汐里

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「 ん、美味しい! 」
もぐもぐと口を動かしながら、私は目を輝かせた。自分の手の中にはお気に入りのクッキー。お菓子作りの得意な友人が作ってくれたものだ。やッぱり美味しいなあ … 。
足をふらふらと動かしてみる。右足と左足が交互に視界に入ッた。
「 うん!今日死ぬッて決めておいて良かッた! 」
私は笑顔でそう言い放つ。そう。私が今、このビルの屋上にいる理由。それは自殺するためだッた。25階建ての廃ビル。自殺スポットとしては一番である。
今腰かけているのも、ビルの建物の際。少し前に体重を掛ければ落ちてしまうだろう。このスリルは何とも堪らない。
私の家は、結論から言うと狂ッていた。暴言暴力が耐えない父親。勉強第一の母親。自分をサンドバッグ代わりにする弟。何から何まで、異常だッた。
それに気がついてくれたのが、今住んでいる児童預かり所の係員。私が殴られた衝撃で玄関まで吹き飛んだ音を、耳にしたらしい。
そこからは、両親逮捕・兄弟は少年院行きとなッて事なきを得た。しかし、問題はここからだ。係員の人に救われてから、私にとッてその係員の人は救世主だッた。名を“ 羽塚芽伊 ”と言う。私がなにかする時は、羽塚さんは常に近くにいてくれたし、見守ッてくれていた。
だが、日に日に羽塚さんからの気持ちが、歪んでいるように感じてきてしまッた。私に向ける視線。私に触れる時の表情。瞳の奥に隠されている想いが、どんどんと透けているようで、羽塚さんの近くにいるのが嫌になッた。
そしてある時、遂にその決定打となる出来事が起きてしまッた。
「 葉月ちゃん。…私のこと、好き? 」
突然の問いに、私は戸惑いつつも頷く。
「 …はい。私は羽塚さんのこと、好きですし、頼りになる方だと思ッてますよ。 」
その言葉を聞いた羽塚さんは、「 安心した 」と微笑むと、私にぐいッと顔を寄せてきた。
もうすぐで唇が触れてしまいそうな距離。私はあまりにも急なことで、うまく息ができず、抵抗する力もなかッた。
「 なら…拒まない、わよね…? 」
気がつけば、羽塚さんと二人きりの部屋で行為をしていた。甘く交わる吐息。時々漏れる嬌声。それを包むかのように優しく揺れるカーテン。私はその光景を忘れたことは無い。あのクリーム色のカーテンには、少し悪意の混じッた淡い藍色の染みがあッた。

「 さて…と。 」
私は食べ終えたクッキーの袋を傍に置くと、脱いであッた靴で、それが飛ばされないように押えた。これでよし。
遺書はない。きッと誰も読まないだろうから。
少し下を覗いてみる。下には歩道が敷いてあッた。人通りは少ない。絶好の機会だと思ッた。
私はぐッとひとつ前に身体を乗り出してみる。お尻がギリギリビルの際に乗ッている感覚がして、くすぐッたかッた。
「 皆、じゃあね。 」
ぼそりとそう呟くと、私はひょいッと手でお尻を持ち上げ、そのまま前に飛び出した。私は死ぬんだ。やッと死ねるんだ。
そう思ッた瞬間だッた。ぶおおおおッとすごい勢いの風に煽られ、身体が横にズレる。
理解が出来ないまま、強風に目を瞑ッていると、気がつけば風もやみ、どこか室内に移動していた。
「 は? 」
驚きが頭の中を支配する。室内…というより、電車の中という言葉の方が正しいのだろうか。いつもの電車と違うのは、窓という窓に紺色のカーテンが引かれていることだッた。
「 驚いた? 」
その声にはッとして辺りを見回すと、車両の繋ぎ目あたりにある扉に寄りかかッている女の子が見えた。
真ッ黒いワンピース。それに不釣り合いなくらい明るい赤のパンプス。こんな格好をした友人を、私は知らない。
「 あんた…誰… 」
掠れた声で出たのはその問いだッた。女の子は私の「 あんた 」という二人称に苛立ちを隠せないのか、私を軽く睨みつけたあと、「 ミヨ。ミカノミヨ。 」と名乗ッてくれた。
「 ミヨ…。あ…ッ私は江口葉月。 」
宜しく、とこちらも名乗ると、ミヨも「 よろしく。 」と応える。この会話が、なんだか自然で、新鮮で、優しい気がして、涙が溢れそうだッた。
「 何、涙目になッてるのよ。 」
自殺怖かッたわけ?、とミヨは首を傾げる。嗚呼、やッぱり自分が自殺しようとしたのは現実なんだなと、改めて実感した。
「 怖くは、なかッた。 」
目の縁に溜まッた涙を拭きながら、私は言葉を紡ぐ。
「 ただ…最後の最後で、本当にこれで良かッたのかッて迷ッたんだよね。私が居なくなッても、あいつらは何も感じないし、反省もしない。当たり前のことだッたのに。 」
私の言葉に、ミヨは黙ッて耳を傾けてくれる。私の口は止まらなかッた。
「 馬鹿だよね、私。飛ぶ直前にそんなこと考えるなんて。自殺者失格って言うの?笑える。 」
ぼろぼろと涙が零れ落ちてくる。嗚呼、私…こんなに我慢してたんだ。
「 両親には虐待されて、解放されたかと思えば、今度は先生に処女奪われるし、友達には無視されるし。唯一一緒に最後までいてくれたのは、真奈だけ。 」
私は涙を拭ッた。
「 真奈ね、すごく料理うまいの。クッキーもタルトも食べたけどすごく美味しくて、幸せだッた。真奈の家でお菓子を食べて、勉強して、ゲームして、一緒に笑い合う時間が一番好きだッた。 」
ごめんね、真奈。と私は最後に付け足す。ごめん。こんな身勝手な私を許して。
私の話を一通り聞いたミヨは、足を組み直すと少し冷たいような、でも切なそうな声を出した。
「 そんなに親身になッてくれる子と、離れてどうするのよ。 」
私はぶんぶんと首を横に振る。そういうことじゃない。離れたいくらい、離れないといられないくらい、他のことが辛いだけ。

10/12/2022, 9:03:29 AM