「コレが最後の祭りのようですなぁ」
隣に立つ黒服にしか聞こえない声でいう。
『そうですね』
花火は上がらないけれど、出店のように並ぶ受付。
どデカい祭壇。
菊の花は目についた物を全部買い取って全て並べたようで、気品なんかあらしまへん。恥ずかしい。
気高く生きてきた私への冒涜か。
私、遺言にも密葬とは言わへんけど、うちうちにしてなるだけ小さいもんを。と書いたんに。
「こら、あきまへんな。子供達が大変やわ」
『そうでしょうね。』
私の家は古い古い家柄で、だから何だと言われたら、しがない印鑑屋。
別に判子売って生計をたてとるわけやない。
古いからこそ。博物館やら展示会なんかで昔の判子をお貸しして展示していただいてお金をいただく商いの家。
長く続いた家系の末、長男だった父から生まれたんは私1人。一人娘として、箱入りで育てて貰いながら、あくまで経営者として学も学ばせていただきました。
ありがたい事に、私は経営の手腕はあったようで、20代のうちに父の右腕になれました。
そんな私を見初めてくださったんが、とあるデパートの次男さん。
デパートの展示会の時に、私の仕事ぶりを見て惚れてくれはったらしい。
次男ということで、我が家の養子になってくれはるならと、結婚の話はとんとん進んで、気がついた時には一棟のマンションを持参金に我が家の婿さんになりはった夫。
この夫がボンクラで、金持ちボンボンのお坊ちゃん。
作法も何もあらしまへん。
商売のイロハもわからしまへん。
ただただ家長の座におるだけのお飾り。
私に子供ができた頃には、夫の持参金のマンションに住む私の階より上の階に愛人囲っておりました。
仕事で主人を出さんとならぬ時は仕方なしに出てもろうても恥晒しもええとこで、なんの役にも立たぬ。腹もたちましたが、建前もありましたし、我慢の妻として株も上がりましたし、よしとしましょう。
私の父が天に旅立ち、母も後を追うように亡くなって、夫は阿保に磨きをかけて傍若無人な行動で、社員さんや業者さんを困らせよって、頭を下げ続け胃の痛い日々でした。しかしながら、夫ボンクラでしたさかい、夫の持参金のマンション以外の財産を管理する会社を作って、子供と私だけの会社にしました。夫はソレと知らずに私の財産はいずれ自分のものになると信じてはったようですね。
元ある会社の名前での私の葬式。
ゆかりのある会社もたくさんいらしてくださいまして。ありがたい事にたくさんの香典や花をいただいている私の葬式。
ここらで一番の大きな葬儀場に何人もの坊さん呼んで、立派な葬儀をしてくれてはります。
どこから葬儀代を出す算段をつけとるかわからしまへん。
夫の愛人さんも、何を考えてか喪服で親族席に座って、図々しい。
綺麗なイミテーションの真珠の耳飾りがお似合いだこと。
ガラス玉の数珠もこの業界の人ならわかるような安物で。
私の最後の祭りの葬儀の見所は、この後だろうとは思うけれど、抜かりなく財産は子供に。
後継は子供だけ。
死後離婚の手筈は済ませているけれど、遺留分すら惜しいと思う私は鬼でしょうか?
夫の不甲斐なさは皆様の知る所に多分にございますよって、商売の分かれ道は我が子に託しました。
印鑑なんて、見せるだけの価値しかないものばかりの装飾品。売ればひと財産にはなるでしょうが、使うも売るも子供しだい。
アホな夫にその権利だけはやりません。
その信念だけで、闘病生活、死期の先延ばし。
コレを恨みと言う人もおりますが、それでも先祖が残してくれたもんを無様に阿呆に使わせたくなかったのです。
あの、阿保のやった最後の祭りは私の葬儀。
夫のこさえた借金は夫の持参金のマンション売ればなんとかなるでしょうて。
子をくれたあの人へのささやかな、温情。
あとは悔いて生きなはれ。
子に頼っても断れなはれ。
阿保な夫は、阿保のままで、私の葬儀代すら稼ぐ事は叶わんでしょう。
夫がどう生きて、どう死ぬか興味はありまへん。
ただ、私の最後の祭りとなった葬式の喪主として、あの阿保が立っておるのが悔しいが、これが夫の最後の花舞台やと思えば我慢もしてやりましょう。
7/28/2023, 2:54:52 PM