hashiba

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5/19/2024, 9:17:34 AM

想定外の反応を見せたかと思えば、次の瞬間には安直な罠に引っかかる。この世の人間全てがそれぞれ異なる存在である以上、人付き合いというものは一つとして同じ筋書きにならない。その中にあってなお、彼という人間は異色だった。勝利の女神を直接相手に取って勝負するような、そんな無秩序さと高揚感が常に彼との間にある。恋人となった今でもそう。柄でもないのに記念日でもないのに喧嘩もしていないのに、突然花を買って帰ってきたこともある。しかも自分以上に買った本人がひどく照れているのだから、このときはさすがに参った。筆致が読めない、どこに着地するか予測がつかない。わかっているのはただひたすらに幸せだということだけ。


(題:恋物語)

5/18/2024, 8:52:41 AM

枕が変わると眠れない、などという繊細な感覚は最初から持ち合わせていない。旅先でも他人の家でも普通に寝るし、床で寝落ちしたときは呆れられた。それがこの歳になって、出張先のホテルで寝つけなくなるとは。何なら睡眠環境は普段より良いはずだろうに。体温が高いから夏場は暑いし、たまにのしかかられて重いし。ここにない抱き枕のことを思い出す。声だけでも、とスマホを手繰り寄せたところで時刻を見てまた放り投げた。寝過ごして朝飯を食いっぱぐれるのだけは避けたいが、さて。掛布団を丸めて枕を足しても、人一人分の重さにはまだまだ遠い。


(題:真夜中)

5/17/2024, 8:02:54 AM

哀れみからの献身は驕りだ、傲慢だ。かつて友人に言われたことを思い出す。大切でもない人間のために身を砕いている、などと思われていたらしい。それを「あなたらしい」と表したのは彼、今の恋人だった。「こっちは勝手に寝て勝手に治すからお構いなく」体調不良の彼を見舞ったとき、布団に籠ってそんなことを言い出した。「その献身を独占するのは忍びない」くぐもる声はいつも以上に小さく、掠れている。体と一緒に心まで弱ったのだろうか。「仮に誰か他に助けたい人がいたとして」布団越しにぽんぽんと叩いてあやす。「あなたもその人も両方助けるので、遠慮せずにどうぞ」頭があるであろう場所を撫でながらそう告げると、布の山を小刻みに揺らしてしばらく笑い続けていた。


(題:愛があれば何でもできる?)

5/16/2024, 8:15:08 AM

手にしていたはずのスマホが膝の上へと滑り落ちる。自分の肩に寄りかかって居眠りとは、この人にしては珍しい。横目に様子を窺うも、ここからでは頭しか見えない。空いている方の手でそっと撫でてみる。無防備なことだ。眠るこの人に、あるいはこの人の持つ何かに悪事を働くのもきっと容易いだろう。そしてそんな不埒な考えを真っ先に思いついてしまう自分のことを、果たしてこの人は好きになって本当に良かったのか。心の奥底で澱んだものが不意に浮上する。あなたが思うほどできた人間ではないから、せめて今は距離を取らせてほしい。そう思って腰を浮かせると、いきなり強く腕を掴まれ引き寄せられた。どこへ行くのか、と至近距離で問う目が不敵に細まる。まさか起きていたとは、というかこれはマズイのでは。机上の空論はあっけなく覆された。


(題:後悔)

5/15/2024, 9:40:41 AM

一人暮らしのときはもとより、二人で暮らしても広い家だと思う。よく晴れた静かな休日。開け放った窓という窓から風が通り、カーテンが音も立てずに揺れている。物静かな彼の気配はとっくに流され、まるでどこかへ消えたかのようだった。誰もいないリビングから廊下へ出る。寝室にも、彼の自室にもいない。階段を上って、二階。バルコニーにその姿はあった。何をしているのか尋ねたら、天気が良すぎて空を見ていた、だそう。不意に強く風が吹く。何それ、と笑いながらそれとなく彼の手を引く。家の中に戻るよう促せば、素直に従ってくれて内心安堵した。天に委ねてどこかへ飛び立ってしまいそうな、そんな空気を彼はいつも纏っていた。


(題:風に身をまかせ)

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