大学生のとき、心理学の講義で「リフレーミング」という概念を知った。
リフレーミングとは「否定的な状況や考え方を肯定的なものに変える手法や視点」ということらしい。
要は、否定的なものの見方や考え方を裏返して、肯定的に表現するということか。
でも、言葉を裏返してみたところで、現実にある事象自体は何も変わらない。
肯定的に表現された言葉を信じられなければ、それはただの言い換えにすぎない。
僕は自分に向けられる褒め言葉が怖い。
一番古いきっかけは、小学校の教師をやっている叔父さんの言葉だ。
「1クラスにそんなに人数がいると、通知表付けるのも大変だね。特は小学校では褒めることが大切だって聞いたけど」
すると叔父さんは笑って答えた。
「どんなことだって言い方次第で長所になるんだよ。例えば『落ち着きがない』は『好奇心旺盛』、『内気』は『落ち着いている』みたいにな」
それを聞いた僕は、突然足元が崩れるような感覚がした。
言い方次第では何でも褒められるのならば、
「本当は長所だと思っていないけど、とりあえず褒めておこう」
ということもできるのではないか。
僕は「真面目で勉強家」と周囲から言われていた。
それは嘲りの言葉だったのではないかと恐怖した。
裏を返せば「面白味がなくて社交性がない」と言われていたのではないのか。
それからは、他人の言葉の裏を深読みするようになってしまった。
社会人になった今でも同じだ。
どうか、誰も僕に注目しないで放っておいてほしい。
裏側ばかり探してしまう癖が治るまでは。
眼前に広がるのは抜けるような青空。真綿のような白い雲が風にのってゆっくりと流れている。この時間ならまだ人もたくさんいるのだろうが、人々のざわめきはまるでさざ波のようで、時間がゆったり流れているように感じられる。
ふと、歌が聞こえた。耳を澄ませてみる。
『翼をください』だ。
『この背中に鳥のように 白い翼付けてください』
『悲しみのない自由な空へ 翼はためかせ行きたい』
私は思わずクスリと笑ってしまった。
「悲しみのない自由な空の上」へゆくために、私は自分の白い翼を捨てようとしているのだから。
なんて皮肉なんだろう。
屋上のフェンスに寄りかかりながらクスクスと笑っていると、不意に涙が溢れた。
目の前を小鳥が通りすぎていく。小さな翼を動かして。
ねえ、鳥さん。
時には強い逆風が吹き嵐が訪れることもあるこの空を、どうしてそんなに一生懸命に飛んでいるの?
いっそその翼を捨てて「悲しみのない自由な空の上」へゆきたくはないの?
ああ、今日も教えてくれないんだね。
「ねえ、泣かないで。私はまだここにいるよ」
君は白いベッドに横たわる私の手を握りながら、泣きじゃくっている。
ベッド横の心電図はほぼ直線になっており、心停止を告げるブザーが鳴っている。
私は君の肩に手を置こうとするが、するりと通り抜けてしまった。
これが向こうに行く前の最後の時間なのか。
それなら、話くらいさせてくれてもいいのに。
さよならを言う前に、先に伝えたいことがあったんだよ。
「今は無理でも、君は立ち上がって先に進んでね」
大したことじゃないんだけどさ、1個だけ自慢があるんだ。
俺、鏡の自分とあっち向いてホイして、勝ったことがあるんだよ。
1回だけだけどな。
左手の薬指で輝く指輪。私の婚約者にして幼馴染みだった彼が送ってくれたエタニティリングだ。
しかし、彼は事故に遭い、私を置いてこの世から去ってしまった
でも、私はこの指輪を外すことができない。
子供の頃からずっと一緒にいたんだもの。
この指輪をしていれば、いつものようにまた逢えるかもしれないから。
指輪なんて贈るんじゃなかった。彼女は今日も指輪を捨てられない。
俺は彼女の幼馴染みだった。ずっと彼女のことが好きだった。
だから「永遠の愛」を誓うエタニティリングを贈った。
「必ず幸せにするから」という言葉と一緒に。
でも、それはもう叶わない。だから、悔しいけど、彼女には新しい幸せを見つけてほしかった。
しかし、彼女は指輪と俺への想いをどうしても捨ててくれない。
俺が彼女の幸せを奪ってしまった。その事が何よりも辛かった。
触れることさえできないけれど、彼女の傍に居ることしかできない。
ねえ、あなたは今、私の傍に居てくれてるんだよね。
私、幸せだよ。
友達は「そろそろ現実を受け入れなよ、彼のためにも」と言うが、友人は何か勘違いしてる。
だって、これがあれば、優しいあなたは私を置いて彼岸に行ったりしないでしょう?
だから私は、この指輪を絶対に捨てることはない。