店長さんはどこからともなく鳥かごを取り出し、その中に火をつけた。
この鳥かごはどこかで見た覚えがある──そう、あれだ。店長さんと初めて会った、雑貨店に置いてあったものだ。
かつて歌姫と呼ばれていた私はライブ中に意識を失い、次に目が覚めたときはこの魔法ありモンスターありの不思議な世界に立っていた。
自分はこの魔法雑貨店の店長で、きみが目覚めるには隠された「心」とそれを開く「鍵」を見つけなきゃいけない──そう言いながら、店長さんは壁一面に掛かる鳥かごに次々火を灯していったのだった。
ああ、あれはどれくらい前のことだっけ。
この世界にカレンダーなんてものはないから、あれから何日経ったのかわからない。一応規則的に日は出て沈むようだけど、そんなのいちいち数えちゃいない。
つい数日前だった気もするし、もう何年も前だったような気にもなる。
ただわかることと言えば──再び鳥かごに灯った火は、以前見たときよりも随分小さく揺らめいていた。
「もうあんまり時間がないね」
怪しい影を踊らせながら店長さんは呟いた。
その言葉に、なんとなく感じていた予感が確信に変わる。
ここは異世界、もといあの世とこの世の狭間らしい。
この世界で死ねば現実世界の私も死ぬし、「心」と「鍵」を見つければ、意識を取り戻してまた日常を送るのだろう。
だから──。
現実世界に帰るにせよ、死後の世界に旅立つにせよ。
ハッピーエンドにせよ、バッドエンドにせよ。
この旅路の終わりはもうすぐだ。
20240902.NO.41「心の灯火」
きみはまた自然消滅だなどと言うのでしょう
そう思いながらブロックを押す
20240901.NO.40.「開けないLINE」
中学を卒業するまで、喧嘩ばかりの日々だった。
ある人にそれはよくないぞと指摘されて、言われた通りに生活を改めることにした。
まず、話し方を変えた。粗雑で乱暴だった口調を、丁寧な敬語にすることにした。
敬語自体はよく使うような環境にいたから、これはそんなに難しくなかった。ただ相手によって話し方を変えるのは面倒で、家族以外は後輩だろうと同級生だろうと、みんな敬語で話すことにした。
それと同時に、一人称も変えた。今まで「俺」と言っていたのを、「僕」に変えた。
これは少々難しくて、考え事をしているときの一人称は「俺」のままだから、うっかりそれがそのまま出てしまうこともあった。けれど慣れというのは恐ろしく、1年も経つころには「俺」と口に出すことはなくなっていた。
最後に、眼鏡をかけた。金縁の大きな丸眼鏡。
視力は普通にいいからこんなの邪魔になるだけだけど、意外とオンとオフの切り替えに役立った。それに眼鏡をしてると、「おとなしい」とか「頭いい」とか、周りが勝手にキャラ付けしてくれる。俺はそのキャラ付けに従い、クラスで目立たない地味な生徒として生きることにした。
服装を変え、髪型を変え、全部あの人の言う通りにしてるのに──なぜだろう。
むかしの自分とは様変わりしたはずなのに、どうしても変わった気がしない。
喧嘩をやめて、話し方も見た目も変えたのに、俺はあの人を囲む輪には入れない。
どうして、どうして──俺はあと何を変えればいい?
20240831.NO.39.「不完全な僕」
1,2年くらい前に、ツアーでヨーロッパに行ったことがある。1,2年前、なんて言っても、この世界の時間の進みがもとの世界と同じなのか甚だあやしいものだけど。
そのツアーの合間、私はあちこち街を観光していた。そのあたりは香水瓶が有名で──大通りに面した立派なショーウィンドウも、路地の奥の小さな露天も、どの店もところ狭しと硝子の小瓶を並べていて、歩くたびに小さな光のかけらがキラキラと目に飛び込んできたのをよく覚えている。
そして、いま。
もとの世界で歌姫と呼ばれていた私はライブ中に倒れ、目が覚めると異世界、もといあの世とこの世の狭間にいた。元の世界へ帰るため自らを魔法雑貨店の店長と呼ぶ青年とともに、隠された「心」とそれを開けるための「鍵」を探す旅に出た私。
数々の困難を乗り越え進み続けた私たちの目の前に現れたのは──、ずらりと香水瓶の陳列された棚だった。
いつから迷い込んでいたのかはわからない。この棚の終わりも見えない。
置かれた小瓶はどれも微妙にデザインが違っていて、きっとひとつとして同じものはないのだろう。そんな瓶の並んだ棚が両側に広がり、ひたすらに一本道になっている。
「なにこれ。瓶? 中身は入っていないみたいだね」
「──これ。これしかない」
話しながら瓶を手に取る店長さんの後ろで、私は目の前にみっちりと並ぶ小瓶からひとつを手に取った。途端に他の小瓶は揺らめいて棚ごと消える。
店長さんが振り返る。
「早かったね。ま、決めるのはきみだ。きみがそれだと思うなら、僕から言うことはなにもないよ」
私は確信を持って頷いた。
丸っこいフォルムの瓶に、中心にはめられた深い深い青の石。それを囲むような繊細で美しい金細工。
間違いない、あのツアーの時に一目惚れして買った香水瓶だ。
買った、って言っても、これは単にお金を支払ってこの香水瓶を手に入れた、なんて簡単なものじゃない。
あのとき路地の奥の小さなお店に入った私は、レジ横に置いてあったこの香水瓶に引き寄せられた。どのお店のどの小瓶もとっても素敵だったけれど、これはひときわ目を引いた。
私はすぐさま財布を取り出した。その小瓶には値段が書いていなかったけれど、なにせ私は世界ツアーを敢行するくらいの歌姫だ。お金で買えないものなど存在しないのだ。
通訳の人に値段を聞いてもらい、ドヤ顔で札束を叩きつけようとして──私は叩きつけるはずだった札束で扇をつくることになった。
困った困った。どうやらこの香水瓶、売り物ではないらしい。いまは亡き先代が作った最高傑作で、記念として飾っているけれどいくら大枚はたかれたって売る気はないらしい。札束の扇をチラチラとあおいでみたけれど、どうやら店主の気が変わることはなさそうだ。
通訳さんと店主さんの押し問答をしばらく眺め、私はある提案をした。
私は世界を股にかける歌姫だ。いまここで歌うから、感動したらその香水瓶を譲ってくれないか、と。
店主のおじいさんはそれを承諾し、私は歌い──そして手に入れたのがこの香水瓶なのだ。
「へえ。きみ、本当に歌姫だったんだ」
「疑ってたんですか!?」
「日頃のきみの口の悪さを見てるとね。歌姫って言ったらもっと清楚でおしとやかなのを想像するだろ」
うるさいなこのポンコツ店長は。あの香水瓶屋さんのおじいさんを見習ってほしいもんだ。
私の歌を聴いたおじいさんは感動し涙し、この香水瓶だけでなく他の瓶も好きなのを好きなだけ持っていっていいと言ってくれた。死ぬ前にあんたの歌を聴けてよかった、この瓶を通してきっと先代もあんたの歌を聴いたはずだと、何度も何度も繰り返し言ってくれた。
……むかし、歌い始めの頃はそういうこともあった。私の歌で目の前の誰かが感動して泣いて、そのまま握手をしたり抱き合ったりするようなこと。
けれど徐々に会場が大きくなり、ステージの段差が高くなり……世界で歌うころには、いくらライブをしたって観客の顔はもう遠く見えなくなっていた。
──だから、そういうのは本当に久しぶりで。
しまいには私たちだけでなく近所の人も出てきて、みんなで泣いて笑って、ちょっとしたお祭り騒ぎだった。
持って帰ったら綺麗な宝石のカケラでも詰めようと思っていたけれど、結局ずっと空にしてある。
透明な瓶を透かしたら、あのおじいさんの顔がまた見えてくる気がするから。
20240830.NO.38.「香水」
そばにいてくれればそれだけでよかったのに。ね。
20240829.NO.37「言葉はいらない、ただ……」