「アキラです。」
よく間違えられるんです。
1976年7月から人名としてつけられるようになった漢字で、僕の名前。『瞳』
まず、読み間違えられる事は確実。
書類だけだと性別の男性の所にグルグル太く印をつけていないと女性だと思われる。
今の時代の子供にキラキラネームが多いみたいだけど、僕はその先駆者だと思う。名前付けたのは親だけど。
おじさんと呼ばれる年齢になってもこの名前。
おじいさんになってもこの名前。
苦労が多いでしょうと思われがちだが、意外にも役に立っている。僕の場合は。
職業が、小学校教諭。
僕の目の前にはかわいい童たちが澄んだ瞳をむけてくれている。
中には、ヤンチャな子や、おとなしすぎちゃう子。
モンスターペアレントな親を持つ子。
裕福な家の子。施設の子。
子供達の背景は色々あるけど、教室の中ではみんな平等に。
僕は色眼鏡で子供達を見ないようにと気をつける。
もちろん変わった名前の子も読みやすい名前の子も。
子供の名前は親からの一方的な贈り物。
親からつけられた名前には並々ならぬ願いや由来もあるけれど、自分の名前になったからには自分なりに納得できる解釈に変えちゃっていいんじゃないかと思ってる。
だから、僕の『瞳』って名前はいつまでも、この目の前の澄んだ瞳を濁らせないように手助けするための名前なんだと思っている。
予定日よりも2週間も早くに来た陣痛。
よりによって、夫は突然の出張。一泊するだけだからと、今朝早くに飛行機に乗ったばかり。
悪天候は天気予報でわかってた。
もう、産休に入っているし、家でのんびり過ごしていれば大丈夫なんて油断してた。
昼過ぎにはテレビで災害の情報、台風の進路予想。避難を呼びかける地域。
片道1時間の実家には来週に帰ればいいかって思ってた。
何もかもが油断してた。
出産予定の産院は実家の近く。
痛みの波が少しずつ感覚が狭まる。
心配のあまり、実家に電話した。
「今から迎えに行くと言う母。産院に電話しろという父。」
母には少し待ってもらって、産院に電話したら折り返し連絡すると言って電話を切る。
途端に今までのものとは何か違う下腹部の痛み。張り。
ぐっと波が治るのを待つ。
脂汗が吹き出す。
産院に電話をかけると救急車を呼ぶように言われた。
初めて119に電話する。
事情を伝えるとすぐに来てくれるとの事で一安心。
次の痛みの波が来る前にと入院セットを取りに行く。
一歩一歩が慎重になる。
手元の電話は119に繋がったまま。
今の私には命綱のようで母には申し訳ないと思いながらも切る事はできない。
入院セットの前に来た時に痛みと同時に部屋中がピカッと光る。直後、部屋中が暗闇になり命綱の通話も切れているようだ。
どうしよう。
絶対絶命なんて言葉が頭をよぎるけど、お腹の子のために絶命はできない。
携帯は圏外。しかも電池切れ。どちらが原因だろうか。
のんびりとネットサーフィンなんてするんじゃなかった。
痛い。痛すぎて苦しい。痛すぎて吐きそう。
たくさんの弱音が声にも出せず涙になる。
怖い。暗い。不安。
どうしたらいいかわからない。自分のバカさに呆れ情けなく、こんなお母さんでごめん。
声には出さず、そっと膨れたお腹に手を添える。
とにかく、動かずじっとその場に座り込んでいたが、それすら辛くて、床に直で横たわる。
硬いし、体が冷えそう。
グッとチカラを入れて格好悪いけど四つん這いのポーズ。とにかくお腹は冷やさないように。この子だけはと必死。いや、死にたくない。
そうこうしているうちに、雷鳴の間に聞こえる救急車のサイレンの音が聞こえてきた。
もう、大丈夫。
この子も私も助かる。
こんな最悪な状況を2人だけで乗り越えた。
まだ見ぬ我が子と強い絆が繋がれた。
この子が生まれて、どんな酷いことがあっても私達なら乗り越えられる。絶対に。
どんな嵐がこようとも。
「コレが最後の祭りのようですなぁ」
隣に立つ黒服にしか聞こえない声でいう。
『そうですね』
花火は上がらないけれど、出店のように並ぶ受付。
どデカい祭壇。
菊の花は目についた物を全部買い取って全て並べたようで、気品なんかあらしまへん。恥ずかしい。
気高く生きてきた私への冒涜か。
私、遺言にも密葬とは言わへんけど、うちうちにしてなるだけ小さいもんを。と書いたんに。
「こら、あきまへんな。子供達が大変やわ」
『そうでしょうね。』
私の家は古い古い家柄で、だから何だと言われたら、しがない印鑑屋。
別に判子売って生計をたてとるわけやない。
古いからこそ。博物館やら展示会なんかで昔の判子をお貸しして展示していただいてお金をいただく商いの家。
長く続いた家系の末、長男だった父から生まれたんは私1人。一人娘として、箱入りで育てて貰いながら、あくまで経営者として学も学ばせていただきました。
ありがたい事に、私は経営の手腕はあったようで、20代のうちに父の右腕になれました。
そんな私を見初めてくださったんが、とあるデパートの次男さん。
デパートの展示会の時に、私の仕事ぶりを見て惚れてくれはったらしい。
次男ということで、我が家の養子になってくれはるならと、結婚の話はとんとん進んで、気がついた時には一棟のマンションを持参金に我が家の婿さんになりはった夫。
この夫がボンクラで、金持ちボンボンのお坊ちゃん。
作法も何もあらしまへん。
商売のイロハもわからしまへん。
ただただ家長の座におるだけのお飾り。
私に子供ができた頃には、夫の持参金のマンションに住む私の階より上の階に愛人囲っておりました。
仕事で主人を出さんとならぬ時は仕方なしに出てもろうても恥晒しもええとこで、なんの役にも立たぬ。腹もたちましたが、建前もありましたし、我慢の妻として株も上がりましたし、よしとしましょう。
私の父が天に旅立ち、母も後を追うように亡くなって、夫は阿保に磨きをかけて傍若無人な行動で、社員さんや業者さんを困らせよって、頭を下げ続け胃の痛い日々でした。しかしながら、夫ボンクラでしたさかい、夫の持参金のマンション以外の財産を管理する会社を作って、子供と私だけの会社にしました。夫はソレと知らずに私の財産はいずれ自分のものになると信じてはったようですね。
元ある会社の名前での私の葬式。
ゆかりのある会社もたくさんいらしてくださいまして。ありがたい事にたくさんの香典や花をいただいている私の葬式。
ここらで一番の大きな葬儀場に何人もの坊さん呼んで、立派な葬儀をしてくれてはります。
どこから葬儀代を出す算段をつけとるかわからしまへん。
夫の愛人さんも、何を考えてか喪服で親族席に座って、図々しい。
綺麗なイミテーションの真珠の耳飾りがお似合いだこと。
ガラス玉の数珠もこの業界の人ならわかるような安物で。
私の最後の祭りの葬儀の見所は、この後だろうとは思うけれど、抜かりなく財産は子供に。
後継は子供だけ。
死後離婚の手筈は済ませているけれど、遺留分すら惜しいと思う私は鬼でしょうか?
夫の不甲斐なさは皆様の知る所に多分にございますよって、商売の分かれ道は我が子に託しました。
印鑑なんて、見せるだけの価値しかないものばかりの装飾品。売ればひと財産にはなるでしょうが、使うも売るも子供しだい。
アホな夫にその権利だけはやりません。
その信念だけで、闘病生活、死期の先延ばし。
コレを恨みと言う人もおりますが、それでも先祖が残してくれたもんを無様に阿呆に使わせたくなかったのです。
あの、阿保のやった最後の祭りは私の葬儀。
夫のこさえた借金は夫の持参金のマンション売ればなんとかなるでしょうて。
子をくれたあの人へのささやかな、温情。
あとは悔いて生きなはれ。
子に頼っても断れなはれ。
阿保な夫は、阿保のままで、私の葬儀代すら稼ぐ事は叶わんでしょう。
夫がどう生きて、どう死ぬか興味はありまへん。
ただ、私の最後の祭りとなった葬式の喪主として、あの阿保が立っておるのが悔しいが、これが夫の最後の花舞台やと思えば我慢もしてやりましょう。
「神様が降りてきて、こう言った」
ってお題長すぎない?
なんと書こうかなーと、電車の中でアレコレ考えつつ、帰り道のコンビニで夕飯を買い。一人暮らしのアパートに帰る。
玄関を開けて、手を洗い荷物を投げ出し、テレビのリモコンつけたら、いかにも神様っぽいお爺さん。
白い服、白い髭。天使の輪っか。
「はろ〜」
お爺さんが、絶対、英語圏の発音じゃない挨拶。
しかも、夜の帷もおりた時間にハローとは。
チャンネル変えたくてリモコンポチポチしても変わらない。
「すまんすまん。神様直通で、ここしか映らないよぉ」
怖い。
「天国YouTube?みたいな?どう?何か見たいところあれば移動するよ??あ、チャット機能あるから送ってね。会話は無理なんだよねー。zoom的な?あーゆー感じにしようかと思ったけどさ、人って色々言葉がちがうじゃん?翻訳アプリの性能イマイチでさ。昔はバベル使ってたんだけどねぇ。時代の変化ってやつ?あなたのいる日本は特に難しいね。言葉が多すぎ。数の数え方さえ言い方違うもんだからさ。もう神様困っちゃう。」
いや、神様から言われたい言葉はこれじゃないわ…
とりあえず
『天国はいいところですか?』
と、送る
「あ!チャットありがとうねぇ。天国?天国ってここ?いいところかって?あぁ、私は好きだよ。好き好きじゃない?人それぞれってゆうかさ。」
神様、フランクすぎんか?
『神様の望みはなんですか?』
「おー!世界平和って答えなきゃならんのかな。まぁ無理無理。みんな幸せって幸せの基準って何って話よね。まぁ、私は全知全能の神!幸せも不幸もないから、強いて言えば、生き物みんな言語統一してほしいかなぁ」
めっちゃ自分勝手やん。
『神様にお願い事したら叶えてくれますか?』
「無理無理!1人のお願い聞いたら誰か困らせないといけなくなるからねー。よくお参りされちゃうと恐縮しちゃう。まぁ、お願いいっぱいくる人はその分頑張ってるだろうから、私は心の支え?になれたらそれで十分だと思ってるよー。何か願い事あるの?」
『毎日つまらない』
「ヒッパルコスかプトレマイオスいるかな?あの人達こそ暇つぶしの名人だと私は思ってるんだ!こっちきたら紹介するよー」
いや、死なんと無理やん。
『生きているうちに何したらいいですか?』
「好きに生きたらいいじゃない!悔いのない人生とか生きてる人がよく言うけど、悔いは残るらしいよ。どんな人も。あっ!そろそろ時間だわ、次トルコなの〜知ってる?トルコ。だから、このチャンネル切る時言わないといけない言葉があるの。トルコ語で平和って意味なんだけどね。って、あ、日本の映画のセリフだね。じゃあね、こっち来たらまたお会いしましょう」
「バルス」
ぷつりとテレビが、切れた。
神様が降りてきて、言って欲しい言葉は一つも見当たらない。
お気楽な終活中ー。
別に死ぬ予定があるわけではない。
もはや趣味の域。
墓は要らぬ。
葬儀も要らぬ。
残す財産もない。
死んだ事を報告してほしい人もおらん。
自分が死んだとて、泣いてくれる人もまたおらんから、終活ノートは白紙が多い。
使ってる銀行やカードを書いとく程度なもん。
棺に入れて欲しいものは
お気に入りの漫画全巻と、写真数枚。
趣味らしい趣味もなく、寂しいなと、白紙のノートに思うだけで、だからと言って今から何かする気はない。
だから、できるだけ、自分の遺体は誰かのために役立てばいいと思う。
使える臓器は使ってもらいたい。
だからと言って健康に気をつけようなんぞ微塵も思わない。使うならどうぞって程度。
医学生にオモチャみたいに切り刻まれるぞ。なんて言う人もいるけど、私の遺体でよけりゃ切り刻んで遊んでくれて結構。
切り慣れてる人。縫い慣れてる人になってどうぞ良い医者になってくれ。
死んだらどうせ焼かれる身。
生きた分だけ自分のために使わせてもらうんだから、死んで動かせなくなったら、誰かのために役に立てたら生きた意味があるじゃない。