君の突然の訪問には驚いたよ。
いいかい、遅刻っていうのはさ、当日までのことを言うもんだ。せっかく準備してたのにさ、いつまで経っても君が来ないものだからもう片付けちゃったよ。君が来てもいい期間はもう終わったんだ、イベント終了から何日経ったと思ってるんだい。だからこれはもう訪問と呼ぶべきだ、そうだろ?
……まだ8月だからセーフだって? まったく、ああそうだった、君はそうやってすぐに屁理屈をこねてわがままを言って、一度だって約束の時間に来たことはなかったね。
ハロウィンはこれからだからそういう意味では先に来ているって? いや早すぎるだろ! まだ8月も終わってないって言うのにさ、百均のイベントコーナーじゃあるまいし、もっと季節感を大切にしておくれ。
……でも、そうだったね。君は約束の時間は大切にしないけど、季節のイベントは大好きだったよね。だからせっかく盛大に準備してたっていうのにさ、まったく僕の苦労を返しておくれよ。
あはは、でももうこんな苦労はしなくて済むかな。
君とずっと一緒にいれば、時間に遅れられることも、せっかくの準備が無駄になることもないもんね。
ねえ、そうやってさ。気合い入れてちゃんと馬にまで乗ってくるの、君らしいよ。
帰りの牛には僕も乗せてくれるのかい?
20240828.NO.36.「君の突然の訪問。」
そう言って最後に穏やかに微笑み、彼の手の中で魔王は息を引き取った。
周囲を囲み立っていた魔人たちは、順にそれを感じ取った。
魔王が死んだ。
あの幼く、生意気だった王が──マナに還った。
ある者はうつむき、またある者は唇を噛み──彼らはそれぞれに王の消失を噛み締めた。
分厚い雲の下、数百人におよぶ魔人たちは一言も喋らず、ただただひたすら立ち尽くした。
時間が止まったかのように彼らが佇む中──最初に動いたのは、翼の折れた翼竜だった。
魔王の、いちばんの側近。
魔王の、いちばんの話し相手。
そして──魔王の、魔人の、いちばんの裏切り者。
彼はいつもの眠そうな目のまま、腰の細剣を静かに抜き放ち天に掲げた。その先端を中心として、大きな魔法陣が天を覆う。
「雨魔法《レイン》」
魔法陣から放たれた水が灰色の雲を突く。そして雨となり地上へ戻ってくる。
雨粒が当たり、髪が濡れ、服がジトリと重くなった頃──ようやく、氷が解けたかのように他の魔人たちも動きはじめた。
次々に武器を、あるいは手のひらを掲げ、天へ向かって魔法を撃ち出していく。この国特有の、死の悼み方。
そして魔法を撃ち出した者は帰っていった。
ある者は泣き腫らして、またある者は少しだけスッキリした顔をして。それぞれに心の整理をつけ、その場に背を向け去っていく。
そうしてひとりまたひとりといなくなり──ルイテンだけが取り残された。
魔王のいちばんの側近で、話し相手で、裏切り者の彼だけが──いつまでも、いつまでも、自分で作った雨に打たれていた。
出演:「ライラプス王国記」より ルイテン
20240827.NO.35.「雨に佇む」
現実世界で歌姫と呼ばれていた私はライブ中に倒れ、気づいたらこの摩訶不思議ワールドで目が覚めました。そして自らを魔法雑貨店の店長だと名乗る、不思議な、もとい怪しい青年と出くわし、端的に言えばここはあの世とこの世の境みたいな場所であり、ここで死んだら現実世界でも死ぬと宣告を受けてしまいます。
まだ死にたくない私は元の世界に帰るために隠された「心」とそれを開くための「鍵」を探すため、インチキ魔法道具を貸してくるポンコツ店長とともに旅に出ることになったのでした。
回想終わり。
そしていま。
私たちはさっそく死にそうでした。
「ちょっとおかしいよこれ! どうなってるんだい!?」
次々と湧き上がる、人のような形をした黒い霧を焼き払いながら店長さんは叫びました。
その後ろで店長さんから渡された火炎放射器のような魔法道具で同じく霧を焼き払いながら、私も答えます。
「わ、私に聞かれたって!」
私たちは人型に揺らめく怪しい霧に囲まれながら、背中合わせに戦っていました。
この霧がなんなのかはわからないけど、本能的ななにかで、捕まったらまずいってことだけはハッキリとわかります。
「こんな開けた場所にさ! こんないきなりモンスターが次々湧くはずないんだって! きみ、絶対なんかしたでしょ!!」
度重なる不運のおかげで体力はもう使い切り、気力もほとんど底をつきかけています。この霧がいつまで湧いてくるのかも、この魔法道具からいつまで炎が出るのかも私にはわかりません。
思えば、ここへ近づいていたときから周囲の様子は変でした。
まず、やたらつまずく。
気をつけているはずなのに、なぜだか一歩進むごとにつま先が地面に引っかかり、転んだ回数はもう数えるのを諦めました。
荷物のほぼない私はともかく、店長さんは転ぶたびにどこかから明らかにそのスペースには入りきらないはずの荷物をぶちまけ、それを拾い集めるだけでけっこうな作業でした。
お次は突然の雨。
雲なんてどこにもない快晴だったはずなのに、嫌がらせのように突然空が灰色になって叩きつけるような雨が降り始めました。
「こんなときは〜♪」と鼻歌まじりに店長さんが取り出した魔法道具は、その瞬間吹きつけた突風に飛ばされどこか遠くに飛んでいってしまいました。
そんなこんなでやることなすこと全てがうまくいかず、しまいには一旦ご飯にしようと思えば皿ごとぶちまけ、諦めて座り込めばうじゃうじゃと虫が寄ってくる、そんな始末でした。
そうやっていい加減ため息もつき疲れたころに出たのが、《アレ》でした。
店長さん曰く、《アレ》もモンスターの一種らしいです。
なんだろう……。パッと見は今いる黒い霧のボスみたいな、巨大な揺らめく黒い塊です。なのに……見た目はアイツらと同じようにモヤモヤしているのに、その奥はドロドロしてて、それでいて石みたいにずっしりと重いのが、すぐにわかりました。
そして──私はその異形の怪物を、どこかで見たことある気がしました。現実世界の、どこかで。
店長さんは「さすがに僕も疲れちゃったなぁ」なんて言いながら跳びあがって、またどこかから取り出した大きな槌を振り、ゆうに3mはあろうかというその化け物を頭から叩き割って一撃で粉砕したのでした。つよ。
けれど私が店長さんを見直したのも束の間、今度はバラバラに散ったモヤの塊、そのひとつひとつが膨らみ人型となり──そしていまの状況です。
「これ、ラチが開かないね! 気づいた!? コイツら、向こうの方から湧き出てる! こっちは僕が引きつけておくから、きみ、そっちからぐるっと回って向こうに何があるのか確認してきて!」
「わ、私が!?」
「そっち側の方がいくらかこのモンスター少ないだろ!」
確かに、この霧たちは店長さんの指す方向から溢れてこちらへ向かい囲んできているようです。
──ええい、ままよ!
悩んでる時間もありません。私は火炎放射器で霧を蹴散らしながら走り出しました。
炎を振り撒きながら走り、黒い霧たちを抜け、今度はその源泉へダッシュ。直線距離では行けず、遠回りしながらでもたまに阻まれ、それを焼いたらまたダッシュ。
そしてなんとか黒い霧の発生源に辿り着き──そこにあったのは1冊の本でした。
1冊の、開かれた本。
燃やし尽くしてやろうと火炎放射器を向けて──なぜでしょう。
私の体はなぜだか、炎を噴出させるボタンを押すのをためらいました。どうしてだかわからないけど、この本はものすごく大切で、これを灰にしたら自分の大切なものまで崩れ去ってしまうような気がしました。
迷った私は恐る恐る手を伸ばし──そっと開いていた本を閉じました。
ぱたん。
軽い音とともにその本は閉じられ、それと同時に、あの数えきれないほどいた黒い霧は消え去っていきました。
「──あ。これ」
「ああーー疲れた疲れた! きみ、あそこからまだあんなに走れるなんて思わなかったよ! 意外と体力あるんだね!」
ふらふらと近づいてきた店長さんに、現実世界では体力維持のために毎日走り込みをしていたからと答える元気はありませんでした。
私が閉じた本。
その表紙はよく見慣れたものでした。
毎日寝る前に開いていて書き込んでいた──、私の、日記帳でした。
「……日記? きみの? ……。途中まで毎日書いてたのに、この日からぷっつり途切れてるね」
勝手に拾い上げてパラパラとめくる店長さんを怒る気にもなれません。
私はここに近づいてから起きていた不運な出来事がなんだったのか、すべて理解しました。
♢♦︎♢
私が倒れたライブの、およそ1ヶ月前。
その週は本当についていませんでした。
1日目。人通りの多い道で躓き転び、持っていた荷物を往来にぶちまける。
2日目。突然の大雨にあい、常備している折り畳み傘を開くもそれと同時に突風で傘は壊れ、ずぶ濡れになる。
3日目。久々のオフでるんるん気分でご飯を作るも、机に運ぶ途中で落として皿を割り料理もダメになる。
4日目。MV撮影のために森に行き、休憩でベンチに腰掛けたらそこには大量の虫がいた。
そして、5日目。弁護士を通じて情報開示請求をしていた、度を越したアンチの本名がわかる。
そしてその名前は──数年に渡って付き合いのある友人と同じでした。
……まあ、別に。数年って言ったって、たかだか2,3年だし。もっと付き合い長い友達、全然いるし。友達って言ったって、ものすごく仲良いわけじゃなかったし。陰でなにか言われるのとか、慣れてるし。
そう思うのに──私はその後も湧いてくる別のアンチとレスバする気にもなれず、毎日かかさず書いていた日記を書くのもいつの間にかやめてしまい、そうしてライブの当日を迎え倒れたのでした。
「ははぁ……。これがきみの『心』か」
分厚い日記帳を閉じる音が聞こえます。
「だいぶ疲れちゃってるみたいだし、これは僕が預かっておくね」
すっかりへたり込んでいた私は、そう言った店長さんの顔を見ることさえできませんでした。
20240826.NO.34.「私の日記帳」
僕らはもう何十年もずっとここでこうして互いの顔を見つめながら座っているけれど、それってちょっと珍しいらしい。
普通は両方とも同じ方向を向くんだって。
ここを訪れる人たちはよくそう言ってる。
お互いの顔を見れないなんて、それって寂しくないのかな。それって悲しくないのかな。
僕はこの向きでよかったって思ってる。彼も同じように思ってる。顔を見れば互いの考えてることがわかるから。
僕は「あ」しか話せないし、彼は「うん」しか話せないけど、僕らはそうやって互いの顔を見つめながら話すんだ。
20240825.NO.33「向かい合わせ」
ムダに高そうな服を着たジジイどもがしきりの俺のことを褒めちぎるのを、俺はただ薄ぼんやりと聞いていた。
1000年続く戦争を終わらせた英雄だとか。
たったひとりで魔王を討ち取った勇者だとか。
そンな称号がほしかったンじゃねェ。
褒美に貴族の地位を与えようとか。
どこぞの隊長の任についてほしいと思ってるとか。
そンな見返りがほしかったンじゃねェ。
俺は救えなかった。たったひとりのガキですら助けられなかった。
アイツを殺すことでしか終わらせられなかった俺が、英雄だとか勇者だとか…………。
俺みたいなのが生きてていいはずねェのにな。
出演:「ライラプス王国記」より イル
20240824.NO.32.「やるせない気持ち」