踊りませんか?
※mhyk夢
「栄光の街に行きたい」
ヒロのそんな一言から、ネロは数日店を閉め普段なら絶対に来ないであろう中央の国にある栄光の街へと来ていた。
ここ数日、ヒロの調子は良くなかったように思う。部屋にこもりがちなのはいつもの事だが、研究にも身が入らずどこか上の空でずっと考え事をしているようだった。このモードのヒロは何を言っても響かない為、ネロはいつもより手の込んだ美味しい料理を作り、いつも通り振る舞う。出来ることなら今すぐにでも甘やかしてやりたいが、それはヒロが泣きついてくるまでお預けだ。そろそろ考え事がネガティブに爆発して泣き出す頃じゃないだろうか、なんて思いながらテーブルに朝食を並べていると、ヒロの部屋の扉が開きパタパタと軽い足音が聞こえてきた。ネロが起こしに行く前に自力で起きてくるなんて珍しい。夜通し悩んで寝られなかったのか?とも考えたが、それにしては足音が軽快だ。リビングの扉が開きヒロが顔を覗かせる。足音同様にヒロの表情は曇っていなかった。
「おはよう、ヒロ」
「おはよ!あのさ、ネロ、お願いがあるんだけど……」
そんなこんなで冒頭に戻るわけだが、完全にヒロを甘やかしたいモードだったネロは「あんたが行きたいならいいよ」なんて二つ返事で了承してしまい、その日の夜に2人でこっそり箒に乗って突然の長旅に出たのだ。
東の魔法使いであるネロにとって陽気の代表とも言えるほど賑やかな栄光の街はどうにも落ち着かない。それは東の国の人間であるヒロにも同様だと思うのだが、隣を歩くヒロは中央の市場を素直に楽しんでいるようだった。
「お前さん、意外とこういうところ大丈夫なんだな」
「ん?ああ、俺数年前はここに住んでたんだよね」
ヒロ曰く、実家を出て最初に来たのが栄光の街。栄えていて、住民も皆活気があり、陽気で明るい楽しい街。気に入っていたが、気疲れが激しかった為引っ越したそう。人間は魔法使いのように簡単に国境を越えられるわけではない為仕事以外で雨の街を出るつもりはなかったのだが、ネロと知り合い箒で空を飛べる今、昔住んでいた街が恋しくなったのだと言う。
「甘えちゃってごめんね?」
「いいよ、あんたが元気になるなら」
過去の話をしながら歩いていると、いつの間にか市場を抜け、楽しげな音楽が鳴り住民達が踊っている、街の中でも特に陽気な雰囲気のところへ出ていた。
楽器を弾いていた住民がネロたちに気付き手招く。
「あんた達、旅行客かい?折角だ、踊っていきな!」
知らない人に突然話しかけられるのをヒロはかなり苦手としていた。気負わせないようネロが適当にその住民をあしらおうとしたところで、ヒロに手を引かれる。
驚いて顔を上げると、ヒロはまるで向日葵のようにただ明るく笑っていた。彼のこんな笑顔を見たのは、初めてかもしれない。ネロの心臓がドクン、と何かに打たれたように脳裏に響く。
「ネロ、踊ろ!」
酒も飲んでいないのに踊るなんて柄じゃない。でも今はそんなこと気にならないくらい、ただヒロの笑顔を見ていたい。手を引かれるがまま街に溶け込んでいく。たまにはこんな日も悪くない。
やりたいこと
「花かけらの波を見てみたい」
夕食を終え、紅茶を片手にそれぞれ本を読んで穏やかな時間過ごしていたさ中、ふとヒロがぽつりと呟いた。
「世界を修復する時に現れるアレ?」
「そう、アレ。俺は人間だから空を飛べないし、きっと生涯拝むことは無いって思ってたんだけど、よく考えたら俺にはネロがいるじゃんね」
ヒロはパタンと音を立て本を閉じた。口は弧を描き、まだ幼さの残る顔でネロの顔を覗き込む。数年前まではネロの隣にいる自分に納得できず、自己嫌悪していた人間がこのような事を言えるようになるなんて、とネロはどこか保護者のような目線で感心する。実際は恋人という関係なのだけれど。
「……箒に乗せろって事ね」
これは甘え下手な恋人の珍しく上手な甘えだ。ヒロが仕事を趣味にしていること、天体に対する好奇心が強いこと、数年を一緒に過ごして知らないわけがない。自分が魔法使いであるからこそ彼の好奇心を満たすことが出来るのなら、案外魔法使いの力も悪くないのかもしれない。足として使われようとしているだけなのだが、ヒロが素直に甘えてくれるようになったのは喜ばしい事だ。ネロは呆れたように、しかし嬉しそうに眉を下げて笑った。
「仕方ねえな」
今日の心模様
雨の街では名前の通り今日も雨が降っている。静かな空間で響く雨の音と、屋根を伝って落ちる雨垂れのリズミカルな音が心地良い。しかし今日はどうにも気分が沈んでおり、雨によって更に憂鬱感を増幅されているような。今日みたいな心模様の日こそ、空は青く晴れ渡っていて欲しいのに。
目を覚ましてから数十分、降り注ぐ雨の音に耳を傾けながらベッドの中から動けずにいる。時計の針はもうすぐ正午を指そうとしていた。起きたいけど、起きたくない。今日は何もしたくない。このまま寝てしまいたい。何も考えたくないのに頭は思考を止めない。不安な事、怖い事、過去の事、この先の事。あっちこっちを思考が巡り全部が嫌になって泣き出しそうだ。何も考えずにもう一度寝てしまいたい。布団で頭を覆った。それでも思考が止まることはなく、カチカチと時計の針が動く音がやけに大きく聞こえる。
増幅した憂鬱感に襲われただ1人で悲観する事しか出来ずにいると、部屋の外をコツコツと歩く音が近付いてきた。同居人で間違いないが、今は絶対に情けない顔をしている為顔を合わせたくない。案の定扉が2回ノックされ、優しい声色が名を呼ぶ。
「ヒロ、起きてるか?」
返事をしようと思ったが声が出ず、か細い声で「うん」と答えたがおそらく自分にしか聞こえていないだろう。
「……入るぞ」
俺の返事が聞こえたのか聞こえていないのか、少しの間の後部屋の扉が開かれる。晴れた日の空のような髪色をした同居人が顔を覗かせた。今の俺が見たいのは雨模様の空ではなくこの髪色のような鮮やかな青い空なんだよな、なんて。
「起きてるじゃん。おはよ、具合悪い?」
昼頃になっても起きてこない俺を心配したのか、ベッドの傍に来て彼は優しく俺の額に触れた。具合が悪いわけではない。俺は小さく首を横に振る。
「そっか。今日の昼飯はあんたの好きなもの用意してるからさ、気が向いたら来いよ」
これだけで気使い屋な彼は俺の心模様を察したようで、額に触れた手でそのまま髪を優しく撫で微笑む。優しい手付きと温もりが恋しくて、微笑みは俺を大切に思ってくれているみたいで愛しくて、むず痒いけど、嬉しい。去ろうとする彼の手を引き止め、頬を擦り寄せる。大好きな人がそばに居てくれて、大好きな人が想ってくれて、彼の存在に心の憂鬱が少しずつ流されていく感覚を覚えた。太陽のように輝かしい、なんて言葉が似合うような人ではないけれど、俺にとっての彼は雲間に浮かぶ控えめな太陽のようなものなのだろうか。ベッドで憂いてないで、さっさと起きて彼の顔を見に行けばよかったのだ。
「好き……」
ふと口から零れた本音の言葉に彼は驚いた顔を見せるが、すぐに眉を下げては嬉しそうに笑った。
「知ってるよ」
誰よりも
繊細で、人の感情の変化に敏感で、すぐ気を使って、さりげなく助ける。
俺が見てきたネロはそういう器用な男だ。
いつも誰かの気持ちを優先して自分のことは後回し。
彼の気使いは押し付けがましくない。相手が困っていたから手を差し伸べる、ではなく、自分がこうしたいからと適当な理由を付けてさりげなく相手を助けてしまうのだ。時には甘い嘘を使って。
勿論俺はそんな彼だからこそ好きになった。彼は優しい。そのくせ自分が優しいという自覚がない。ネロはもっと自分を愛するべきだ。ネロはネロをぞんざいにしている。
だからこそ俺はネロを誰よりも大切に扱いたい。
ネロからの優しさや気使いを当然のものと思いたくない。その優しさ一つ一つに感謝を伝えたい。ネロみたいな素敵な人間になりたい。ネロは俺が知る中で一番素敵な人だ。
誰よりも優しい彼が、いつかこの世界で誰よりも幸せだと思える日々に出会える事を何よりも願っている。
俺は彼と人生を共に歩めないから彼に至上の幸せを与える事は出来ないとわかっている。それでも今だけは俺が与えられる幸福の全てを与えたい。
彼のこれからの長い人生の中でたくさんの祝福が与えられたらいい。
どうか、彼が心の底から憂いなく人を愛し人に愛され祝福の日々を送れますように。
伝えたい
ヒロは自己肯定感が低い。
俺が言えたことではないが。
彼は誰かの人生に自分の存在や居場所を作ることに罪悪感を感じている。実際、俺が魔法使いであると知る前は、ヒロがこちらに踏み込んでくることはなく、一線を引いた距離を保っていたのだ。何度も謝りながら想いを伝えてきたヒロを今でも鮮明に思い出せる。誰かの特別になる事を避ける彼が、それでも俺といたいという意思を見せた事がむず痒くも嬉しく、彼の事が気に入っていた俺は二つ返事で了承してしまった。人と深い関係になる事を避けるのは自分も同じだし、当時は二つ返事をした後に本当によかったのかとかなり頭を抱えたが、今ではこの暮らしをかなり気に入ってる。
そうしてヒロと同棲を始めて数ヶ月、心地よい生活であるのは確かなんだが、どうにも拭いきれない悩みがあった。俺からの好意が、ヒロに全く伝わっていない。確かにストレートに想いを伝えた事は数える程しかないかもしれないが、それでも普段からこう…さりげなく、なんとなく、あんたが特別なんだって伝えているつもりではあった。最早鈍感とかいうレベルではない。ヒロには自分が誰かに愛されるという考えが微塵も存在していないのか?多分そう。そもそも同棲までしてて、手も繋ぐしキスだってする。それなのに俺に好かれてる自覚がないなんてどういう思考回路してんだ。流石にそろそろ、どうにかして伝えるべきかもしれない。俺は既にあんたの事がめちゃくちゃ好きだって、ちゃんと伝える。