「永遠なんてない」
が口癖の男の子がいた。僕はその子とよく遊んでた。その子は丸メガネがよく似合ってたけど、いつもズボンの裾が長めだった。
その子は本が好きだった。僕とその子が公園で遊ぶときは、その子が本を読んで、その横で僕がぼうつとみている。そして読み終わったらその子が感想や解釈を垂らすので、それに僕が反応するのだ。もちろん毎回やってるわけじゃななくて普通に喋っているだけの日だってあるが、決まってその子は何かしらの本を持ってくる。
その子はいろんな本を読んでいたが、とくだん「よだかの星」は好きだそうで、何度も読んでるのをみていた。
いろんな本には、いろんな終わり方やテーマがある。永遠なんてのは結構メジャーで、読み終わったその子がちょっと腑に落ちなさそうな顔をしていると「あ、終わり方が気に入らなかったんだな」と思う。
何故その子が永遠を嫌うか、聞いてみたことがある。聞くとその子は少し眉をきゅっとしてから「だって、永遠なんてないじゃない」といった。
「永遠って、不変を意味するんだよ。時間は有限だけど、永遠は無限。時間という概念の対極にある存在。そんなものが本当にあるなんてとても思えない。」
続けてその子は
「僕、何も変わらないものなんてないと思う。世界は変化して生きているから。何千何億年間あるものでも、存在しているだけで変化してないわけじゃない。あの星だって、朽ちる。」
そう言ってから少し寂しそうにした。
それ以上は聞かずに帰った。もう夕方も過ぎそうだったし、風も強くてひんやりしてた。そしてなにより、その子の鼻が赤かったから。
中学校を卒業するような歳になって、その子の病気が発覚した。その子はだんだん痩せ細った。薬を飲んで、水を飲んで、活字を追った。
どんなに治療が辛くても、その子は本を読んでいた。僕が見舞いにいっても、その子は手から本を下さなかった。
その子がいない卒業式、その子がいない入学式、その子がいない公園。学校では、その子の影を必死で伝うように本を読んだ。その子が好きだと言った本を、その子が読み終わって不服そうにした本を。
僕がこの本を読んだというと、その子は嬉しそうに目を細めて、苦しそうにしながら咳をした。その子はもう永くなさそうだと言った。
次に見舞いに行った時、その子は寝ていた。お気に入りの「よだかの星」のページを開きながら。僕はその子に近づいて手を添えた。
「ねえ、僕。永遠なんてないと思うよ。」
「だって、こんなにも君が儚い。」
「君の言った通りだよ。」
僕は目を伏せた。
「ねえ、僕。永遠なんて嫌いだよ。」
「だって、こんなにも永遠がほしくなっちゃうから。」
「僕、君ともっと一緒にいたかったよ。」
「じゃあ、ずっと一緒にいよう。」
そう言ったのは薄く目を開けたその子だった。無愛想な口元は少し微笑んで、力無く僕の手を優しく握った。
「ずっと?」
「うん、ずっと。」
永遠が嫌いなその子らしくない、って思ったのを感じ取ったのか、その子は少し照れくさそうにして言った。
「知ってるかい?ずっとって言葉の意味は、すごく長い時間のことを指すんだ。永遠とは違って、期限がある。いつか終わりは来るけれど、それでもいい。」
「僕が死んでも、ずっと覚えておいてくれよ。僕、君の中で生きるから。ずっと、君と一緒にいるから.」
その子は力一杯に僕の手を握った。それでも全然強くないのが、どうしようもなく寂しかった。
「もう僕のお見舞いはやめておくれ。君の中の僕を死なせないで。ずっと、生きさせて。」
「や、そんな」
「いいかい、よく聞いて。君の中の僕はいつだって君のそばにいるし、君の読んでる本を僕も一緒に読むよ。君が嫌いなナスも食べるし、毎日一緒に寝るんだ。」
「そして、君の終わりがくるまで、ずっと一緒にいるよ」
そう言って彼は5回咳をして「ほら、もう夜が近いし、風も強くて肌寒い。それに君、鼻が真っ赤じゃないか。早く帰って休んでくれよ。」と僕の手を離した。
もう2度と会えない気がした。何もいえなかった。
「じゃあ、またね。」
そう言ってその子は控えめに手を振って本を握った。
「…うん。絶対、また会おう。」
君の目に映る最後の僕はきっとひどい顔をしていた。
それから何十年。その子は相変わらず丸メガネがよく似合って、ズボンの裾が長い。僕の嫌いなナスも食べてくれる。
そして本を読む。僕と一緒に。
その子はずっと15歳。僕は成人して、僕は変化した。でもその子はずっとその子。僕の中で、不変に存在する。でもそれは決して永遠じゃない。
これからもずっと、その子は僕と一緒。
期限は、僕があの星みたいに朽ちるまで。
星空の下で考える。
星とは何故こんなにも輝くのか。
暗い箱にぷすっと穴を開けたような小さな光、
小さいけれど、力強く輝く。
太陽の光をすうっと写して、幾多にひかる星。
よく晴れた日なんかは、まるで光の砂のように光る。
それがあんまりにも綺麗だから、この世に綺麗なものがあると知らされるから、自分たちはまた希望を持ってしまうのだろう。
満天の星を見て思う。
星とは人間みたいだ。
離れたところから見ると、皆んな星って括られて、そこから恒星だの惑星だの分けられる。
知ろうとしなければ、あの少し赤く光る星の名前すら知らずに星とだけ呼ばれるのだ。
人間という枠組みの中に生きる自分たちも、性別だの人種だのに分けられて、知ろうとしなければ知らずに終わる。
この地球も、遠くから見たらただの星で、自分たちも、遠くから見たらただの地球人。
ほら、貴方のことを教えて?
知ろうとしなければ、知ることのできない貴方を。
自分という現象は、数多の星のその一部です。
ひとつだけちょうだい
幼子は僕に縋るように手を伸ばす
両の手をいっぱいに広げて
だが、僕にはその子が求めているものがわからない。
だって僕は何もない。
何もない僕から、空っぽの僕から、この子は何を欲しいのだろう。
僕はその子と一緒で、両手は空いているし、
その子と一緒で衣服はボロボロ。
家だって、
お金だって、
たべものだって、
飲み物だってない。
そんな僕はその子に何をあげられるだろう。
ちょうだい
その子はまた声を出す。
助けを求めているような、か細くて拙い声
でも助けが欲しいわけじゃないって僕は知ってる。
そうだいいことを思いついた。
こらなら、僕も分けてあげられるし、僕もその子から貰える。
僕はその子と一緒に手を伸ばした
まるで背伸びをするように
小さな傷を隠すように
大切なものを抱きしめるように。
愛をひとつ、君にあげるね
街の道端で二つだけ、愛が転がった。
人間よ滅亡したまえ。
…なんてのは少々過激な思想なのかもしれない。
でも何故人間は人間を産むのか、不思議と思わずにいられない。
だって意味がわからない。人間が何をしたいのか。感情を持って生まれたか。
何故次世代に託すの?貴方達の代で終わりにすれば良かったとは思わないのか。そうすれば、次の世代の為とか言って頑張らなくて済んだ。海や森だって好きにして良い。後先考えずに鉱山を掘ったって良い。エスディーディーンズだって要らない。後世のためにって頑張らなくて良いのに。
なぜ次世代を作るの?人間が壊したこの世界に何故人間を産むの?次が当たり前にあるから、希望を宿す子供がいるから、争いが生まれるんでしょう?国の繁栄のためにと、人類の進歩の為にと、ありもしない境界線をぐちゃぐちゃにして。顔も知らない次の人類のために流した涙に何が含まれていたのだろう。
国土には赤い血が染みて、それだけが彼らの生きた証で、でも彼らが誰だったのか誰も覚えてない。彼らが次の世代に託した思いを自分たちには知る術すらない。あるのは偉人や変人が残した身勝手で便利な技術といつも間にか歪んだ昔話だけ。急速に発展して転がっていく現代の自分達を、彼らはどう見ているのだろうか。
あの時人類を終わらせていたら、煙の出る機関車も人々の希望のまま終わっただろう。病気の原因になることも、地球温暖化になることも、あの時の人々は考えもしなかったんだから。知ることもなかったんだから。
地球全体の人口は年々増加している。
きっと子供の時に感じた愛を誰かに与え、またあの時の温もりを感じたいから。
何故、人類は当たり前のように子供を産むのか…本能?ならば理性はなんのためにある?感情はなんのためにある?理性があれば、子供を産むことへの疑問を抱くだろう?感情があれば、生まれた子供のことを思って思いとどまるだろう?
自分でも少々強引なことを言っている自覚はある。でも不思議じゃないか?何故子供を産むことが当たり前だと考えて疑わないのか!
子供が何を与えるのだ!金がかかるだけじゃないのか!?愛なんて一緒に子を作った奴がくれるじゃないか!何故わざわざ子供を産んで子供に振り回され、子供の為にと血眼になって働いて、子供達のためにと何かを残して死んでいく!何故死んだ後を想う?気にかける?
自分だったらどうでも良いと心の底から思う。たとえ人間のせいで100年後に世界が滅びるとして、防ぐ為には今から対策をしなきゃいけなくなったとしても、自分の生きる時間より後に起きることならば興味はない。これを無情で非人道的な思考と考えるかもしれないが、自分はそう思って日々を過ごしている。
何故ならば、自分はこの世界を憎んでいるからだ。感情を持つ生き物でなければ、生まれてこなければ、こんな苦しみを感じずに済んだだろう。両親を憎むわけじゃない。幸せを疑うわけじゃない。ただ生まれてきたくなかった。
なぜ神様は苦しいという感謝を与えたの、悲しいという感情を与えたの…いや、幸せ、愛おしいという感情がなければ良かったのかもしれない。愛を知らずにいたら、それを分け与えることなく人間が滅ぶから。
自分達は色んな不幸と幸福に出会う。不幸しかなかったものはいるかもしれないが、幸福しか感じなかったものはいないだろう。希望に縋って夢に向かって、「私は幸せでした」と言える人間もいるだろう。しかし、それは本当一部に過ぎない。そう思わなかったものはその言葉を言う前に死んでいるからだ。では何故か、世界に絶望したからだ。大切なものが奪われていく世界に、幸せはいつかなくなると知った世界に!
大好きな景色、大好きな食べ物、大好きな場所、大好きな人。
いろんな大好きと出会って幸せを感じるだろう!しかし永遠なんてない!それらとはいつか終わりが来る!その度に幸せの倍苦痛を感じなければならないのだ!やっと大切なものに出会えたのに、それを失っていくのだ。
大切な我が子、愛おしい子、それを失った両親はなんのために子を産んだ?悲しむ為に産んだのか!?押し寄せる悲しみの渦を彷徨うならば、産まなければその悲しみに出会うこともなかった!!
結局出産というのは、親の身勝手な自己満で、「結婚したら子供が欲しい」という古臭い固定概念を持ったやつらが産んでいく。
お願いだから、これ以上不幸を産まないで、貴方が不幸になったなら貴方の子供に与えるのは不幸だけ。そうして負の連鎖は続いていく。貴方が苦しくて辛かったこの世界に、大切な我が子を産まないで、そして置いていかないで。貴方達の愛は温かいけれど、それはいずれ冷えるものなら、何も知らないままでいたかった。苦しみだけ与えられた方が良かった、失う悲しみには及ばないから。貴方の笑顔を知らなかったら、貴方の悲しい顔で、苦しまずにすんだのき。
大切なものを知る前に。
[エイプリルフール]
私は嘘つきです。本当です。
さて、これは本当だろうか。
本当に嘘つきなのだとしたら、「嘘つきです」という言葉さえも嘘なのではないだろうか。
本当に嘘つきなのだとしたら、「本当です」という言葉さえも嘘なのではないだろうか。
言葉というのは面白いもので、同じ文字を見ているのに感じ方や解釈が人により異なる。冒頭の文を読んでも、特に違和感なく読み進めた人もいるだろう。
一人一人に違う価値観があり、それぞれの歩んだ人生に沿ってその文字の意味を探る。1人の中に幾つもの考えが浮かんで、その中で自分の納得する解釈を見出す。なんて面白い。
それは言葉に限らない。
雲一つなく晴れ渡る空の絵を見て、人は何を思う。
コップに注がれたコーヒーの写真に、人は何を思う。
アップテンポで繰り返される音楽に、人は何を思う。
皺の増えた手で頭を撫でるあの人をみて、人は何を思う。
この言葉を読んで、君は何を想像したんだろうか?
人の分だけ、違う思考を辿る。
人の人生の分だけ、違う解釈が生まれる。
あの人が綴った嘘の物語だって、本当なのかもしれない。あの人があの人生を歩んでいなかったら、描くことのできなかった物語だから。
自分たちは常に人の人生の片鱗を見ているのである。
その台詞は希望なの?その場面は実体験なの?その空白に何を込めたの?その言葉に意味はあるの?
貴方の経験から生まれるその活字のうえをスキップしながらまた自分の人生が構築されていく。
構築されたそれを基に思考をする。考えて考えて考えて、それからまた心に溜まった言葉を吐くのだろう。
そして4月2日の今日というエイプリルフールに宣言しよう。
私は嘘つきです!!