「そこで!私は見た!彼氏と!浮気相手が!すっごいいい雰囲気で抱き合ってるとこッッッ!!!」
彼女はダンッと勢いよくジョッキを叩きつけると、お兄さんおかわり!!と店員に威勢よく声かけした。
「でね、とりあえず彼氏と浮気相手と話しましょ〜ってファミレス行ってさ、話聞いたのさ。私が仕事で残業してる中さ、なにしてるの?って。最近割り勘にこだわるしお店も安さ重視だったのは浮気してたから?って」
彼女は一息つくためか、ぐい、とジョッキを煽る。顔はだいぶ赤い。相当腹の中に色々な感情がごちゃ混ぜになって溜まっているらしい。ああだこうだと熱弁する彼女に、ビールを舐めながらうんうんと相槌を打つ。
「フリーターだと思ってた彼氏は会社員で!彼女はその婚約者で!私が!!浮気相手でした!!ドヤ顔被害者ヅラでお店入ったのにとんだ赤っ恥だよ!!」
「つまり結婚を直前にした男のつまみ食いに引っかかった上に何も悪くない相手の女性を浮気相手呼ばわりしてしまったと」
「おっしゃるとおりでございますッッ!!!」
彼女はあぁ〜…とカエルが鳴くようなダミ声を出す。彼氏のことはともかく、相手の女性を責めてしまったことをだいぶ後悔しているようだった。
「いま君がここにいるってことは許してもらえたんでしょ?婚約してるって知らなかったんだし」
「彼を地獄に落とすって言ってた。通話履歴もメッセージも画像も全部渡した。もー未練はない」
あっという間に空っぽになったジョッキを掲げながら、日本酒4合瓶!と注文を入れる彼女に合わせて、こっちもグレープフルーツサワーを注文した。最初に注文したビールはぬるくなっていて、お世辞にも美味くなかった。
「婚約者に証拠提供して感謝もされて、元彼に未練がないならいいんじゃない」
「それでめでたしめでたしなら不倫ドラマはバズらないのよぉ……」
最初の勢いはどこに行ったのか、ぐすぐす、と泣き言をこぼし始めた。
「お仕事頑張ってさ、彼氏の予定に合わせてさ、次会うときどこ行こうかなとか考えていた矢先にこれ!どう決着つけろっていうの!!」
「お酒を飲めばいいんじゃない?」
くいくいとお猪口をあおる彼女に対し、適当に言葉を返す。横に並んで日本酒をついでやると泣き顔がニコニコ顔になっていやーどうもどうも、と言ってきた。
「なんで私は選ばれないのかなあ……。こんなんばっか」
「隙があるからじゃない?今みたいに」
最初は向かい合って座ってたのに、今は隣り合ってるの、気づいてる?
え?と彼女が返した瞬間、彼女は持っていたお猪口を落とした。
「ああ、もったいない。そろそろお開きしようか」
自分の注文したグレープフルーツサワーと日本酒の残りをぐいと飲み切る。日本酒はほぼ彼女が飲んでいたようだ。
「続きは、別のところで聞こうか」
いろいろと、ね。
彼女はこっちの言葉を理解しているのかわからない、満面の笑みを向けてくれた。
【ふたり】
例えば、音を全て吸い込む森林の真ん中で
例えば、月光で変わる波の音が響く砂浜で
例えば、足元がぐらぐら沸いている火口で
君といられる時は、そんな風景が見えていて。
「ねえ、なにぼーっとしてるの?」
「今日は海の中」
なにそれ、と彼女はくすくす笑う。
ごぽり、と音を立てて空気を吐き出す。実際は陸の上だからこの大きな泡も彼女には見えていない。
「いつもぼーっとしてるけど、なにを考えているの?」
「……世界旅行」
行ったことがないけれど、空想の世界なら何度でも飛んだ。彼女と一緒なら、世界は色付き風景が出来上がっていくから。
「よくわからないねえ」
「僕だけわかっていればいいよ」
この世界も、この風景も、君への気持ちも。
「君が僕から離れなければ、どうでもいい」
この世界はとても居心地がいいから。
【心の中の風景は】
「あっっづい!!!」
「猛暑日に 反比例する 草と腰」
「雑草は伸びるけど腰は草刈りのために曲がるってか!やかましいわ!!!」
せっかく詠んだ句も彼女の前では凡庸らしい。それでも解説はしてくれるのは優しい。
「草を放って びっしり生えて バッタとトカゲが 大発生」
「都々逸でお茶濁そうとすんな!!」
あー、と彼女は声を上げて腰を伸ばす。暑いのに長袖長ズボンを着ている姿は尚更暑そうだ。
「あつい!!!」
気合を込めて叫ぶ彼女が、とても可愛く感じた。
「終わったらアイス食べよう。ポッキンアイス」
「チューペットでしょ」
「パピコもあるよ」
「似てるけど別物。パピコにしよう」
汗をぐいと拭うと、また目の前の草を刈る作業に戻る。
草から夏を濃縮した匂いがした。
【夏草】
「どーこだ」
目を抑えられながら彼に問われた。
「それをいうなら、『だーれだ』では……?」
おそるおそる聞くと、彼が深いため息をついてきた。お気に召す回答ではなかったらしい。
「どこって聞いてるんだから答えろよ、ガキかよ」
「ここはあなたの部屋です、なぜ私は罵倒されているんでしょうか……」
ぱっと離した手の持ち主はつまらなさそうに目を細めていた。
「もっと面白いこと言えよ、期待してたのに」
「それを世間一般では無茶振りというんですよ」
彼の無理難題は今に始まったことではない。なぜか彼は私に面白いこと、楽しいことを要求してくる。
「とりあえず歴史書読みます?面白いですよ」
「……お前やっぱり面白いよな」
ニヤニヤしながら顔を近づけてくる彼に歴史書を押し付ける。勝手に楽しむなら好きにしろと思うが、おもちゃにされるのはごめんだ。
「なあ、お前どこにいるんだ?」
「はいはい、あなたの部屋ですよ。ここにきちんとありますよ」
皮肉屋で、寂しがりで、いじっぱりなあなたの部屋にありますよ。
少年はその言葉を聞いて、自動人形に離れるなよ、と話しかけた。
【ここにある】
これまでにそういう雰囲気になることは何度かあった。それでもなにもならないということは、つまりそういうことで。
そういうことであった、はずだった。
「どうして、今日に限って、あなたは。」
恨めしそうにこちらを見つめる彼の目は、普段と違う色を秘めていた。
ふーっと吐き出す息は熱量を持っている。思わず口元が歪に弧を描くと、彼は全てを察したように手で目を覆った。
あと、少し。
「今日に限って、じゃないよ。」
そっと顔に手を添えると、びくりを体を揺らした。怯えるような、恐るような態度に、愛おしさが溢れてくる。
「ねえ、顔を見せて?」
そっと手を重ね、頬擦りをする。一気に踏み込んだら、また逃げ出してしまうから。
だから、待つ。あなたが踏み出す、その一歩を。
お願い、だから、踏み出して、
【もう一歩だけ、】