蝉助

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4/2/2024, 10:19:40 AM

「私たちはね、喪失があるから人間なのよ。」
ぶら下がった昼間、教会の庭。
穏やかな緑を纏う芝生の上だ。
ココは蝶々を手のひらに包み、ぱさぱさと必死に羽を動かす僅かな風を感じながら言った。
彼女の周りはたくさんの子どもたちで囲われ、不思議そうに顔を見合わせては瞬きをしている。
「どういうこと?」
そのうちの一人が尋ねた。
「ふふ、簡単なこと。ものを創るからものが壊れるのといっしょ。失いたくないものがあるから、そしてそれはいつか失われるから、私たちは生きることができる。」
「意味わかんねー。」
「むずかしいよぉ。」
「それよりココ、おうた歌って。」
雲のように上の方にあって届かない言葉だ。
幼い子どもたちがそれを理解することはできず、あまり興味を示さないまま、口々に別のことを言い出した。
その様子にさえココは目を細めて穏やかに笑う。
「あらあら、子どもでさえ思考を放棄するのはよろしくないことよ。」
そうして頭を撫でる。
手のひらの温度は慈愛や純真に満ちていたが、彼らを見る目はどこか愛玩的で、まるで生まれて間もない子犬か子猫を撫でているようである。
「ちょっと、ココさん。こどもたちに変なこと吹き込むのやめてください。」
その時、背後から怪訝そうな声が聞こえてきた。
「神父様だ。」
「神父様、みてみて。ちょうちょ。」
「こっちでいっしょにあそぼうよぉ。」
澄んだ金髪を持つ若い神父だ。
また、神経質で生真面目な特性を除けば、ずるいほどに聡くココの好みに適合した人間でもある。

4/2/2024, 6:53:05 AM

「すき。」
「うそ。」
「ほんとなのに。」
「今日はエイプリルフールじゃん。」
「エイプリルフールだと告白しちゃだめなの?」
「一般的には。」
「へえ、そうなの。じゃあ、明日も言いましょうか。それでも信じてくれないなら、明後日も、明々後日も。」
「……。」
「うそよ。」
「……きらいだ、やっぱり。」
「ふふ。」
「おれのことからかって楽しい?」
「ええ、すきだもの。」
「……おれもすきだよ。」
「うそ。」
「ほんと。」
「エイプリルフールって言ったのはそっち。だからうそ。」
「じゃあそれでいいや。」
「……なにそれ。」
「うそだと思うならうそにすれば。」
「そういう投げやりなのいや。ねえ、どっちなの。」
「君が決めていいよ。」
「……あした、決めさせて。」

3/31/2024, 10:09:23 AM

「ふふ、汚いね。」
外科医のセシルは腐乱した人型を見て笑った。
「おえ……タンスの中で死んでた鼠の臭いに似てる。」
狭い個室に充満する悪臭に、美容師のアイザックは身体を前にかがませてえずく。
その様子を見てセシルは眉間にシワを寄せた。
「ちょっと、そんなのでちゃんと仕事できるの?お気に召さないと首ちょんぱだよ、二人とも。」
「勘弁してくださいよ。こちとらあんたみたいに、命の溶けた人間に慣れていないんだ。」
時刻は深夜。
とある屋敷の地下室で、二つの影が蠢いていた。
中央には黴びた臭いがする机。
その上に置かれた、どす黒い液体と蛆に塗れる一つの物体。
それはかろうじて人の形をしていたが、人間と呼ぶにはあまりにも手遅れでかけ離れている。
七色の身体だ。
あるところは赤黒、あるところは薄緑色で、でこぼこな体躯を無作為に染色していた。
胸から腹にかけて、小さな刃物を何度も何度も叩きつけて生まれたような切り傷が存在を主張し、それがこの死体の死因なのではないかと推測できる。
また唇は焼けてなくなっており、直接見えてしまう歯茎は一度溶けて再度固まり直したような雫跡があった。
そこから少し視線を上へやると、眼球の一部であったであろう粘着質な液体が、目の周りにびっしりと張り付いている。
そのどれからも、亡くなってから随分経っていることが読み取れる。
セシルはその死体の周りをぐるりと一周すると、飛び散った体液で汚れた壁の一面に目をやった。
そこには人物写真と数行の文章で埋められた一枚の羊皮紙がある。
『死体についての情報』が記されていた。
「名前はジュリア・ロビンソン。東北の都市で有名な歌手で、引退宣言を最後に行方をくらませる、か。」
美しい顔立ちと感情豊かな歌声。
心を震わす繊細な歌詞、並外れた表現力が多くの人々の心を掴み、世代を超えて愛された著名人。
そんな彼女が活動から身を引くといったのは突然のことだった。
多くの人に惜しまれて舞台を降りた後、その姿が浮かび上がることは一切として聞かない。
まるで存在ごと遮断されてしまったように失踪した。
もう一ヶ月前の話になる。 
しかし、そんな彼女を死体の状態で偶然にも拾ったのが、今回2人のクライアントでもある資産家アンドリュー氏だ。
ジュリアの熱烈なファンだったらしい彼は言った。
「死体を復元してほしい。」
この話は決して大衆の前には出ず、ただ水面下で復元計画の話が広まり、伝と伝を伝って届いたのが、この都市で確かな腕を持つ外科医のセシルと美容師のアイザックだった。
「ではでは、取り掛かりましょっか。とりあえずあたしは人に見える形には直すけど、そこからジュリアに近付けるのはよろしくね。」
「ああ。」
夜が始まる。

セシルは夜を楽しんでいる。
普段は人間の命を預かり、絶対的な責任を持って治療する義務があるからやりにくい。
しかし、今の患者はただの屍だ。
嫌がりも痛がりもしないし、いつもなら皮膚を介さず伝わる生々しい心臓の動きもない。
どうしてやろうか、そんな気持ちになれるのだ。
ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ。
乾いた外側と違って、冷たいがまだ濡れている中身。
内臓がいじられる音が響く。
「……。」
部屋の隅で、その音に耐えかねて青い顔をしているアイザックがいた。
「大丈夫?美容師さん。」
セシルがけろりとした顔で尋ねる。
振り返った彼女の顔に黒い液体が付着していたことに再びえずくと、首を横に振った。
「……嫌いだ、人間の生々しいところ。ただの汚い有機物に見えて、消えたくなる。」
「どうしてこの依頼を受けたのかつくづく疑問に思うよ。」
呆れてため息を吐いた。
同じ外科医仲間でも多くは躊躇うような依頼……強心臓な美容師がいたものだな、と思っていたが、蓋を開けてみればそれは買い被りだったと知る。
こちらが死体のような顔色になってどうするというのか。
アイザックは不意にふらりとセシルの方へ近付き、虚ろな視線で動かないジュリアを見た。
セシルの施しによって、それは随分人間としての形を取り戻しつつあるが、依然として綺麗な死に顔とは言い難い。
「汚いな。」
「そうだね。まあ、ここを縫合すればそれなりに整うよ。」
機械的にセシルは作業を続ける。

3/30/2024, 11:42:29 PM

段々と外側から冷えていっている事がわかる。
調子が悪く自力では起き上がれない日も増えて、吐き気や怠さは常におれの周りを囲っている。
もうすぐいなくなる、それは誰よりもおれが分かっていた。
死ぬのは怖い。
ハルサキの前では心配かけないよう振る舞ったけど、死んだ先のことなんて知り得ないし、その果てになにか報われごとがあるということも、おれは信じていない。
身体が止まれば人はそれまで。
永久の喪失に恐怖を抱くのは、当然のことだろう。
それでも取り繕いたい。
生来、おれはそういう人間だから。
周りには大切な人たちがいる。
みんなが傷付くことがおれにとって何よりの不幸で、誰かの幸福を守っていけるのならば、大抵のことは犠牲にしてきた。
それを不幸と思ったことはない。
両親が死んで、親族をたらい回しにされてきた時から、存在することを望まれていない人間だと理解した。
死んでほしいのではない、消えてほしいのだと。
表面がぐじゅぐじゅした傷口へ、木枯らしが吹き付けていくような感覚。
苦しかった。
だから、大切な人の糧となれるのなら、おれは喜んで全部を捧げることができる。
自分の感情を押し殺してでも何気ないフリをする、その理由として十分に足りうるだろう。
だから唱える。
「大丈夫」だって。
死への恐怖は誰も知らなくていい。
隠したままあちら側へ全て持っていくから、どうかみんなは、おれの最期は幸福で満ち溢れていたってこと信じてほしい。
ハルサキ、コト、シンヤさん。
いなくなっても、快活に死んでいった奴がいたなって思い出してね。
それがみんなの好きなヤギだから。

3/29/2024, 11:03:35 AM

「ハッピーエンド信者だってさ。」
「なにが?」
「お前の評判、ネットの。」
短編小説家カキオカコは、ある小説賞を機に世へ出回った若手の創作者だ。
指先を切れば血が滲むようなキャラクター、秀麗滑稽を持ち合わせた言葉選び、大衆が好む『奇才』を体現したその特性。
人気を博すのに、大した理由はいらなかった。
しかしそれは数ヶ月前の話である。
「みんなもう飽き飽きしてるんだ、めでたしめでたしで終結する展開。」
数十という数になったカキオカコの作品。
時代も世界観も何もかもが七色だが、そこにはある共通点があった。
「結末はすべてハッピーエンド。」
朔馬はスマホを片手に壁へ寄りかかって、小説評価サイトのコメントを逐一読み上げていく。
結末が読めて途中から冷める。
中間まで面白いのに後半どうした?
時々いるよね、読者にとって不要のこだわり持ってる人。
「いいじゃん、ハッピーエンド。」
カキオカコこと秋山未来は、机に向き合っていた回転椅子を直角に回し、朔馬の読み上げを遮る。
「ハッピーだよ、幸せだよ?ワンデイエブリワンウィルビーハッピー。アイウィッシュソーザット。」
「お客はそういうの望んでないんで。創作こそ究極の接客業、読者に媚びてこそなんぼもの。」
「俺別に売れたいとか思ってないんだけどなぁ。」
未来は小説を単なる金稼ぎのツールとは思わない。
ストーリーとは思想の反映で、主人公は作者の分身。
だとするのなら、物語の結末はある種作者の末路とも言えるのではないだろうか。
「それにしても、ハッピーエンド信者ね。なかなか阿呆みたいな面白い言葉考えるじゃん。次の話はそれを取り入れてやろうか。」
未来は両手の親指と人差指でカメラを作り、椅子ごと回転させて自身の周りを記録するように映した。
くるくると何度か回ったあと、朔馬の位置で固定する。
「それを言うなら、お前はバッドエンド信者なんだろうね。」


〈未来〉
若手小説家カキオカコとして短編小説を書いている。しかしその全てがハッピーエンド、そのこだわりにどんな意図があるのかは誰も知らない。温厚でまるい性格だが、どこかへんてこで天才気質。小説が心から好きで、周りの評価や売り上げなどは執筆における副産物としか思っていない。

〈朔馬〉
未来の借りているアパートの隣人。「末ロさき」という名前のイラストレーター。多種多様な絵柄に対応できる。功利的で冷めた性格。未来とは違い利益目的で絵を描いている。

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