から経営の勉強を続けてきているが、その、どこの馬の骨とも分からないような人は経営の勉強なんてこれッぽッちもしていないだろう。
たとえ今から経営の勉強をさせたとしても、私のように習得するのは何十年後かの話である。
では、今私が生きることを選んだらどうなるだろう。家に帰れば、母親は泣きながら私が帰宅したことを喜んでくれるだろう。
そして、次の日からはまた勉強づくしの毎日。普通、なんて言葉とは程遠いところにまた行ッてしまう。
どちらを選んでもメリットとデメリットがある。どうするのが正解なのだろう。
そう考えながら、私はゆッくりと口を開いた。
「 生きるわ。 」
私の言葉に、少女は意外そうに片眉を上げた。
「 …後悔しない? 」
「 後悔しないと思うわ。 」
私の決意が現れた言葉を聞いて、少女はふッと笑う。
「 そう。…後悔したら、またおいで。 」
私もその言葉に微笑んで頷いた。

10/9/2022, 8:47:14 AM

「 …はぁ。 」
何度目だろうか。こうやッて溜息をつき、誰もいない駅のホームで独り静寂を噛み締めているのは。
始まりは、あの会社に入ッたところからだ。最初は上司も優しく、後輩ですらも分からないところを聞けば、丁寧に教えてくれていた。
だが、そんな時間は長くは続かなかッた。
研修生としての研究が終わり、いざその会社に入社して正社員になると、皆の態度が一気に変わッた。
冷たくなる…というより、無視されているという感覚が近いのかもしれない。
誰に何を聞いても「 自分で考えて。 」「 それぐらい分かるだろ。正社員なのにそれも分かんないのかよ。 」「 先輩な分からないことを、私が分かるわけないですよ。 」…。冷たく突き返され、もう二度と聞くなというオーラを醸し出される。
それでも会社は行き続けた。どんなに邪険に扱われても、どんなに冷たくあしらわれても、我慢強く行き続けた。
そんなある日のこと。その日は自分のキャパを遥かに超える膨大な仕事を任せられてしまッたため、残業して帰ッた。家族などはいない。恋愛など、あの会社では許されていなかッた。
電車通勤のため、残業があるとほぼ終電に乗ッて帰ることも少なくない。終電を逃すこともザラにある。
今日はいつもより少し早く終わッたので、終電は乗れるはずだ。久しぶりの帰宅に胸を躍らせながら、改札を通り、ホームへ降りた。
しかし、一歩遅かッたようだ。自分がホームに降り立ッた時、既に電車は発車していた。
私は呆然と電車の尻を見送る。
虚しさと悔しさと疲れで、私はホームの椅子にふらッと腰掛けた。
線路を挟んで向かい側には、高層ビルの立ち並ぶ都会の街並みが広がっている。
こういうビルが立つせいで、空が狭くなッていくという話を、どこかで聞いたことがある気がする。
テレビの情報番組か何かだッただろうか。よく思い出せない。
そういえば、最近テレビを見ていないな。働くのに忙しくて、スマホですら会社用のしか使えていない。
そんなふうに考え始めて、ふと思ッた。
何だか、ここは安心する。
すごく安心できて、落ち着く。
そう気がついた日から、終電を逃した日にはこうやッて駅のホームで自分を仕事から解放し、様々なことに思いを馳せるようにしていた。
今日ここへ来たのも、残業のせいで終電を逃してしまッたからだ。
それにしても、全く家に帰れないと、流石に寂しくなッてくる。
仲良くしていたご近所さんと顔を合わせていないな。隣に住んでいる母娘は元気かな。よくうちのベランダに遊びに来ていた猫のマロンは元気かな。
そんなことを考えていたら、自然と涙が出てきた。
自分はどうしてこんな生活になッてしまッたのだろう。何故あんな会社に入ッてしまッたのだろう。
後悔の念ばかりが、自分に襲いかかッてくる。
もう、死んでしまいたい。
自分がいなくなッたッて、あの会社にはいくらでも優秀な代わりの人間がいる。人一人くらい退社したッて。死んだッて。
その時だッた。
右側から突然強風が吹いてきて、私のジャケットを揺らした。
何だ?と思ッて顔を上げてみると、そこには綺麗な夜空のような色をした車体を持つ電車が停まッていた。
「 電、車…? 」
もう終電はとうの昔に過ぎたはずである。今まではこんな時間に電車なんて来なかッたのに。
すると今度はアナウンスが流れ始めた。
「 この電車は0:00ちょうど発、特急ヨミ行になります。ご乗車になッてお待ちください。 」
私が咄嗟に腕時計を確認すると、今は23:58。もうすぐ発車らしい。
ヨミ…というのはよく分からないが、とりあえず電車が来たのは嬉しいことだ。早速乗ッて家に帰ろう。
頬に張り付いた涙を拭いながら、私は電車に乗り込んだ。
車内は車体と違い、いつものごくごく普通の座席が並んでいた。
私は近くの角席に腰掛けると、窓の外を眺める。
ビル以外は何も見えないが、今思うとビルもネオンな感じで、夜空に華々しく映えている。
少し眠ろうか。
そう思ッて目を瞑ると、丁度電車の扉が閉まり、発車し始めた。
いつも乗ッている電車とは少し違ッて、大きな揺れも少ないし、まるでゆりかごの中で寝ている気分になる。
心地がいい。
私は電車で目的地に着くまでの、束の間の休息を貪るように眠ッた。

「 …ん? 」
ふと目を覚ますと、まだ電車の中だッた。
かたんことんと優しく揺れる、夜空色の電車の中。
「 やッと起きた。 」
その声にばッと顔を上げると、通路を挟んで向かい側の席に女の子が一人、座ッていた。
黒いワンピースに、薄い青のカーディガン。スカートは星が散りばめられた、さしずめ夜空のような色をしている。
「 君は…? 」
私がそう問いかけると、女の子は焦げ茶色の瞳をこちらに向けて、「 ミヨ。ミカノミヨ。 」と名乗る。
漢字を聞くと、彼女は胸元のポケットからメモ帳とペンを取り出すと、「 三ヶ野美代 」と几帳面な字で書いて見せてくれた。
「 おじさんは? 」
私は通勤鞄から名刺を取り出すと、彼女に差し出した。
彼女は私の名刺を見ると、「 じゃあ紺野さんッて呼ぶわね。 」と呼び名を決定した。
「 君は…どこから乗ッてきたの? 」
私の問いに、彼女は愚問だと言いたげにこちらを見る。
「 それを聞いてどうするの? 」
逆に質問されてしまう。私は言葉に詰まッた。
彼女はそんな私を見ると、細い足を組みながら私に問いかけた。
「 紺野さんッて○‪×会社に勤めてるのね。楽しい? 」
思いがけない質問に、私は曖昧な表情をして「 まぁ… 」と答える。
すると、彼女は眉ひとつも動かさずに、再び言葉を重ねた。
「 なら、どうして死にたいの? 」
彼女の問いに、私ははッと目を見開いた。
死にたい。
それは私が先程の駅のホームでぽつりと思ッたことである。
口に出してすらいないのに、どうして。
「 辛いんでしょ?辞めたいんでしょ?苦しいんでしょ?救ッて欲しいんでしょ? 」
彼女の怒涛の言葉責めに、私は少々面食らッた。
だが、彼女の言ッている言葉は私の思ッていることだッた。
辛い。辞めたい。苦しい。助けて。
何度そう思ッただろう。
何度そう願ッただろう。
涙が溢れそうだッた。
「 はい… 」
辛うじてか細い声が出た。彼女が動いて衣擦れする音が微かに聞こえる。
「 この電車は、死にたいという強い思いを持つ者だけが、乗ることの出来る特急黄泉行よ。 」
死にたい、強い思い、特急黄泉行。その言葉が意味するのは、自分は恐らく今一番死に近いということ。
「 そう、ですか…。 」
乾いた返事しか出てこなくて、それを聞いた彼女は眉をひそめた。
「 信じてないでしょ。 」
彼女の拗ねたような言葉に、私は慌てて首を振る。
「 そんなこと…!ただ…何で自分なんだろうッて。 」
私の呟きに、彼女はあからさまにため息をついた。
「 別に貴方のところだけにこの電車が来るわけじゃないのよ。勘違いしないで。 」
ぴしゃッと冷たい声でそう告げられると、私は首を縮めた。
「 それで…。死ぬ?生きる? 」
唐突な究極の質問に、私は動揺する。
「 へ…? 」
「 早く決めて。 」
彼女の急かす声に、私は少し考え込んだ。
今生きていたッてしょうがない。ならば、死一択である。
「 …死にます。 」
私の言葉に、彼女は少し目を開くと、ぎゅッと眉を寄せた。
「 後悔しない? 」
彼女の最終確認に、私は力強く頷く。
後悔しない。絶対に。
それを見ると、彼女は少し目を伏せて私に言葉を投げる。
「 じゃあ、黄泉行ね。いい夜空の旅を。 」
私は彼女にお礼を言うと、ふと上を見上げた。
その瞬間、私の身体は鳥肌に包まれた。
壮大な星々が群青色の空に散ッている。どこまでも永遠に続いているかのような、美しい星空。
思わず見とれてしまッた。
世の中には、こんなに美しい景色があるのか。
「 貴方は、優秀よ。 」
彼女の声のする方に目をやると、彼女も同じく空を見上げていた。
「 あんなブラック企業で働くような珠じゃない。もッと良い会社が必ずある。諦めなければ、見つかるかもしれない。 」
でも、と彼女は空から視線を逸らす。
「 それを綺麗事と捉える人の方が多い。貴方もきッとそう。それでも苦しい。死にたいッて思うはず。だから… 」
彼女の焦げ茶色の瞳が、星色に光ッた。
「 今晩…いえ、今世は、この電車でゆッくりしていて。そして、いつかまた生きてみたいと思うようになるまで、自分を慰めてあげて。 」
自分の視界がぼやけるのが分かる。泣いているのだと咄嗟に思ッた。
そしてぷちん、と耐えきれなくなッた雫が、瞳から零れ落ちる。
そうやッて視界がクリアになッた時、彼女は既にいなくなッていた。
彼女の座ッていた席は、車体と同じ、吸い込まれるような青色に染まッていた。