早苗「お月さんなんぼ 十三、九つ」
翔吾「なんだそれ」
早苗「そういう歌だよ。国語の先生から教わった」
翔吾「ほーん」
早苗「なんでもはないちもんめみたいに割りとあちこちである歌みたいなんだ。ショーゴくんは知っていたかい?」
翔吾「知らねえな」
早苗「そうか。知らないのか。君は若いなあ!」
翔吾「同い年だろうが」
早苗「そうだね。同い年だね。しかし若い。若すぎる。ちょっと君は今夜月を見て趣を感じながら願い事をそらんじてみたらいいんじゃないか? そうだな。それがいい」
翔吾「そらんじるの使い方間違ってねえか? あと話が急だな」
早苗「誤用かどうかは僕が決めるので気にしなくいでくれ。そして急でもなんでもない。国語の先生に話を聞いたときからそう思っていたんだ」
翔吾「俺は聞いてねえしお前の思惑は今知ったばっかだっての」
早苗「まあ、まあ、まあ。いいじゃないか。とにかく今夜月に願掛けをしようじゃないか。きっと君の事だから自分で叶えるというかもしれないけれど、風流なことというのはいつやっても良いものだからな。やってみようじゃないか!」
「見てほしいものがある」
そう言われて放課後、宮川翔吾は高宮早苗の家に訪れていた。早苗は翔吾を自室に案内するとゴソゴソと部屋の隅に置いてあった段ボール箱を開けて何かを探し出した。
「これだよこれ。見てくれよ」
そう言って差し出されたのは、十数冊のノートだ。よく中学生や高校生が使っていそうな、なんの変哲もない大学ノート。翔吾はその分厚い束の一番上のノートをとってペラペラとめくった。日付と曜日の下に文字が羅列されている。どうやら日記のようらしい。
日記の内容は主に、今日あった出来事だった。ただ、たまに「つまらない」とか「おもしろくない」と書かれている日が目に入る。後半に至っては、そういった内容のものが増えた。進めば進むほどただただ不安を書き連ねた日記帳になっている。
『自分は、ここを卒業して、うまくやっていけるだろうか。友人はできるだろうか。もう熱で学校を休むことは無くなるのだろうか。叶うのであれば、高校はおもしろくてたくさん笑えていい思い出になるものであって欲しい』
最後はそう締めくくられていた。普段の明るい早苗を見ている翔吾からしたら、それは本当に弱っている文章のように見えた。翔吾はノートから顔を上げて早苗の方へ目を向ける。
「これは僕が中学卒業まで綴っていたやつだ」
とつ、とつ、と、早苗は静かに笑いながら話し出した。なんでも、中学入学から卒業までの三年間、ほぼ毎日認めた日記らしい。この前部屋の掃除をしていたら見つけたようで、つい懐かしくなったから見せたくなったのだという。
「でも、笑っちゃうだろ? 僕は中学を卒業するまでこんなにも不安を抱えていたんだな」
不意に、早苗の表情が、苦笑いになった。翔吾はもう一度ノートに目を落とす。よく見ると、涙が落ちて乾いたのかもしれない、まるいしみのようなものがあった。そこだけ紙の質が微妙に変わっている。
「で、これを俺に見せてどうしたいんだよ?」
翔吾は首を捻りながら早苗に聞いた。こんな、今の自分のイメージとは異なる弱みとも取れるものを見せるのだ。何かしたいことがあったから見せているとしか思えない。
「手紙を書きたいんだ。昔の自分に。君の考えはすべて杞憂だ。安心して行くといい、とね。それで君にも一言書いて欲しいんだよ」
早苗はトントン、と、最後の日記の横にある空白をたたいた。ここに二人で書こうじゃないか。そう言っている早苗の声は、優しい声だった。
翔吾「なにやってんだ」
早苗「厨二病ごっこ」
翔吾「わずらってんな。で、そのポーズは?」
早苗「逃れられない呪縛」
翔吾「実は本当にわずらってるだろお前」
早苗「僕は運命から逃れられない呪いに縛られ拘束されている」
翔吾「似たような意味の言葉を羅列するんじゃねえよ」
──────
お題を見た瞬間にこれしか思い浮かばなかったの……。
ショーゴくんは最近、嫌な夢を見たことはあるかい?
そうか、ないのか。羨ましいな。僕は昨日……と、いっても今日か。嫌な夢を見てしまったんだ。
いや、なに。実につまらなくてくだらない、嫌な夢だよ。君がいなくなってしまう感じの……。
──いや、違う。もし、君と出会わなかっただろう世界の、続きのような夢だよ。
夢の中での僕は高校一年生で、でも制服は今着ているものとは違くて、友人は中学時代の人と今野同級生が混ざり合ってて、それで遅刻しそうだった。いつもなら君が迎えにきてくれるから、遅刻なんてするはずがないのに、夢の世界は君がいないから遅刻して「なんで起こしてくれなかったんだろう。でも誰に起こして貰いたかったんだっけ?」と、思いながら坂道をのぼるんだ。
その後は、授業でも昼休憩でも友達と話して、誰か隣にいたはずなのに、誰かがいない気がする。おかしいと思いながら、過ごしてるんだ。そんな、君がいない夢だった。君のことが全く思い出せない夢だった。目が覚めてほっとした。
なあ、ショーゴくん。今日……いや、明日の夢には僕に会いにきてくれるかい? ちゃんと僕と出会って、話をしてくれるかい?
……そうか。なら、昨日? の夢にさよならして、明日? と、安心して出会えるかな。
早苗「喉かわいた~。何かないかい?」
翔吾「ただの透明な水ならある」
早苗「ただの透明な水。緑か茶色にならないかな?」
翔吾「ならない」
早苗「ならないのか」