高宮早苗は走っていた。教室から飛び出して、廊下をかけり、靴を適当に履き替え、そのまままっすぐ、帰り道を脇目も振らずに走っていた。その様子はさながら何かから逃げ出しているようで、実は本当に同級生で仲の良い男、宮川翔吾から逃げ出していたのだった。
体が熱い。
溜まり溜まった熱が吐き出し口を探すように、とにかく走っていないとやっていられなかった。風に当たっていないと何か喚きそうだった。
だってそうだろう。あんなことをされたんだぞ。
先ほどのことが頭をよぎる。低い声。衣擦れの音。ぬくもり。そして指先から伝わったあの──
「うわぁあああああ──!」
絶叫した。あまりにも恥ずかしくなってきたせいで。
いや、いや、確かに自分からいった。自分から付き合えばいいとか言ったのだ。しかもそもそもの発端からしたら、自分の好奇心でいった言葉だ。それに彼は答えただけで、彼が悪いことは何もないじゃないか。
でも。でも、だ。あれはなんだ。あの声もあの行動も今までそんなもの見たことなかったぞ。そもそも見せてはこなかっただろう。君そんな声出るの? 君そんな行動とるの? なんでそんなに君の心臓の音うるさいんだよ。僕は少女漫画大好きでよく読むけど、少女漫画でもびっくりの展開を出すな。少女漫画ですら裸足で逃げ出す感情を僕にぶつけてくるんじゃない。受け止めきれないだろ!
早苗の頭はめちゃくちゃだった。めちゃくちゃすぎて変な声が出るし表情がおかしくなるし顔から火が出るし心臓は早鐘のようになる。
頼むから追いかけて来ないでくれ。そんなことを思いながら、早苗はどうにか自宅の二階にある自分の部屋のベッドにたどりついたのだった。
逃げ出してすまない。
でも、言わせてくれ。あれは本当に僕には耐えられなかったんだ。その……君の思いをよく知らなかったから。
だから、その、君が僕にどんな思いを抱いているのかわからなくて、僕だけが君のことを気に入っていると思っていて、僕だけが君のことを好きだとばかり思っていたんだ。
いや、ごめん。嫌われていないというのはわかっていたよ。そうでなければ僕のあの無茶ぶりに付き合う奴はいないだろう。
君は僕が面白そうだからやろうと言ったことに、代案は出してくることはあっても結構付き合って貰ったからね。
でも……そうだな。野良猫に好かれた程度に思っているんじゃないかと考えていたんだ。ほら、猫はかわいいだろう? そう。猫だから変なことしてもしょうがないなみたいな気持ちで僕と一緒にいるものだとばかり思っていたんだ。違ったんだけどね。
それで、僕はそんなことを思っていたから、君の僕に抱いているものが色恋のそれだとは思わなくて、その……もう、この話はやめにしないか? もう私は恥ずかしくって心臓が痛くて死にそうなんだ。正直、苦しい。
……ぅ、わ、笑うなよ。これでも本当に君にはすまないと思ってるんだぞ。たかが抱きつかれただけで逃げ出してから一週間も避けてしまったんだから。
いや、そう。うん。だからごめん。
今の私には刺激が強すぎるんだって……。
この学校では夏に半袖の制服を着ている生徒は少ない。
なぜか長袖のシャツの袖を捲っているものが多い。しかも男性だとシャツの下に半袖のTシャツを着ているものが多く、教員からは「暑いだろうから半袖になった方がいい」と苦言を呈されるほどである。
そしてそれは、宮川翔吾も例外ではなく、夏場の学校でも長袖のカッターシャツを捲って過ごしていた。
だが今日に限ってどういうわけかシャツの長袖が用意できず、仕方なく半袖を引っ張り出してきたのだった。
そしてそれを、高宮早苗は出会った瞬間、指をさして大声で指摘してきたのだった。
「珍しいな。君が半袖を着てくるの!」
「長袖がなかったんだよ」
前に後ろに右に左にと翔吾の周りをうろちょろしながらはしゃぐ早苗に翔吾はうんざりした顔をした。そんなに自分の半袖姿は珍しいものなのだろうか。というか、同じクラスの一ノ瀬も隣のクラスの永倉も今日は珍しく半袖で登校しているものがいるだろう。なぜ自分だけにはしゃいで寄ってくるのか不思議でたまらなかった。
「そんなにはしゃぐもんじゃねえだろ。たかが半袖くらいで」
そう言うと早苗は目をぱちぱちと瞬かせた。
「いや、いや、いや。君が半袖なのは珍しいよ。はしゃぐに決まっているだろう。僕は一年から出会ってずっと、その姿を見たことないぞ」
と、言うわけでハイチーズ! 早苗はどこからか取り出した通信機器を手に持って、写真を取り出した。
男の半袖姿の写真を撮って楽しいのかよ。
そう思いながら、翔吾はため息をついた後、へたくそなピースサインを作ったのだった。
早苗「クーラーが あったら大変 嬉しいな 中は天国 外は地獄」
翔吾「変な歌詠むんじゃねえよ。余計暑くなるだろ」
早苗「お月さんなんぼ 十三、九つ」
翔吾「なんだそれ」
早苗「そういう歌だよ。国語の先生から教わった」
翔吾「ほーん」
早苗「なんでもはないちもんめみたいに割りとあちこちである歌みたいなんだ。ショーゴくんは知っていたかい?」
翔吾「知らねえな」
早苗「そうか。知らないのか。君は若いなあ!」
翔吾「同い年だろうが」
早苗「そうだね。同い年だね。しかし若い。若すぎる。ちょっと君は今夜月を見て趣を感じながら願い事をそらんじてみたらいいんじゃないか? そうだな。それがいい」
翔吾「そらんじるの使い方間違ってねえか? あと話が急だな」
早苗「誤用かどうかは僕が決めるので気にしなくいでくれ。そして急でもなんでもない。国語の先生に話を聞いたときからそう思っていたんだ」
翔吾「俺は聞いてねえしお前の思惑は今知ったばっかだっての」
早苗「まあ、まあ、まあ。いいじゃないか。とにかく今夜月に願掛けをしようじゃないか。きっと君の事だから自分で叶えるというかもしれないけれど、風流なことというのはいつやっても良いものだからな。やってみようじゃないか!」