月園キサ

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5/23/2024, 2:19:39 PM

#澄浪さんの好きなひと (BL)

Side:Ichiru Suminami



先月、ダンスと演技の知見を広めるために初めてストリップショーに出演した。

普段出ているダンスショーと違って演じる側も見る側も何となくハードルが高くて、敷居が高そうに思われがちなこの世界だけれど…一度足を踏み入れてみるとただセクシーに脱いで見るだけじゃない、奥の深い世界だった。

あれから1ヶ月経っても忘れられない光景が、あのステージにはあった。


今日は俺の友人の恭士が経営しているバーで、そのショーを企画してくれたとあるクラブのオーナー・ヒロカさんと飲んでいる。


「ミナミく〜ん、今度うちのクラブでメンズストリップやるんだけど出ない〜?」

「いえ…私にはやっぱり今までのダンスショーが合っているみたいなので」

「あらぁそれは残念〜!もしかして、お客さんと何かあったとか?それともメンバーと?」

「…いえ、そういうわけではないんです。ただ…私には向いていなかったなと思っただけで」


…違う。あのショーに出たことで苦い思い出ができたとか、そういうわけじゃない。

ただ…あの日の観客の中にいた、今まで接してきたお客とは全く違うタイプの男性のことが忘れられないだけだ。

その人とはバーの隅でぐったりとしているのを助けて少し話をしただけで、名前は知らない。
でも、このディープな世界とは無縁そうな彼の純情なリアクションのひとつひとつが可愛らしくて、放っておけなかった。

一緒に来ていた別の男性からのせられるままにチップを口に咥えた時なんて、なんて素直な人なんだろうと微笑ましくなった。

…あ。俺がチップを受け取った直後に気絶しちゃっていたけど…あの後ちゃんと帰れたのかな。

…どうしよう、気になる…。


「ふ〜ん…?ミナミくん、やっぱり何かあったんでしょ!恋する乙女みたいな顔してる!」

「えっ?い、いえ…本当に何でもないです」

「もおおお隠さなくていいってば!教えてよ、どんな人?」

「…一言で言うなら…このような世界とは無縁そうな、ピュアな人です」

「きゃぁーーーー!ミナミくんにも恋の季節が来たのねぇ〜!!」

「それが…私にもよく分からないんです」

「じゃあ、会ってみたら?恋ならビビッと来るかも!」

「…名前も知らないんです。ただ…気になってしまって、忘れられなくて」

「えぇっ、それってつまり一目惚れってこと〜!?」


恋バナが大好きなヒロカさんがそろそろ暴走しそうなので、これ以上彼女に話すのはやめておくことにした。

でも…もしこれが本当に恋なのならば、一目惚れなのかもしれない。

熱狂的なファンに囲まれ慣れているせいなのか、それとも世間一般的に言われている恋と呼べるような恋をしたことがないせいなのか、観客の中で孤立している彼に何故か強く惹かれている自分がいた。

だからこそ…これが俺の勘違いではなく、本当に恋なのかどうか知りたい。
こんなにも彼のことを考えてしまう理由が知りたい。

でも…名前を知らない彼に、どうやって会えば…。


「あの…こ、こんばんは…」

「おぉ〜っ!外園さんおひさっす〜!」

「やぁ!いらっしゃい外園君」

「あ…篤月くん、名渚さん、お久しぶりです…」


…と思っていたら、思いもよらない奇跡が起きた。
覚えている。俺はこの声を、はっきりと覚えている。

あの日俺がテーブル席で話した彼は、外園さんというらしい。
まさか彼が弟とも恭士とも知り合いだったなんて…。


外園さんがどこか遠慮がちに俺の隣のカウンター席に座ってきたことで、もう一度お近付きになるチャンスが巡ってきた。


「…!」

「あれ?えっ、待って、もしかして…この子がミナミくんの言ってた、名前を知らない彼?」

「…シッ、ヒロカさん…声が大きいです」

「如何にも遊び慣れてなさそうな感じがするけど、可愛い子ね?うふふ…」


…どうしよう、話しかけてみようか。
でも、この完全オフな見た目の俺で話しかけたところで、ステージ衣装を着た俺しか知らない外園さんは「誰?」と思うに違いない。

すると、俺の迷いを察知したらしい恭士がさりげなく助け船を出してくれた。


「あ、外園君に紹介してなかったね。君の隣にいる彼は僕の友達の澄浪伊智瑠。ミナミって名前でダンスショーに出てるんだ」

「…え、えっ!?あの…澄浪さんってあの時のミナミさん、なんですか?」

「はい…ミナミは私のダンサーとしての名前で、本名は伊智瑠といいます。まさか弟の篤月とも知り合いだったとは思いませんでした」

「えっと、えっと…僕は外園摩智…です。あの時は本当にありがとうございました…」


よかった…何とか自己紹介できた。恭士、ナイスアシスト。

さて、次は俺が本当に恋をしているのかどうかを確かめよう。
もしこれが勘違いだったのなら…その時はその時だ。


「…いえ。あんなにぐったりしている人を放ってはおけませんから、助けることができてよかったです」

「あ、あの…ごめんなさい…。えっと…ストリップショーを見たのはあの日が初めてで、僕には…その、刺激が強かったみたいで…」

「あの日はこちらのヒロカさんからのお誘いがあって出たんですよ。いつもの私は脱がないんです」

「そうそうっ、ワタシがミナミくんにストリップやってみないかって誘ったの♡」

「ええっ…!?そ、そうなんですか…?」


…可愛い。外園さんは、やっぱり可愛い人だ。
素直で、ピュアで、控えめで…一緒にいて心地がいい。

ふと篤月と恭士のほうを見ると、何を思ったのか2人とも俺のほうを見てニヤニヤしている。
全くもう…。さては後で俺をとことんイジる気だね?


俺は2人に向かって呆れ顔で肩をすくめて見せてから、外園さんのほうへ向き直った。


「あの…外園さん。もし良かったら、連絡先の交換しませんか?こうしてまたお話できたのも何かの縁ですし」

「んえっ!?ぼ、僕なんかで…いいん、ですか?僕…あんまり面白い話とか、できませんが…」

「ふふっ…えぇ、もちろんです」


今まで感じたことのない、この胸の高鳴り。
初めて知るあたたかさが、体の内側からゆっくりと広がっていく。

皆に好かれ愛されることこそが自分の存在意義だと思い続けて、いつも受け身で想われる側だったあの頃の俺には分からなかった感情だ。

…多分俺は、初めて想う側になったんだと思う。

この感情からは逃れられない。いや…逃れたくない。
初めて知ったこの感覚に身を任せてみたい。


そんな俺が外園さんの衝撃的な秘密を知ってしまうのは、これより少し先の話になる。




【お題:逃れられない】


◾︎今回のおはなしに出てきた人◾︎
・外園 摩智 (ほかぞの まち) 攻め 25歳 リーマン ノンケで童貞

・ミナミ/澄浪 伊智瑠 (すみなみ いちる) 受け 31歳 ショーバーのパフォーマー ゲイのネコ


・澄浪 篤月 (すみなみ あつき) 21歳 伊智瑠の弟 恭士の経営しているバーのウェイター バイのタチ

・名渚 恭士 (ななぎ きょうじ) 31歳 伊智瑠の友人 バー "Another Garden" のオーナー バイのバリタチ

・世古 諒 (せこ りょう) 21歳 篤月の彼氏 大学生 元ノンケ


・ヒロカ 伊智瑠が出演したストリップショーの企画者

5/22/2024, 1:57:31 PM

#柚原くんの一目惚れ (BL)

Side:Shu Yuzuhara



"柚原、また明日な"


最近、俺は放課後になると市ノ瀬からのこの言葉を楽しみにしているようなところがある。

それが何故かっていうと、市ノ瀬が明日も俺と一緒にいてくれるのか〜って思ったらそれだけでテンションが爆上がりするから。

でも今日はそれがない代わりに、市ノ瀬の家で一緒に課題をやることになった。


「市ノ瀬〜…俺もう疲れた!!」

「え〜、まだ20分しか経ってないじゃん」

「ちょっとだけゲームやっていい?ちょっとだけ!」

「あーあ、柚原が頑張って課題終わらせられたらちょっとしたご褒美あげようと思ってたのに〜」

「…へっ?ごほーびって何?」

「終わったら教える」

「えぇ〜!そんなのありかよ〜!」


ピアスバッチバチに開けてて髪にメッシュ入れてていつも黒いマスクしてるくせに、市ノ瀬は全然ヤンキーじゃないしむしろ俺よりずっと成績がいい。

俺は課題のプリントと戦っているフリをしながら、黒縁の眼鏡をかけて淡々と課題を片付けている市ノ瀬をチラッと見た。

…市ノ瀬がマスクの代わりに眼鏡かけてんのって、珍し〜…。


「…柚原ぁ、な〜に見てんの?」

「な、何にも見てねーし!」


思わずじっと見つめちまっていたようで、ふと顔を上げた市ノ瀬とバッチリ目が合ってしまった。

…くっそ〜…マジでこいつ、ムカつくほどの塩顔イケメン。

不自然に目を逸らしちまったが気にしない。
俺が見ているのは、課題のプリント。市ノ瀬じゃなくて、プリント!



──────────



「終わっだぁぁぁぁ…」

「お疲れ〜。頑張ったじゃん、えらいえらい」

「ほぼお前に教えられて、だけどな?」

「細かいことは気にしない気にしな〜い。そんじゃ、約束のご褒美ってことで」

「おぉ〜っ!ご褒美キターー!!」


市ノ瀬からの…ご褒美っ!!
俺にいったい何をくれるんだ!?

俺はカッと目を見開いて体をウズウズさせた。


「はい、じゃあまずは目を閉じてくださ〜い」

「へっ?お、おう!こうか?」

「そうそう、じゃあそのまま10秒キープ。10、9…」


俺の近くに市ノ瀬の気配を感じる。
市ノ瀬の両手が俺の肩に触れるのが分かる。
市ノ瀬の呼吸がほんの少し速くなったのを感じる。

…まさか、これって…!!


「3、2、1…」

「い、市ノ瀬…?」


市ノ瀬のカウントが0になった瞬間、突然俺の両耳が市ノ瀬の両手によって塞がれた。


「…も…ない」

「…!?」


市ノ瀬が何かを呟いたのがわずかに聴こえた後、あたたかいものが俺の左頬に触れてすぐ離れた。

多分…いや、間違いなくこれは…。


「…はい、ご褒美タイム終了〜」

「い、いいいい市ノ瀬ええええ…!!今…!今…き、キス…したのか!!?」

「ん〜…?何のことやら?」

「それとお前…何か言ってたよな?何て言ってたんだよ?」

「…まぁ、そのうち分かるんじゃない?」

「おいいい何だよそれ〜!!」


俺が頬に感じたのは、確かに市ノ瀬の吐息だった。
市ノ瀬は確かに俺にキスをした。

そしてよく見ると、市ノ瀬の耳が少し赤くなっているような…?
そうかそうか、普段あんなに何があっても余裕そうな市ノ瀬でもさすがに恥ずかしかったんだな!


「柚原」

「ん〜?」

「…また明日な」

「あ!そーやって強制的に会話終わらせようとしてるだろ!!」

「じゃなくて。ほら、時刻」

「うわやっべ、母ちゃんから鬼LINE来てる!早く帰んねーと!!」

「ん。だから…また明日な」

「お、おうっ!また明日な!!」


何だか、今日の市ノ瀬の "また明日な" はどこか少し寂しそうな感じがした。

…俺の気のせいか?




【お題:また明日】


◾︎今回のおはなしに出てきた人◾︎
・柚原 愁 (ゆずはら しゅう) (受けみたいな)攻め 高1
・市ノ瀬 瑠貴 (いちのせ るき) (攻めみたいな)受け 高1

(↑その日のお題で書けそうなキャラの組み合わせで書いてるせいで話が飛び飛びになりすぎてるので、過去作にも追記済みです)

5/21/2024, 1:38:00 PM

#ある殺し屋さんの苦悩 (BL)

Side:Koichi Sugo



開店前に徹底的に磨き上げたグラスに、仕込んでおいた丸い氷を落とし、ウイスキーを注ぐ。

それを差し出すと、早速とばかりに何やら怪しい薬を仕込もうとする輩が1人。
暗殺でも企てているのだろうか。それとも自白か。はたまた…。

…しかしこれは、アンダーグラウンドな世界に生きる者たちが束の間の癒しを求めて訪れるこの店ではあってはならないこと。
お客に癒されてもらうためには、こういった企みを阻止しなくては。


「お客様」

「ひょえっ!!ま、マスター…!頼むよ、どうしてもヤツに取引先を吐かせるのに必要なんだ…!!」

「…」

「お、おいマスター!!頼むからアイスピック持ったままこっち向くのやめてくれーー!!」


ただ物腰が柔らかくても、彼らを制圧できる戦闘力が備わっていなければこの店のマスターは務まらない。
後で少し掃除をする手間はかかってしまうが、店の治安を守るためなら致し方ない。


…そうこうしているうちに、別の意味で店の治安を悪くするお客がやってきた。


「…そこにいることは分かっているんですよ、姫川さん」

「Oh~!さっきからいたけど一言も喋ってなかった藤佳さんの気配を察知するなんて、さっすが功一さん♡」


…姫川藤佳。
対暗殺者専門の秘密組織に属する傭兵である私がかつて殺し合ったことがある、凄腕の殺し屋。

この透明感のある美貌に騙された者は数知れずの、油断ならない男だが…最近になって、あんなに私を本気で殺しにかかってきていた彼の態度が何故かがらりと変わった。


「…何が目的だ」

「やっぱり功一さんの殺気立った目はかっこいいねぇ〜?ふふっ…敬語外れちゃうとこもゾクゾクしちゃう」

「…」

「もぉ〜っ、何で黙っちゃうの?ほら、藤佳さん今武器な〜んにも持ってないでしょ??」

「…素手も武器になるあなたが何を言っているんですか」

「ホントに殺すつもりないってば〜っ!ねぇ、信じて?」


彼と何度も殺し合った私が今更騙されはしない。
その飄々とした表情の裏に、殺意を隠し持っているはずだ。

…とは思ったものの、もし彼が私を本気で殺す気ならばここで無駄話を挟んだりはしないだろう。

私は姫川さんの胸に向けて突きつけたアイスピックをゆっくりと降ろした。


「ねぇ…功一さん」

「…はい」

「勘違いしないでね?俺…藤佳さんは功一さんに惚れたわけじゃないから。絶っっ対に」

「いきなり何の話ですか」

「とにかくっ!殺ろうと思えば殺れるんだからね!今は殺らないだけ!」

「…」


この人の考えていることは未だによく分からない。
殺し合いをしに来たのかと思いきや何もしてこなかったり、何もしてこないかと思えば謎の宣戦布告をしてきたり。

私が唯一彼につけられたのは、彼の白い背中に残る小さな切り傷だけ。

…そんな私たちの関係は、これから先も決して透明にはならない。
だが…何故この男は今、私を殺そうとしないのだろうか。

私はその理由が知りたくてたまらない。


「…その理由は教えてはくれないんですね」

「へっ!?な…何何?功一さん今日おしゃべりだね??」

「あんなに私を殺しにしかかってきていたあなたが、何故今は私を殺そうとしないのか…その理由を知りたいだけです」

「!!?」


バーカウンターから離れて壁際へとゆっくりと近づいていくと、余裕綽々とした態度だった姫川さんの顔がみるみる赤くなっていく。

彼のこんな表情は、今まで見たことがない。
理由を言いたがらない理由は何だ?


「あ、あの〜、功一さん!?こ、こんなところでそんな…他のお客さんもいるしっ!」

「…あなたが早く理由を教えてくれればいいだけですよ」

「ちょっと、功一さ…────── わああっ!!」

「…!」


ああもう…いつも私を振り回して、なんて危なっかしい人なんだ。

背後の本棚に激突しそうな姫川さんの背中を、私は間一髪のところでキャッチした。
…キャッチは、できたのだが…。


「…」

「おぉ〜っ!?殺し屋界の姫に壁ドンなんて、マスター大胆っすねぇ〜!!」

「ちょ、シーーッ!!もうっ、功一さんをからかわないの!みんな散った散ったぁ!!」

「ちぇーーーっ」


…やってしまった。
事故とはいえ、よりによって他にお客がいる前で。


「こ、功一しゃん…」

「…何です?理由を教えてくれる気になりましたか?」

「…」

「…姫川さん?」

「…過去イチ距離近い…しゅきいいいぃ…♡」

「…は…?」


…ダメだ。これでは話にならない。

とりあえず店の中での殺し合いは避けられたので、私は引っつこうとする姫川さんを何とか引き剥がしてソファーに座らせた。


私たちの関係はグラスの中の氷ほど透明でも澄んでもいないが、少なくとも…血の色に染まることはしばらくはなさそうだ。




【お題:透明】


◾︎今回のおはなしに出てきた人◾︎
・菅生 功一 (すごう こういち) 攻め 37歳 傭兵(兼バーのマスター)
・姫川 藤佳 (ひめかわ とうか) 受け 26歳(※真偽不明) 殺し屋

5/20/2024, 12:18:08 PM

·̩͙꒰ঌ ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ ໒꒱·̩

5/18/2024, 1:10:26 PM

#大人しい2人がまったり恋してみる話 (BL)

Side:Tenri Fukaya



小説家として恋物語を綴ってきて早数十年。
30歳になったこの年に、僕は初めての恋を知った。

期待の新星…だなんてもてはやされながらデビューした高校生の頃の僕が恋にうつつを抜かしている今の僕を見たら、きっと卒倒することだろう。


「…そうか、今日は野藤さんが来ない日か…」


最近利用を始めた家事代行サービスで週3日契約で僕の家に来てくれている、野藤玲於さん。
僕より9歳年下の21歳で、見た目はちょっと威圧感があるけどとても親切な家政夫さんだ。

だがしかし今日は土曜日。
契約をしているのは月水金の3日間なので、せっかくの休日でも土日は2日連続でこの家に僕ひとりだけの状態になる、というわけだ。


「…はぁ…」


パソコンとにらめっこしているうちに猫背になった姿勢を正して、僕はベランダに干した洗濯物を取り込みに行った。

この広い家に僕ひとりだけで暮らし始めて随分経つのに、野藤さんが来てくれるようになってから自分1人だけの時間が味気なくて、少し…寂しい。


「…いったいどうしちゃったんだ、僕は…」


もし9歳年上の依頼主から想われているなんて知ったら、野藤さんはきっと僕を気持ち悪いと思うはずだ。
…この歳になっても恋愛経験値が低すぎて、恋を自覚した後でも怖気付いてしまう。

そうだ。こんな時こそ、気分転換をしよう。
この憂鬱な気分のままでは、いい小説は書けない。


「さて…どこへ出かけようか」




──────────────




数分脳内会議した結果、電車で少し揺られていった先にあるショッピングモールに遊びに行くことにした。

よくあるシナリオなら、この電車の中か電車を降りた先でばったり想い人に会う…なんてことがありそうだが、現実でそんなラッキーなイベントが簡単に起こるわけがない。


「…あっ…」

「おいオッサン、どこ見てんだよ」

「…すみません…」

「あ??聞こえねぇんだよ」


…その代わり、電車を降りようとした時に運悪くヤバそうな人にぶつかってしまい、自分史上最悪のアンラッキーなイベントが発生した。

僕は慌てて鞄の中からスマホを取りだして筆談しようとしたのだが、警察に通報するのだと勘違いされてそれを奪われてしまった。


「かえ…て…さい…!」


無理やり大声を出そうとしたことによる喉の激しい痛みに耐えながら、僕は必死にスマホを返してくれるよう訴えかけた。
そんな僕を嘲笑う男と、そんな僕ら2人を面白おかしそうに見ながら通り過ぎていく人々。

…ああ…最悪だ…。


「…ぐっ!?だ、誰だお前!!」

「…いい歳した大人が見知らぬ人のスマホを奪って、何してるんですか」

「てめぇ、何すん…いだだだだだっ!こいつ…力つえぇ…!!」


僕が力なく項垂れたその時、ものすごく聞き覚えのある声が僕の頭上から降ってきた。
その声とその気配で、僕の心臓の鼓動が急に速くなるのを感じる。

おそるおそる顔を上げると、僕のスマホを奪った男の手首を野藤さんが後ろからがっちりと掴んでいた。

…この四面楚歌な状況で、遅れてやってきたヒーローの登場だ。


「…こんなに人目のつく場で喧嘩をふっかけるつもりですか?」

「いだだだあああっ!分かった!分かったよ!スマホは返すから手ぇ離してくれええ…!!」

「…え、野藤さん…?」


僕に絡んできたヤバそうな人は野藤さんの力の強さと190cm級の長身の迫力にすっかり気圧されて、僕にスマホを返すとすぐに人混みの中へ逃げていった。

へなへなと座り込みそうな僕を、野藤さんの逞しい手がしっかりと支えてくれた。


「大丈夫ですか、深屋さん…怪我はないですか?」

"いえ…大丈夫です、助けていただいてありがとうございます"

「…はぁ。俺がもっと早くに深屋さんが同じ電車に乗っていたことに気づけていたら、もっと早く助けられたんですが…」

"あの人にぶつかってしまった僕が悪いんです、野藤さんは悪くないです"


重いため息をつく野藤さんを見て、僕はぶんぶんと首を横に振った。
こんな貧弱な三十路男をあんなにスマートに助けてくれただけで、野藤さんは僕にとってスーパーヒーローだから。


「ところで…今日はこれからお出かけですか?」

"あ、はい…滅多に家の外に出ないので、たまにはショッピングモールに遊びに行こうかなと"


…土日は野藤さんに会えないのが寂しくて気分転換しに来たなんて、言えない…!

だから僕は少しだけ、ほんの少しだけ嘘をついた。


「…ついて行っても、いいですか」

「…!?」


…え?今…なんて?

ダメだ…ここで勘違いしてはダメだ。
ここで勘違いをしていいのは…ハッピーエンドが約束されている恋物語の中でだけだ。

でも…。


"三十路男の暇つぶし程度のお出かけですけど、それでも良ければ…"

「ありがとうございます。それじゃあ…行きましょうか」


歩くスピードなんて僕よりずっと速いのに、僕の歩幅に合わせてゆっくりと歩いてくれる野藤さん…好きだ…っ!

…ダメだ、中学生レベルのトキメキでももうおなかいっぱいに…。


結局…野藤さんと2人でショッピングモールを巡っている間、僕は年甲斐もなくときめいてしまう自分自身を必死に抑えつけ続けていた。




【お題:恋物語】


◾︎今回のおはなしに出てきた人◾︎
・野藤 玲於 (のとう れお) 攻め 21歳 家政夫
・深屋 天璃 (ふかや てんり) 受け 30歳 恋愛小説家(PN:天宮シン)

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