東の飯屋に恋する男

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6/10/2024, 3:44:58 PM

やりたいこと


※mhyk夢



「花かけらの波を見てみたい」

夕食を終え、紅茶を片手にそれぞれ本を読んで穏やかな時間過ごしていたさ中、ふとヒロがぽつりと呟いた。
「世界を修復する時に現れるアレ?」
「そう、アレ。俺は人間だから空を飛べないし、きっと生涯拝むことは無いって思ってたんだけど、よく考えたら俺にはネロがいるじゃんね」
ヒロはパタンと音を立て本を閉じた。口は弧を描き、まだ幼さの残る顔でネロの顔を覗き込む。数年前まではネロの隣にいる自分に納得できず、自己嫌悪していた人間がこのような事を言えるようになるなんて、とネロはどこか保護者のような目線で感心する。実際は恋人という関係なのだけれど。
「……箒に乗せろって事ね」
これは甘え下手な恋人の珍しく上手な甘えだ。ヒロが仕事を趣味にしていること、天体に対する好奇心が強いこと、数年を一緒に過ごして知らないわけがない。自分が魔法使いであるからこそ彼の好奇心を満たすことが出来るのなら、案外魔法使いの力も悪くないのかもしれない。足として使われようとしているだけなのだが、ヒロが素直に甘えてくれるようになったのは喜ばしい事だ。ネロは呆れたように、しかし嬉しそうに眉を下げて笑った。
「仕方ねえな」

4/23/2024, 4:32:34 PM

今日の心模様




雨の街では名前の通り今日も雨が降っている。静かな空間で響く雨の音と、屋根を伝って落ちる雨垂れのリズミカルな音が心地良い。しかし今日はどうにも気分が沈んでおり、雨によって更に憂鬱感を増幅されているような。今日みたいな心模様の日こそ、空は青く晴れ渡っていて欲しいのに。
目を覚ましてから数十分、降り注ぐ雨の音に耳を傾けながらベッドの中から動けずにいる。時計の針はもうすぐ正午を指そうとしていた。起きたいけど、起きたくない。今日は何もしたくない。このまま寝てしまいたい。何も考えたくないのに頭は思考を止めない。不安な事、怖い事、過去の事、この先の事。あっちこっちを思考が巡り全部が嫌になって泣き出しそうだ。何も考えずにもう一度寝てしまいたい。布団で頭を覆った。それでも思考が止まることはなく、カチカチと時計の針が動く音がやけに大きく聞こえる。
増幅した憂鬱感に襲われただ1人で悲観する事しか出来ずにいると、部屋の外をコツコツと歩く音が近付いてきた。同居人で間違いないが、今は絶対に情けない顔をしている為顔を合わせたくない。案の定扉が2回ノックされ、優しい声色が名を呼ぶ。
「ヒロ、起きてるか?」
返事をしようと思ったが声が出ず、か細い声で「うん」と答えたがおそらく自分にしか聞こえていないだろう。
「……入るぞ」
俺の返事が聞こえたのか聞こえていないのか、少しの間の後部屋の扉が開かれる。晴れた日の空のような髪色をした同居人が顔を覗かせた。今の俺が見たいのは雨模様の空ではなくこの髪色のような鮮やかな青い空なんだよな、なんて。
「起きてるじゃん。おはよ、具合悪い?」
昼頃になっても起きてこない俺を心配したのか、ベッドの傍に来て彼は優しく俺の額に触れた。具合が悪いわけではない。俺は小さく首を横に振る。
「そっか。今日の昼飯はあんたの好きなもの用意してるからさ、気が向いたら来いよ」
これだけで気使い屋な彼は俺の心模様を察したようで、額に触れた手でそのまま髪を優しく撫で微笑む。優しい手付きと温もりが恋しくて、微笑みは俺を大切に思ってくれているみたいで愛しくて、むず痒いけど、嬉しい。去ろうとする彼の手を引き止め、頬を擦り寄せる。大好きな人がそばに居てくれて、大好きな人が想ってくれて、彼の存在に心の憂鬱が少しずつ流されていく感覚を覚えた。太陽のように輝かしい、なんて言葉が似合うような人ではないけれど、俺にとっての彼は雲間に浮かぶ控えめな太陽のようなものなのだろうか。ベッドで憂いてないで、さっさと起きて彼の顔を見に行けばよかったのだ。
「好き……」
ふと口から零れた本音の言葉に彼は驚いた顔を見せるが、すぐに眉を下げては嬉しそうに笑った。
「知ってるよ」

2/16/2024, 4:55:19 PM

誰よりも




繊細で、人の感情の変化に敏感で、すぐ気を使って、さりげなく助ける。
俺が見てきたネロはそういう器用な男だ。
いつも誰かの気持ちを優先して自分のことは後回し。
彼の気使いは押し付けがましくない。相手が困っていたから手を差し伸べる、ではなく、自分がこうしたいからと適当な理由を付けてさりげなく相手を助けてしまうのだ。時には甘い嘘を使って。
勿論俺はそんな彼だからこそ好きになった。彼は優しい。そのくせ自分が優しいという自覚がない。ネロはもっと自分を愛するべきだ。ネロはネロをぞんざいにしている。

だからこそ俺はネロを誰よりも大切に扱いたい。
ネロからの優しさや気使いを当然のものと思いたくない。その優しさ一つ一つに感謝を伝えたい。ネロみたいな素敵な人間になりたい。ネロは俺が知る中で一番素敵な人だ。

誰よりも優しい彼が、いつかこの世界で誰よりも幸せだと思える日々に出会える事を何よりも願っている。
俺は彼と人生を共に歩めないから彼に至上の幸せを与える事は出来ないとわかっている。それでも今だけは俺が与えられる幸福の全てを与えたい。

彼のこれからの長い人生の中でたくさんの祝福が与えられたらいい。

どうか、彼が心の底から憂いなく人を愛し人に愛され祝福の日々を送れますように。

2/12/2024, 4:48:47 PM

伝えたい


ヒロは自己肯定感が低い。
俺が言えたことではないが。
彼は誰かの人生に自分の存在や居場所を作ることに罪悪感を感じている。実際、俺が魔法使いであると知る前は、ヒロがこちらに踏み込んでくることはなく、一線を引いた距離を保っていたのだ。何度も謝りながら想いを伝えてきたヒロを今でも鮮明に思い出せる。誰かの特別になる事を避ける彼が、それでも俺といたいという意思を見せた事がむず痒くも嬉しく、彼の事が気に入っていた俺は二つ返事で了承してしまった。人と深い関係になる事を避けるのは自分も同じだし、当時は二つ返事をした後に本当によかったのかとかなり頭を抱えたが、今ではこの暮らしをかなり気に入ってる。
そうしてヒロと同棲を始めて数ヶ月、心地よい生活であるのは確かなんだが、どうにも拭いきれない悩みがあった。俺からの好意が、ヒロに全く伝わっていない。確かにストレートに想いを伝えた事は数える程しかないかもしれないが、それでも普段からこう…さりげなく、なんとなく、あんたが特別なんだって伝えているつもりではあった。最早鈍感とかいうレベルではない。ヒロには自分が誰かに愛されるという考えが微塵も存在していないのか?多分そう。そもそも同棲までしてて、手も繋ぐしキスだってする。それなのに俺に好かれてる自覚がないなんてどういう思考回路してんだ。流石にそろそろ、どうにかして伝えるべきかもしれない。俺は既にあんたの事がめちゃくちゃ好きだって、ちゃんと伝える。

2/11/2024, 4:28:04 PM

この場所で





木々に囲まれ、小さな川が流れ、雨の街の都心から少し外れた所にポツンと建っている小さな一軒家。
首都とは思えない程穏やかな時間が流れるこの場所で、魔法使いのネロと人間のヒロが共に暮らしている。
北の国に生まれ盗賊して長い時間を過ごしてきたネロにとって、この暮らしはどこか夢のような感覚だった。地に足が着いていないような、ふわふわした心地。まるでこれまでの自分と今の自分が別人であるのかと思う程に、過去の自分からは想像出来ない日々を送っている。


目の前ではちみつ入りのミルクを飲んでいるヒロを、ネロはコーヒーを片手に頬杖をついて見ていた。
数ヶ月この生活をしていて気付いたことがある。ヒロは掌の皮膚が薄く、触れると猫の肉球のように柔らかい。その所為で感覚が鋭いのか、熱いものや冷たいものを持つことが出来ないようだ。赤ちゃんみてえ、という感想は胸の中にしまっている。そして重度の猫舌である。熱い飲み物が飲めるくらいになるまで程々に冷めるのを待っているうちに、作業に熱中して飲み物の存在を忘れ、熱かった飲み物が完全に冷め切るという流れをこの数ヶ月で何度目にしたかわからない。
そんな彼が今飲んでいるはちみつミルクは、ネロが用意した掌に熱が伝わりにくい分厚いマグカップに、ネロが調節した熱すぎず飲みやすい温度のものになっている。軽く吹き冷まし、小さな一口で飲んでいる様子を見守っていると、それに気付いたヒロに「見すぎ」と釘を刺された。まだあのはちみつミルクはヒロには熱いみたいだ。次からはもう少し冷ましてみようなんて考えながら、ネロはコーヒーを啜った。


繊細で気の回るネロは、誰かと共に過ごすのは気疲れしてしまう為あまり得意ではない。しかし、既にヒロと共に過ごすこの時間が嫌いではなく、むしろ心地いいと感じている事にネロは自分でも気付いていた。
この場所でこれからも、彼の短い人生を見守っていけたらいい。そう思ってしまうくらいには。

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